ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (31)

  • オートガイネフィリアをめぐって - ohnosakiko’s blog

    トランス女性の女性スペース問題で、「TRA」と「TERF」(トランスの権利擁護の活動家とトランス排除的ラディカルフェミニスト。いずれも蔑称とされているようなのでここでは「」付きで使う)は激しく対立している。対立というか並行線だ。 この話題をめぐって昨日、「TERF」の女性にはオートガイネフィリアに対する忌避感があることについてX(Twitter)で言及したら、いろいろな反応があったので、主なものを紹介したい。 とりあえずこれまでで、オートガイネフィリアについて私が最初にXで目にしていたのはこの動画である。 ⚫︎「オートガイネフィリアとは?」ヘレン・ジョイスの解説(日語字幕) www.youtube.com 一貫して反「TRA」の立場から語られており、オートガイネフィリアは女装するだけで満足せず、女性スペースに入り女性として扱われようとする人々とされている。この動画が拡散されて、女装したオ

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    nessko 2024/10/02
  • 心臓の鼓動はヒトより早いからそのうち君は年下になる - ohnosakiko’s blog

    飼い犬タロになっているつもりで詠む「犬短歌」、2024年上半期の歌です。今年は急に慌ただしくなり、タロの歌心とゆっくりつきあっている時間が取れていなくて、やや少なめです。 まあまあのも今ひとつのも全部上げました。気に入ってる歌の最後には*マークをつけてます(/サキコとあるのは私名義の歌)。俳句も混じってます。 ◆一月 滅びたくないよねけれど転ぶのは仕方ないんだまた立てばいい 恐竜の末裔 百舌鳥の速贄になりて脚指冬空を掻く 飛行機は乗らない代わり地震では瓦礫の下の君を見つける 山茶花の下は血溜まり粥をう  * 三日月夜 星を数えるあのひとと地球の匂い嗅いでる俺と 鏡見たことはないけど飼い主を信じるきっと俺は可愛い 飼い主が自治会長になったのでやったね犬の会長やれる 雨の日の草は美味いよできるならササミの味の草もべたい バーベキュー味のポテチは邪道だと言う人カニカマサラダを作る ♪ 塀の下

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    nessko 2024/07/01
  • 第十六師団の山中貞雄 - ohnosakiko’s blog

    映画監督 山中貞雄 作者:加藤 泰キネマ旬報社Amazon映画監督 山中貞雄』(加藤泰 著、(株)キネマ旬報社、1985)を読み終えた。 山中貞雄の甥でやはり映画監督であった著者が、膨大な資料収集と関係者へのインタビューを経て、8年がかりで書き上げた労作である。山中貞雄論の中でも、映画に入れ込んだ一人の若者としての山中貞雄と、彼を取り巻く1920〜30年代の「カツドウ屋」たちの熱気に満ちた交友関係を、ここまで生き生きと描いたものはおそらく他にはないだろう。*1 山中貞雄が映画人として生きた時代は、恐慌と戦争の時代だった。 1928(昭和3)年に治安維持法の改悪で思想言論の自由が制限され始め、企業の倒産や首切りが相次いで昭和恐慌が厳しさを増す中、1929(昭和4)年10月のニューヨーク株式市場暴落をきっかけに世界的大恐慌時代に突入する。小津安二郎の『大学は出たけれど』が公開されたのはこの頃

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    nessko 2023/09/17
  • 撫でる手が時折止まりこの人の心はここにないことを知る - ohnosakiko’s blog

    飼い犬タロが詠んでいるという設定の犬短歌、2022年上半期の134首です。 後で若干言葉を直したものもあります。俳句二句と私の短歌二首も入ってます。 特に気に入っている歌には、うしろに*をつけてます。 ◆一月 掌で頬を挟まれことよろと言われたどこの国の言葉か 年は全柴犬の地位向上目指しおやつの大幅アップを 能の強き輪郭残しつつ風に吹かるる蝉の抜け殻 見えている世界が違うと言う君に死んだら俺の目玉をあげよう オリオン座横切る航空灯ひとつ寂しかったら戻っていいよ 散歩中スマホ見ているあの人をリードで引いて帰る夕方   * セーターは冬の夜の友 飼い主のお古に埋もれ春の夢見る 嗅がせても嗅ぎに来てくれないあの子そこはかとなく片想い感 鳩が二羽休む枝だけぬくいよと枝垂れ桜の老木が言う 夜半過ぎ何かを思い出したかに舞う雪何かは秘密のままに   * 雪道に足跡点々つけた子はどこから来たのどこへ行っ

