ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (124)

  • 相田みつをを最初にバカにした人 - jun-jun1965の日記

    相田みつを NHKのど自慢と現代詩|神谷光信 が死んだのは1991年で、そのあとになってベストセラー詩人になった。神谷光信のノートでは、2002年に島田雅彦が『現代詩手帖』で陣野俊史と対談して、都築響一が「「夜露死苦現代詩」で取り上げることになる相田みつをについて、聞くに堪えない言葉遣いで嘲笑している。谷川俊太郎も「私の好きな詩人は谷川さんと相田みつをさんです」と言われると「一番こたえる」と都築との対談で語っているが、相田を侮り蔑む視線はない(文庫版『夜露死苦現代詩』所収)。」としているが、私の知り限り、最初に相田みつをを公然とバカにしたのは、小田嶋隆である。1997年11月の『諸君!』に「「相田みつをは『便所の神様』」を書いてバカにしたのであるが、それを広めたのは池澤夏樹で、同じ11月28日の「朝日新聞」文藝時評で、枡野浩一の『どれみふぁんくしょんドロップ』などの短歌を称揚しつつ、「うっ

    相田みつをを最初にバカにした人 - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2024/10/10
    挿絵の効用についての観察、もっと読みたいね(私は挿絵フェチになるんで感覚が主流とずれるので余計に)。 あと、身辺雑記的エッセイは、もうマンガが主流になってしまいましたね。エッセイ全体に変化もたらすか?
  • 呉智英「バカに唾をかけろ」アマゾンレビュー - jun-jun1965の日記

    元左翼の坪内祐三擁護 星2つ、2022・3・20 前に出た『衆愚社会日』の続きで、『週刊ポスト』に連載されたもの。149-150ppに珍妙なことが書いてある。坪内祐三が死ぬ直前の文章で、悪いことが続くのは天皇霊が弱いからじゃないかと思っていたが、平成という元号が悪いんじゃないかというオカルト右翼なことを書いていて、呉智英が、天皇制は宗教的に考えるべきだとこれを肯定しているのだ。坪内とは親しかったみたいだが、だからといって。呉は前著とは違って書では天皇制批判にも踏み込んでいるのだが、私らの間では天皇・皇族に人権がないことから天皇制を廃止すべきだということになっているのに、人権思想を批判する呉は、その議論に触れることさえなく、ただ元左翼根性から共産党の話ばかりしている。私には共産党なんてどうでもいいのだ。呉の理想は「哲人政治」だといい、堯舜の禅譲は世襲への批判だと言うのだが、それなのに東ア

    呉智英「バカに唾をかけろ」アマゾンレビュー - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2024/09/22
    こういうタイトルの本、よろこぶタイプの方たちは、「劣等民族」「土人」とかいうと、そーだそ-だ♪もっといっちゃえ♪ みたいになるのかしらね。若い世代にはこの手のノリを嫌がる人が増えてる印象あるのですが。
  • 呉智英と私(4) - jun-jun1965の日記

    呉智英は、『週刊ポスト』の連載で、小保方晴子をスパイとして活用したらいいのにという戯文を書いていた。『あの日』が出たあとだったから、読んでないのかなと思い、ハガキを出して「小保方はスケープゴートにされたのです」と書いておいた。 その後で絶縁したのか、2018年にポストの連載が新書になった時、見たら、小保方についての文章はそのままで、付記がついていて、なお彼女の味方をする者がいる、とあったから、この人はミソジニストだなあ、と思ったことであった。 九大の教授だった中国文学の日下翠という人がいて、手紙のやりとりをして自著も送ったことがあったが、それが別の人がを送ってきた封筒の再利用だったから、あれじゃもてないわよ、と日下が言っていたということを呉智英が「マンガ狂につける薬」に書いていたのだが、誰とは書いていなかったから電話をかけて聞き出した。 呉によると、日下はマンガ学会に出てくるのだが、日下

    呉智英と私(4) - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2024/09/22
    このかた、女性の書いたものや言うことに関しては、わざとなのかかんちがいなのかよくわからん受け取り方をして、しかも笑い取るつもりですべりまくったこと書く癖がある。中野翠と友人らしいが、あーねーってとこか
  • 音楽には物語がある(69)「青春」嫌い  「中央公論」9月号 - jun-jun1965の日記

