「なつかしさ」とは別なモードになって初めて、文化史や風俗史は成り立つものかも知れない。逆に、「なつかしさ」を駆動させておかない・おけないジャンルだと、資料が失われやすいのかも知れず。このへんパラドキシカルに思えるかも知れないが、案外見逃されているポイントかも。 「なつかしさ」が素直に同時代の気分として稼動している間は、直近の記録が残されやすいのに対して、それが一定の期間を過ぎ、「なつかしさ」を親身に覚える世代が世の中から退場し始めるようになると、それに比例して残される記録のタイプも変わり、またそれら記録に対する意識の仕方も変わってくるような。このへん、「現代史」というもの言いに関連してこれまでもあれこれ議論が繰返されてきたあたりのこととも関連するかと。「歴史」はどこから始まるのか、またあるいは、どこまでが「現在」でそこに「歴史」はどのように介在し得るのか、とか。 「歴史」のための資料、記録
お邪魔します。一部男性集団の呼称がオタクだったからで、オタク呼びそのものがコミケ開始からかなりあと、かつやおい八割の頃の方が長いんすよ。ヤマトガンダムゴッドマーズキャプテン翼星矢トルーパーシュラトの流行りの後くらいにオタクて言葉が出て、やおいを読む側の呼称は無かったんすよ— こもちキッコー (@karahana0358) 2021年3月16日 んで、同人界のやおい八割と、その他とは、ものすごく遠かったんすよね。そもそも存在も知らないくらい同人誌というとやおいだった人たち(地方の女子中高生が多い)んで、女子の文化だから自称も他称も必要無かったんすよ。なんか趣味同じよね、同じアニメ好きだよね、でもファンでもないな?ていう。 普通に人形遊びする女児の集団がいたとして集団内の子が自他をチームとして名乗るかというと名乗らないのと同じですね。変わった子、なんか合う、だけで通じるから呼称が必要なかったん
日露戦争の後、ポーツマス条約を何とかまとめてアメリカから帰国した全権小村寿太郎を待っていたのは、どうしてあんな屈辱的な条件で締結たのだ、という国民の呪詛の声だった。自宅は暴徒に取り囲まれ、日比谷焼き討ち事件にまで発展。けれども、小村は「わが国民は頼もしい。ああいう気概を持っているのなら日本は大丈夫だ」と言ったと伝えられる。 いずれ歴史上の美談、真偽は定かでない。けれども、ポーツマス条約から一世紀と一年、ネット住民の動向を見ていたら、今回の大島賢三国連大使も同じ感慨を抱くかも知れない。たとえそれが、安部官房長官率いる首相官邸と麻生外務大臣に叱咤激励、尻を叩かれ続けた末の成果だったとしても。 ■六カ国協議にて■ 日本 「すまん。トイレ逝ってくる」 米露韓中北「いってらー」 中国 「日本を本気で怒らせてみたいが、潜水艦で領海に入っても怒らない」 韓国 「独島を占拠しても怒らない」 ロシア 「
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