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    nessko 2022/08/22
  • あたらしい首輪は軽い 拘束と愛の違いをだれか教えて - ohnosakiko’s blog

    飼い犬タロのつもりで詠む「犬短歌」、2021年下半期の190首です。 まあまあのも今ひとつのも全部上げました。わりと気に入ってる歌の最後には*マークをつけてます(/サキコとあるのは私名義の歌)。 ◆七月(36首) もしかして怒ってますかなんか目が怖いんですけどあっごめんなさい チラシの絵困ったらイヌ特に柴 ネコもたまには出してあげよう 俺が今生きているのは偶然でアイス舐めたいのもまた偶然 ママの顔忘れて七年カルガモの親が子を呼ぶ夏の夕暮れ 自由主義者たちの踊れる世の中で犬は犬なりの礼節を知る 窓口で切手買いたる若力士鬢付け油に香る七月/サキコ   * 泥付きの鼻に鼻キスしたあいつ泥が好きなの俺が好きなの   * 締め切りを忘れたおばさんフィラリアのお薬だけは忘れないでね ワンワンと吠えて「おや犬らしいね」と言われた何だと思ってたんだ 災害の町で土砂掘る犬たちと俺は果たして同じ犬なのか 年三

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    nessko 2022/04/06
  • 会田誠の作品について(5/1トークより抜書き) - ohnosakiko’s blog

    去る5月1日、大阪で行われた合宿勉強会「集まるのが大事vol.2」(テーマ=反抗)の二日目に登壇し、以下のような内容で90分ほどのトークをした。 「反抗 vs 反抗 」の外へ―性的表現と性差別批判の弁証法― 【概要】 美術に現れる女性の裸体表現は、かつては神話の文脈と宗教の縛りの間にあったが、次第にその制約を離れ、個としての性表現へと変化・多様化してきた。一方フェミニズム批評による美術史の読み直しにより、作品中の男性視点や性規範が指摘されるようにもなった。近年は強い反発と撤去要請が起こるような事案も散見される。 議論を呼んだ主な女性ヌード表現及び批判の文脈を辿り、「反抗 vs 反抗」の隘路から「外」に出る視点について考える。 【内容】 ① 「女を見る」をめぐる男/女の非対称性 ② 西洋美術における女性ヌードの位相 ③ 近代日の西洋美術、性道徳の受容 ④ 「性差別」という批判の始まり ⑤

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    nessko 2021/07/15
    PAPS的にはヴァニラ画廊で展示する分にはいちいち文句つけないけど森美術館にて大々的にやるなら世間に対して申し訳が必要だろう、というのがあったよね。# 個人的には、会場内で袋とじみたいな展示方にも批評が欲しい
  • カストリ雑誌の付録 - ohnosakiko’s blog

    義父宅で片付けの手伝いをしていて見つけた。義父によれば警察署に勤めている時に誰かにもらったものらしい。 裏には「眞相実話・十二月号・別冊附録」とあり、ビアズリーを真似たようなイラスト。掌サイズ。紙質も印刷も粗悪。 『眞相実話』は、戦後数多く出版されたカストリ雑誌の一つ。ネットで検索したらトランスジェンダーで性文化の研究者、三橋順子氏のサイトが上がってきた。 『眞相実話』は昭和24年(1949)5月創刊で、出版社は東京千代田区富士見町の「眞相実話社」。 B5版薄手が主流だった「カストリ雑誌」に対して、半分のハンディなB6版で、頁数が150〜160頁とかなり厚みがある。 定価は別冊共で60円。 表紙に「特ダネ実話雑誌」と銘打っているように、取材力を売りに、それまで盛行していた「猟奇雑誌」「暴露雑誌」とは一線を画そうとしていた。 表紙も他誌に比べると地味だが、でも、やっぱり内容はエロ・グロ中心。