    先ごろ、三島由紀夫賞と山周五郎の選考委員会と、それに続く記者会見を見ていたら、山周賞の受賞作について、選考委員の小川哲が、「青春小説」としても読める、というようなことを言っていて、受賞者もその点について質問されていたので、おや、と思った。 文藝評論家の磯田光一が死んだのは、1987年の始め、私が大学院に入る少し前だったが、その時『現代詩手帖』が磯田の追悼特集を組んだので、やや意外に思いつつ買ってきたら、中に北方謙三の寄稿があった。北方は中央大学在学中に磯田に学んでいて、純文学小説を書いていたが、のち、『逃がれの町』などでデビューしたころ、磯田に会う機会があり、磯田が、君の小説、読んだよ、と言い、ああいうのを書いていくと新しい青春小説になるんじゃないかと言われ、北方が恐縮したということが書いてあった。 私はその時、「青春小説」という、まるで角川映画の宣伝文句に出てきそうな言葉を、ちゃんとし

    音楽には物語がある(69)「青春」嫌い  「中央公論」9月号 - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2024/09/10
    「青春」流行歌や映画の題に便利に使われてみょーな色がついちゃった言葉でしょうかね。もとは単に若い時期、青年時代を指す語だっけ。 ドストエフスキー『地下生活者の手記』は「青春小説」だと思ったけど
  • 松岡正剛『ひかりごけ』の「カーニバル」 - jun-jun1965の日記

    http://1000ya.isis.ne.jp/0071.html 久しぶりの松岡正剛ネタである。 「フランスでドラムカンに人間を煮詰めてべたという、いわゆる佐川事件である。そして、これを唐十郎が『佐川君からの手紙』として作品にした。 人肉をべること、これをカニバリズムという。 カーニバルとはそのことである。 書は人間の文学が描きえたカーニバルの究極のひとつであろう。『海神丸』『野火』とともに忘れられない作品である。」 ぷっ。お茶吹く。佐川一政が「ドラムカンに煮詰めた」って話は聞いたことがないし(女子高生ドラム缶殺人事件?)、唐十郎はそれを作品にした、のではないが、まあそれはいい。 カニバリズム=cannibalism カーニヴァル=carnival で、全然別の語である。canib はカリブ海のことで、カリブ海の民族は人肉をすると考えたイスパニア人が作った言葉。カーニヴァルはラ

    松岡正剛『ひかりごけ』の「カーニバル」 - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2024/08/24
    私ごときが何か言うようなものではないと知りつつ、犯罪実話マニアとして、調べやすい佐川一政のあの事件について何も読まずにここまでいい加減なことを書いていたのかと涙目になりそうです。殺人事件なんだぜ!
  • 福田和也『奇妙な廃墟』の感想 - jun-jun1965の日記

    もう20年以上前、福田和也が保守の論客として華々しく活躍していたころに、誰かから、「奇妙な廃墟」だけはいいだと言われた。私は、いいなんだろうなと思いつつ、を買いまでしつつ、今日まで読まずに来たが、とうとう読んで、これを30歳そこそこで書くというのはすごいことだと思い、しかし22歳から29歳まで7年かかって書いたというのを読んで、まあ7年かければできるかなと思った。だがこれだけのものを書いても、ナチス協力作家が対象では、フランス文学者として大学でのキャリアは得られないのか、と思った。 このは徹頭徹尾、客観的なアカデミズムの文章で書かれていて、文藝評論家的な跳躍はないし、日の文学者を例として持ち出すことすらしていない。どちらかというとちくま学芸文庫の柄谷行人の解説のほうが、悪く文藝評論的に書かれている。だが、どこまでがフランスその他海外での研究では明らかにされているのかは、卒読しただ

    福田和也『奇妙な廃墟』の感想 - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2024/08/22
    >この本は徹頭徹尾、客観的なアカデミズムの文章で書かれていて、文藝評論家的な跳躍はないし、日本の文学者を例として持ち出すことすらしていない。
  • 文化大革命を起こしてはならない - jun-jun1965の日記

    ガヤトリ・スピヴァクの「ある学問の死:地球志向の比較文学へ」が翻訳されたのは2004年のことだ。ここで「死」を宣告されているのはもちろん比較文学で、旧来型の比較文学はもうやることがなくなって死んでいるから、今後は「社会正義」のために文学研究はあるべきだと述べている。当時、山形浩生がこれにアマゾンレビューで一点をつけて、比較文学なんてとっくに死んでいる、と罵倒していたのは、そのような方向性に反対だからで、のちにプラックローズらの『社会正義は常に正しい』を訳して、社会正義のために人文学を用いることを批判した山形らしい。 学問というのは、自然科学がそうであるように、客観的な事実を提示するものであって、政治的に正しい議論を導くものではない。だが、文学研究というのは、基的な作業が終って、もうあまりやることは残っていない。それに対して、今後の文学研究は社会正義のためにあるべきだと言う人たちが、ポスト