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    nessko 2016/02/27
  • 「山本太郎お手紙事件」に見るメシア願望 - ohnosakiko’s blog

    話題としては既に古くなった、山太郎参院議員が秋の園遊会で天皇に手紙を渡したという”事件”。この件で最初に思い出したのは、かつて斎藤環が『新潮45』9月号の速水健朗との対談「「ヤンキー政治」にご用心!」で、山太郎について言った「ニューエイジヤンキー」という言葉だ。 速水健朗の意見は、「山太郎の支持層とヤンキーはあまり結び付かない」し、あれは「左翼が陰謀史観に流れていく典型」というもの。一方、斎藤環は「ヤンキーがインテリの思惑の中で別の可能性を開いてしまった特異例」だとし、山太郎人はヤンキー的だと言う。 山太郎は「ある地点で思考停止してしまう面があり、極端な危ない証拠を連呼するだけで、客観性を保つための情報収集を拒否」している「シンプルすぎる非知反原発」。だがそのシンプルさ、見かけのわかりやすさでポピュラリティも獲得した。そうした性質は、斎藤環が言うところの「ニューエイジヤンキー」

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    nessko 2013/11/19
    コメント欄、和田秀樹が言い出したシゾフレとメランコは、以前のスキゾとパラノほど知られずに終わった。語感がよくなかったせいだろう。本自体が不発。
  • 「壁がないからアートが売れない」という話 - ohnosakiko’s blog

    「ネット上の他者の言葉と自分の言葉を併置してみるシリーズ」第二弾です(第一弾はこちら)。 昨日見たやりとり。 @asakasaku そんなものですwでもヨーロッパでは壁にかける安い絵を探してる人は結構いて、アートもそこそこ売れるんだよね。市場があるのとないのとでは違うし、国のアートとかスポーツにかける予算が、全然違うんだよね。その分税金ももちろん高いけど。— 山下英子さん (@Eikoyamashita) 11月 12, 2012 @missaws というか、日にはしっかりしたアート市場が無い…というより、ぶっちゃけ日の家には壁がないから、アートが売れないんだよねw @synfunk @kettansai— 山下英子さん (@Eikoyamashita) 11月 12, 2012 @eikoyamashita 確かに壁とか、隙間程度しかないですよね。実家で無理やり絵を飾ってあるんですが

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    nessko 2013/10/11
    うちの床の間にも掛け軸と絵皿が飾ってあるわ(亡くなった父が選んだ)。
  • 失われた街の人々 - ohnosakiko’s blog

    『あまちゃん』で描かれているのは岩手県北三陸市という架空の街だが、ロケ地が同県の久慈市だったため、舞台は実質、久慈市ということになっているらしい。 岩手県北西部の海沿いに位置する久慈市も津波の被害を受けたものの、死者2名、行方不明者2名に留まったということで、ドラマでも今のところ皆無事なのである。えがったねぇ。 さて期待した人には悪いですが、記事は『あまちゃん』についてではありません。 先月下旬に夫が、岩手県陸前高田市の県立高田高校に「被災地ボランティア出張授業」に行ってきたので、その話を書く。又聞きです。 陸前高田市は、岩手県の南の端にある。隣は宮城県の気仙沼市。このあたりは津波被害が甚大で、市街地が壊滅状態となった。陸前高田市の死者は1556名、行方不明者217名。人口に対する犠牲者の割合は、宮城県女川町、岩手県大槌町に続いて3番目に高い。(参照:東日大震災における死者・行方不明者

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    nessko 2013/09/03
    岩手県陸前高田市の県立高田高校>2012年度に入ってから生徒たちに、心身への震災の影響が現れ始める。
  • ヤンキー、ニューエイジ、ラッセン(そしてアート‥‥) - ohnosakiko’s blog

    8/29下北沢B&Bでのトークイベントにお越し下さった皆様、どうもありがとうございました。 満員のお客さん&著名な論者とのトークという緊張で、自分の喋りが時間に追われた時の講義のように早口(そしてところどころ日語崩壊?)になっていた点を含め個人的にはいろいろ反省点もありますが、概ね楽しんで頂けたようで良かったです。 Togetterに実況が上がっています。発言の骨格はだいたい拾って下さっている印象。多謝>misonikomiodenさん 『ラッセンとは何だったのか?』  出版記念  いま、ここからのラッセン 実況ツイート もちろんこれだけだとわかりにくいところもありますので、主にラッセンとヤンキー問題について、解説と個人的な感想がてら書いておきたいと思います。長いです。 ラッセン・ヤンキー論 話は5年前に遡る。2008年のブログ記事『ラッセンとは何の恥部だったのか』は、『アーティスト症候

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    nessko 2013/09/01
    ラッセン、たしかにアートにしてはファンシーな輝きが強烈過ぎて、ピンクフラミンゴの置物や、パームツリーのキーホルダーと地続きなかんじがする>ニューエイジヤンキー
  • 「うちらの世界」と文化の溝 - ohnosakiko’s blog

    ネットでバカを晒す若者の話から始まって、先週は「低学歴/高学歴」話が盛り上がっていた。バカを晒す行為を学歴の高低で語るのはどうか、そういうことは学歴の高い層の中にもあるという話もあった。つまり「うちらの世界」的なものは学歴を問わずあると。 たしかに学歴の高低と「バカ」を関連づけても、あまり面白い話にはならない。にも関わらず多くの人が学歴話で盛り上がったのは、学歴の違いによる(と思われる)文化の違いがどこかにあるからだろう。その違いや溝が具体的に見え、それについて言葉を紡ぐことができるのは、比較的学歴の高い人が多いということなのだろう。 文化間の溝は昔は貴族文化、武家文化、町人文化というように階級の違いで説明できた。そして階級がなくなりそれぞれの文化がある程度混ざり合ってきた以降の時代も、厳然としてハイブロウ、ロウブロウといった文化の溝は残った。それは都市と地方の違い、もっと言えば都会者と田

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    nessko 2013/08/13
    マンガ読むの苦手な人っていますよね。アニメだと、すーっと映画みたいに登場人物が喋るの聞いていれば話の流れはわかるけれども、マンガ特有のコマ割りや絵とことばの組み合わせ表現を読み取るのが苦手なのかも。
  • 旭日旗というキッチュと「私を傷つけたものを思い出させるな」 - ohnosakiko’s blog

    MoMA(ニューヨーク近代美術館)で開催中の『TOKYO 1955−1970:新しい前衛』展で、旭日旗のイメージが使われている横尾忠則の作品が展示され、同展の広告としても使用されていることに、在米韓国人団体が抗議している。 MoMAに展示された横尾忠則氏の作品、韓国で物議に|MSNトピックス 在ニューヨーク韓国人団体「横尾忠則作:戦犯旗」を展示したニューヨーク近代美術館に謝罪と賠償を求める:Birth of Blues(ざっと見た中では一番詳しい) 韓国系住民ら旭日旗撤去求め抗議 NY美術館 - MSN産経ニュース 戦時中のニュース映像などでよく目にする旭日旗は、日帝国海軍の軍艦旗として戦前まで使用されていた。Wikipediaによれば制定は明治22年だが、既に明治3年に帝国陸軍の軍旗として定められていたものを模倣したらしい。戦後は昭和29年に旧帝国海軍と同じ規格のものが、自衛艦旗として

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    nessko 2013/02/19
    昔は美術館側もこういう抗議にもっと耐性というか免疫があったような気もするんですけどね。美術のことなんてよく知らない人のほうがいつの世でも多数派なのはわかりきったことだった筈で。
  • 森美術館の回答についての雑感 - ohnosakiko’s blog