    文化大革命を起こしてはならない - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2024/08/11
    「もし文学研究がもうやることがないなら、ダウンサイズして、これまで分かったことを教えるだけの文学学校的なものになるのもやむをえないと私は考えている。文化大革命を起こされるよりはずっとましである。」
  • 「女工哀史」をめぐる二冊の本 - jun-jun1965の日記

    湯浅規子の「焼き芋とドーナツ」というをちらちら読んでいたら、これが、高井としをの『わたしの「女工哀史」』と、サンドラ・シャールの『『女工哀史』を再考する』という二冊のをめぐって書かれたであることが分かったので、この二冊を図書館で借りてきた。 高井としをは、『女工哀史』を上梓してすぐ死んでしまった細井和喜蔵の内縁ので、その後労働運動に挺身し、戦後になって自伝的回想を出したうち、まとまっているのが『わたしの「女工哀史」』で、1980年に刊行され、2015年に岩波文庫に入った。 これを半分くらい読んだ。高井というのは旧姓ではなく、旧姓は堀で、高井は細井が死んだあと再婚した高井信太郎の姓で、高井も戦争中に病死している。 とにかくやたら気が強い女なのには驚かされるのだが、どうも読んでいて一抹の違和感がある。細井が死んだあと、新聞に「細井和喜蔵未亡人ご乱行」という記事が出て、売れていた『女工哀

    「女工哀史」をめぐる二冊の本 - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2024/07/05
  • 車谷長吉「忌中」の虚実 - jun-jun1965の日記

    私は、伝記を書いた作家、つまり谷崎潤一郎、久米正雄、里見弴、川端康成、近松秋江、大江健三郎、江藤淳の著作は基的に全部読んでいるが、それ以外にほぼ全作品を読んでいる作家となると、車谷長吉と西村賢太になろうか。 車谷の「忌中」という非私小説があって、私は好きなのだが、それは作中に越谷と水海道が出てきて、それが私の二つの郷里だからである。 精神科医の春日武彦は、2005年から06年にかけて『文學界』に「無意味なものと不気味なもの」を15回にわたって連載し、不気味な文学作品の短編を15取り上げて論じている。のち文藝春秋から刊行されている。しかし業でもないのによくこんなマイナーな小説を読んだなと呆れるくらいだが(ただし古井由吉、高井有一、富岡多恵子など、作者名は有名である)、その14回目で車谷の「忌中」を取り上げて論じている。「うふふ。」という変な題名である。 筋をいえば、流山に住む菅井修治と

    車谷長吉「忌中」の虚実 - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2024/06/05
    >朝日新聞1984年8月18日夕刊  玄関に「忌中」の紙張り、自殺 野田で病気と借金苦の老夫婦
  • 歴史上の人物の名誉毀損 - jun-jun1965の日記

    新潮社のPR誌『波』に、俳優の高嶋政伸が「インティマシー・コーディネーター」というですます調の文章を書いている。私はほとんど観たことのない「大奥」というドラマで高嶋が徳川家慶の役をやり、自分の幼い女児に性的暴行を加える話を撮影するのに、役を演じる女児がトラウマにならないように配慮するのを統括する仕事の人のことで、高嶋自身もやたら配慮している。だがこのドラマは女が将軍をやる話ではなかったのか? まあそれはいい。 しかし、私は一読して、そういう配慮を素晴らしいと思うより、そんなフィクションの映像をわざわざ作らなくてもいいではないかと思った。だいたい徳川家慶は歴史上の実在の人物で、自分の娘を強姦したなどという事実はない。いくら歴史上の人物とはいえ、これは名誉毀損ではないか? 考えてみるがいい、勝海舟や近藤勇が女児強姦者だなどというドラマが作れるか? ジョージ・ワシントンやナポレオンがそういう変態

    歴史上の人物の名誉毀損 - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2024/04/03
    あの文章自体が非常に防衛的で(撮影の際にそういう配慮がされているなどが知られるのはいいことかもしれませんが)、芝居なのになんでそこまでという印象も受けました。演じる側見る側にあった了解がもう消えてる?
  • 創作「これはフィクションです」終 - jun-jun1965の日記