    会田誠展について - MORI ART MUSEUM 森美術館での会田誠展に抗議が起こった件について、先日、森美術館は美術館の観客である一般の人向けの文面を美術館サイトに出した。現代アート業界で一般向けの言葉としてよく使われている決まり文句に満ちた、可もなく不可もないまるで”水のような”文面だと私は感じた(作家のコメントもそれと同じく無難なもの)。 そしてここから、森美術館は抗議側と議論のテーブルにつくつもりはなく、この件はこの一般向けのコメントをもって終わりとする(したい)のだろうという印象を受けた。 だとしたら、実に変な感じである。 AがBに直接「こういうのは非常に問題だ。やめてほしい」と抗議したのに対して、BはAを無視し、見守っているであろう「みなさま」(あるいは「大文字の他者」)に宛てて、「なんかいろいろ意見が出てるけど、うちの方針はこうだからよろしく」と言っているのだ。変でしょ、

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    nessko 2013/02/10
    たしかにあの回答は、抗議した側へ向けてというよりは、大向こうに対してのものになってましたね。そして、あれで納得するのが常識人である、と。そういう了解が大勢にある。
  • 退屈で倒錯した話 - 「森美術館・会田誠展への抗議」問題についての雑感 - ohnosakiko’s blog

    (↓多数のブクマの内容も興味深いので、関連記事のエントリーページを貼っておきます) はてなブックマーク - 森美術館問題|ポルノ被害と性暴力を考える会 はてなブックマーク - 森美術館への団体抗議文|ポルノ被害と性暴力を考える会 はてなブックマーク - PAPSが森美術館「会田誠 天才でごめんなさい」展に抗議 - Togetter はてなブックマーク - 会田誠さんと「ポルノ被害と性暴力を考える会」について はてなブックマーク - 『会田誠 天才でごめんなさい』展への抗議関連の議論 - Togetter 上記以外でもいろいろな論点が出てきているので、ここではなるべくそれらと違うことを書きたいと思うが、重なるかもしれない(この記事はどちらかの立場を支持することを表明するものではありません *1 )。 会田誠個展にはまだ行っていないけれども、「問題」となっている一連の作品は10年以上前にアート

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    nessko 2013/01/30
    抗議した側も擁護する側も「アート=よいもの」という前提だけは共有している。教育の成果でもあるアートってこういうものでしょ通念の陳腐化が、もはや治癒不可能なほどになってしまっているということなのか?
  • 非ヤンキーはヤンキーを語る - ohnosakiko’s blog

    斎藤環先生の「ヤンキー文化」ツィート - Togetter 『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』(角川書店、2012)で、ヤンキー文化論(という名の日人論)の最前線に躍り出た感のある斎藤環。以下は、特に印象に残った斎藤先生のtweet。 ●地方の学校社会では、ぼーっと生きているといつの間にかヤンキー文化に染まってしまう。もしそれを避けたければ「趣味」と「知性」で武装するしかないのかも。ちゃんと武装してないと「維新の会」が迎えに来るぞ。 ●どうやらやっぱりヤンキーには「良いヤンキー」と「悪いヤンキー」がある模様。僕はコレと似てはいるけど別の軸として非行歴バリバリの「ハードヤンキー」と、なんとなくバッドセンスの「ソフトヤンキー」の区分を提唱したい。後者の代表がマロン湖。異論は認めない。*1 ●ソフトヤンキーは日の心。ってか日の無意識。だって「頑張れ!」って「気合いだ!」ってこと

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    nessko 2012/10/08
    「ガチヤン/チャラヤン(ユルヤン)」 / ま、地方の学校ってもいろいろだから。地元有数の進学校だとたぶんヤンキーいないでしょう(いたら校内で孤独だろうな)
  • 原節子、死者の代理人 - ohnosakiko’s blog

    先日、ずっとかかりっきりだった原稿に一段落ついたので、一人で”小津トリエンナーレ”を開催した。”小津トリエンナーレ”とは三年に一回(くらいの割合で)、家にある小津安二郎の映画DVDを数日かけて観直すことである。『晩春』(1949)以降の作品のうちの10だけだけど。 小津作品の批評や研究も多い中、以下のような指摘も既にあるかと思うが、自分的に発見だったので書いておく。 いつも思うのが、原節子という女優の特異さだ。 周囲の人物はその役柄に嵌りその役柄を生きている人に見えるのに、原節子だけはいつも少しだけ浮いている。まったくもって生臭み、俗世間臭さがないのは、日人離れした骨格や目鼻立ち、あの発声と言葉遣い、服装(『東京物語』に顕著だが、白いブラウスと長めのスカートという超シンプルなスタイルが想像させる潔癖さ)のせいもあるが、それだけではない感じ。周囲の人々の中で、彼女だけ何か特殊な、この世の

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    nessko 2012/06/02
  • 現代アートとヴァイオリン少女 - ohnosakiko’s blog

    大学3年くらいだったと記憶しているので、今から30年前、80年代冒頭の話。 芸大の彫刻科は3年から素材によってコースが分かれており、私は金属を選択していた。そして、現代美術の底抜けの泥沼に足を踏み入れかけていた。 もちろんその時は泥沼などとは思わず、現代美術こそが新しい価値を創造するのだと信じていた。 当時、金属室の先輩たちの作品は、石や木を彫っている人たちの作品より「新しく」「刺激的」に見えたから、金属室は私にとって面白く居心地のいい場所だった。 学期の最後だったか先輩たちと飲みに行って、私と数人が助手の人の家に泊まった。朝、二日酔いの寝ぼけ眼で起きてくると、皆がテレビを見ていた。ヴァイオリン少女のドキュメンタリー。まだ子どもなのに凄いテクニックだ。お母さんがつきっきりで教えている。 「ステージママだな」 「子どもの時からあれじゃあ大変だよなぁ」 「きっとバイオリン以外何にもしてないんだ

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    nessko 2011/11/13
    音は脳内神経を直撃しますよね。/話が飛ぶけど、NHK高校講座・数学基礎に「美術と数学」「音楽と数学」というのがあるよ(3学期なので放送はまだみたい)http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/suugakukiso/index3.html
  • 私は「コドモノクニ」から来た - ohnosakiko’s blog

    だいぶ前から気になっていた『コドモノクニ名作選』(全2巻/アシェット婦人画報社)と、それに続く『コドモノクニ』vol.2、vol.3 をまとめて買った。私にとって、三冊一気買いするには少々お高い買い物だったが思い切って。 『コドモノクニ』とは、関東大震災の前年の大正11年(1922)に創刊され、終戦の前年の昭和19年(1944)まで発行されていた、言葉とビジュアルが一体となった幼少の子ども向けの雑誌である。絵と詩、お話のコラボレーションから成るこの「絵雑誌」には、北原白秋、野口雨情をはじめ当時の一流の芸術家たちが参集していた。 数々の童謡を生み、戦後の絵などに大きな影響を与えたその幻の雑誌が蘇るということで、最初の「名作選」が出た去年あたりにちょっと話題になっていたのである。 コドモノクニ名作選(全2巻) 作者:アシェット婦人画報社 編アシェット婦人画報社Amazonコドモノクニ 春 V

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    nessko 2011/10/02
  • 芸術への「信仰」 - ohnosakiko’s blog

    「「芸術」否定の書」と背表紙に銘打たれた『芸術崇拝の思想  政教分離とヨーロッパの新しい神』(松宮秀治、2008、白水社)は、「芸術はいかにして<神>となったのか」を近代ヨーロッパの思想、文化などと絡めて論じた。 国家権力から分離した宗教の穴を埋めるものとして、芸術が科学と同様に「市民宗教」の位置を占めていった経緯を明らかにし、近代以降の芸術崇拝がどのように定着していったかについて解き明かしている。 ‥‥と紹介するとかなり学術的な内容に思えるが、文章は平明で読みやすい。終わりの方は「肥大化した「芸術」という観念」を批判する余りやや筆が走っている印象もあったけれども、西欧で不当なまでに高い価値を与えられた近代以降の芸術(美術、アートに置き換え可)のあり方を見直そうとする筆者の主張は明快。「芸術は良いものだ」という「信仰」から自由な観点で芸術について考えたい人におすすめ。 芸術崇拝の思想―政

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    nessko 2011/09/14
    >「美術の定義の拡張」=良いこと、はわざわざ問うまでもない前提となっているように見える。