    ふと、蕨ミニシアターというストリップ劇場へ行ってみようか、と思った。これは九年くらい前に一度行ったことがある。埼玉県のさいたま市の南にちんまりと存在する蕨市の蕨駅から歩いて少し行ったところにあるが、狭い階段を昇って行って、貧弱な楽屋みたいなところから入っていく実に小さな劇場だった。司馬遼太郎の「坂の上の雲」に「まことに小さな国が」とあるが、日はツバルやバルバドスに比べたらまことに小さくはない。蕨ミニシアターは、その点、まことに小さい。だが、調べてみてすぐ、昨年の春蕨ミニシアターは火事に遭って焼けてしまい、いま再建運動をしていることが分かった。泉は、それではあの古ぼけた佇まいはもうなくなってしまうだろうと、寂しく思った。 前に触れた榊敦子というトロント大学教授の英語の新刊『鉄道文学という物語理論』(Train Travel as Embodied Space=Time in Narrati

    創作「これはフィクションです」終 - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2024/03/25
    「これはフィクションです」←大昔のPILの”This Is Not Love Song”という曲名を思い出したりしたが、ネットで時折使われる”(※イメージです)”に近いノリなのかな? でも書かれているいやがらせはこわい、サイコっぽい
  • 創作「これはフィクションです」(3) - jun-jun1965の日記

    その夏は、どえらい暑さだった。地球温暖化がどんどんひどくなっているのではないかと、泉は不安になった。のいるフランスもかなり暑いらしかった。 泉には、友達がいない。もちろん、学生時代の知り合いとかで、何かあったらメールするとかいう相手はいるが、酒を呑まないせいもあり、時どき会って酒を呑むという友達はいない。非常勤講師でも、講師控室で、ほかの非常勤の人と話が合えばラッキーだ。もう二十年くらい前に、さる大手大学で非常勤をしていた時、当時は講師室が喫煙可だったから、喫煙者の集まるテーブルがあり、そこで話していたのが楽しい思い出になっている。その時知った蒲生さんという、ノースロップ・フライの研究をしている人は、今では母校の落柿舎大学の教授になっている。いや、准教授だったかもしれない。 紅子さんという人がいる。元吉原の高級ソープランド嬢で、今は引退して五十歳、高校生になる息子のいるシングルマザーで、

    創作「これはフィクションです」(3) - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2024/03/24
    淡々とおもしろいですね 私ごときが感想書くのは失礼になりそうですが、読んでてソープに行く前にバイアグラ服用するとかしてもいいんじゃないかと思ったりしたよ(あれ時間がめんどうなんだっけかな?)
  • ケン・フォレット「大聖堂」が日本ではイマイチなのはなぜ - jun-jun1965の日記

    先日、アメリカの作家ケン・フォレットが12世紀英国を舞台にして書いた大長編『大聖堂』について、これははじめ新潮文庫で翻訳が出たので、新潮社の校閲の人が原作のミスを見つけたという記事を読んだ。前から『大聖堂』は気になっていて、世界で二千万部のベストセラーだと言われていて、しかし長いので手をつけられずにいたのが、それで気になって、調べたらドラマになっているので、ドラマの第一回を観たがそれほど面白くはなかった。だが原作を借りてきて全三冊の上巻を読んだら面白かったのだが、周囲の人に訊いても、誰も「読んだ」という人がいないので、Xで投票にかけてみたら、読んだという人はごく少なく、大多数は「何それ、知らない」であった。 それでも、もちろん普通のよりは読まれているが、「ハリー・ポッター」に比べたらさしたる成功を収めていない。 かつて渡部昇一は、アメリカの作家ハーマン・ウォークという、『ケイン号の反乱』

    ケン・フォレット「大聖堂」が日本ではイマイチなのはなぜ - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2024/03/03
    映画で観ただけだけど、「ダ・ヴィンチ・コード」、前評判ほどいいと思わなかったわ。こけおどしというかね(それがうまいのか?)単に話題の娯楽作くらいの宣伝されてたらそういう感想にはならなかっただろうなって
  • 四方田犬彦「「かわいい」論」 - jun-jun1965の日記

    2006年1月に刊行されてけっこう話題になっただが、今回初めて読んだ。私は四方田という人に対して複雑な感情を抱いていて、大学院に入ったころ、面識のない先輩としてそのエッセイ集『ストレンジャー・ザン・ニューヨーク』を読んだ時だけ、素直に面白いとして読めたのだが、その後読んだ『貴種と転生』という中上健次論や、『月島物語』といういかにもおじさん受けしそうで実際に受けたを読んだ時はさして感心しなかったし、『先生とわたし』という、私も英語を教わったことのある由良君美先生について書かれたの時は、いくつか小さな事実誤認を見つけ、それなりにちゃんと書いておいたのだが、文庫化に際してそれらは訂正されていなかった。その頃には、著者の人格に対する疑念も持っていたし、嫉妬心も抱いていた。 四方田は大阪箕面という、私が阪大時代に住んでいた背後の土地で育ち、両親が離婚して母方の四方田を名乗るようになったという

    四方田犬彦「「かわいい」論」 - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2024/02/24
    「ヘンリー・ダーガー」 アウトサイダーアート、いがいとゲテモノ好きサブカル好きはふつうに知ってたりする、たまたま猫猫先生は疎遠だっただけだろう(悪趣味苦手っぽいしね)
  • 売春婦差別について - jun-jun1965の日記

    私は24年前、「セックスワーカーを差別するな」と呼号する澁谷知美に、そういうことを言うなら自分がアルバイトでもソープ嬢とかやってみるべきだろう、と言ったのだが、こないだふと、なんであんなこと言ったのかなと思ったのだが、あの当時は私は売春撲滅論者だったが、その後転向して売春必要悪論になり、売春防止法は改廃すべきだと思うようになったから、ともいえるのだが、あれは当時の澁谷が、松沢呉一のアジテーションに載せられて浅野千恵とかをやたら攻撃したり、売春婦がなぜ蔑視されるかについて珍妙な説を唱えたりしていたせいもある。 しかし今でも、日常的な差別、たとえば隣に住んでいる人が元売春婦だと知ったら、普通の人づきあいは無理だろうというくらいには思っていて、これは現状では避けられない。コロナの時の給付金とかの話になると、まず合法化が先だろうという話になる。 それに私は近世から昭和初年までの人身売買による売春を

    売春婦差別について - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2024/02/08
    浅野千恵がそんな風に攻撃されていたとはショック。(私は戦力外読者にしかなれない者だが、浅野千恵は大事なことを言っているのにまともに聞いてもらえてないことが多い印象があって)
  • 映画「全身小説家」の感想 - jun-jun1965の日記

    原一男が井上光晴が死ぬまでを撮影したドキュメンタリー映画「全身小説家」を、私は2000年ころ観ようとしてビデオを借りてきて最初のほうを観て、ガンと診断される場面を見て、これで最後に死ぬんだと思い、恐怖を感じて残りは見ずに返してしまった。 先日、映画「あちらにいる鬼」という、娘の井上荒野が、井上光晴と瀬戸内寂聴の愛慾関係を描いた小説映画化を観て、井上がやっていた「文学伝習所」の教え子であった山下智恵子の「野いばら咲け」を読んだ。井上は伝習所に来る既婚婦人らにかたっぱしから言い寄りキスしたりセックスしたりしていたらしく、「全身小説家」にもそのことが描かれていて、映画が出たあとで伝習所の女性らから、抗議しようという声が上がったが山下はそれには乗らなかったとあった。 そこで改めて「全身小説家」を観てみたのだが、これの主題は「嘘つきミッチャン」ということで、自分の子供時代のことについて、旅順生まれ

    映画「全身小説家」の感想 - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2023/05/27
    寂聴がいってるのは「セックスもしたけど、そのあとは親友みたいな関係になりましたよ」ということなのでは。まあ、愛人とか恋人とかいう間柄ではなかったんだろうね。
  • 津原泰水と私 - jun-jun1965の日記

    私が津原泰水という作家を知り、いきなり電話で話して面倒なことになったのは、ちょうど十年前、2012年9月のことだった。二歳年下の津原は、当時川上未映子とトラブルの関係にあった。これは2010年に川上が新潮新人賞の選考委員に抜擢された時、津原が異を唱え(芥川賞受賞から三年で、早すぎるというのだろうが、これは私にも異論はない。新潮新人賞は又吉直樹の時も同じことをした)。そのあと津原の掲示板や2chに津原への誹謗中傷が書き込まれるようになった、というのが発端らしい。津原は川上とは面識があり、「尾崎翠とか読んだら」と助言したが、川上は尾崎翠を知らなかったとかいうのだが、川上の出世作「わたくし率 イン 歯ー、または世界」(2007)が、津原の「黄昏抜歯」(2044)の盗作だというのは、津原が言ったのではなく、どこかから出てきた噂だったが、津原が自身への誹謗中傷の書き込みを川上、または川上の指示を受け

    津原泰水と私 - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2022/10/18
  • ■ - jun-jun1965の日記

    筑摩書房のPR誌『ちくま』12月号の、笙野頼子の連載「小説」「おはよう、水晶−−おやすみ、水晶」の七回「ヴァーチャル・ナイト」の最後のページで、笙野は名前を出さずに私を中傷している。しかし明らかに私だと分かる。卑怯なことである。筑摩には、反論掲載を打診したが、 ・名前が出ていないこと ・PR誌で、論争の場として適当でないこと を理由に載せないそうである。 ことの発端は、大庭みな子監修『テーマで読み解く日の文学』上巻に、笙野がおかしなことを書いたのを、私が『新潮45』二○○四年十一月号で批判したことにある。以下、その笙野に関する箇所を掲げる。 −−−−−−−−−−−−−−−− 大庭みな子監修『テーマで読み解く日の文学』の上巻に笙野頼子が奇妙なことを書いている。「私の知人小谷真理氏の、テクスチュアルハラスメント裁判の結果報告『叩かれる女たち』中の座談会において、なんだか唐突に上野千鶴子は

    ■ - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2022/06/26
    「おはよう、水晶−−おやすみ、水晶」は読んでるんだけど、猫猫先生のこといってるとかはぜんぜん気づかなかったわ。なんか笙野怒ってるな、でおわり。私がぼんやりしすぎてるだけだけどね。
  • 女は残酷趣味? - jun-jun1965の日記

    「オール読物」で直木賞の選評を読んでいたら、「テスカトリポカ」の評価について選評で論争をしているような趣きがあった。中でもちょっと怖かったのは三浦しをんで、その残酷描写への批判に対する「反論は、『ジョジョの奇妙な冒険』の名言「お前は今までべたパンの枚数を覚えているか?」に尽きる」として、残酷なことが行われているのは事実であり、それを描写し、それを行った者は滅びているのだからいいのだ、と書いている。説明はともかく、「ジョジョ」というのは私は最初のほうを読んだだけで、この「名言」がどういう文脈で出てくるのか、またその意味もよく分からず、むしろ三浦しをんの熱情のほとばしりに恐怖を感じた。 残虐趣味について、道徳的にどうかという選考委員がいて、それへの反論があるのだが、私は単に、残酷描写を読むのが苦痛だったというだけで、ただそれでは作品への批判にならないから、道徳的云々と言っているだけで、話がか

    女は残酷趣味? - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2021/08/23
    「それを行った者は滅びているのだからいいのだ」直木賞だとこうなるのかなあという感想が。エンタメ系だとエログロOKの言い訳としてよくでてくる言い方ですよね。(さすがに滅びないとだめなのかね、純文学ならOK?
  • 偉大なる通俗作家としての乱歩--そのエロティシズムの構造 - jun-jun1965の日記

    偉大なる通俗作家としての乱歩--そのエロティシズムの構造 小谷野敦 江戸川乱歩・名平井太郎は、一八九四年の生まれである。このことは、二十代がまるごと、僅か十五年の大正時代に収まるということを意味する。芥川龍之介は二歳年長、久米正雄は三つ、室生犀星は五つ上だが、この世代が、大正の文化に触れながら青年期を送った世代であることに注意したいと思う。大正期こそは、昭和につながる様々な「文化」を醸成した時代だったからである。和洋折衷の「アッパー・ミドルクラス」が形成されたのも、この時代である。久米は、大正五年末に夏目漱石が没した後、その長女筆子に「恋」をするが、結局筆子は松岡譲と結婚し、久米は失恋する。いわゆる「破船」事件だが、その「恋」に、良家の令嬢というものへの憧れがあったことは、当時から友人の菊池寛などに指摘されていた。同じ頃、年齢的にはまだ二十歳で、『地上』一作で天才と呼ばれた島田清次郎は、

    偉大なる通俗作家としての乱歩--そのエロティシズムの構造 - jun-jun1965の日記
    nessko
    nessko 2021/04/27
    映画「黒蜥蜴」も、京マチ子のが忘れられてるので、あれも再評価して欲しい、美輪明宏のはたぶん三島由紀夫の戯曲の映画化で、京マチ子のほうが小学校の図書室で読んだポプラ社の乱歩のテイストがあるのよね。