ブックマーク / king-biscuit.hatenablog.com (91)

  • 鳴り響き始めた“戦後の終焉”の号砲 - king-biscuit WORKS

    「戦後レジームの脱却」、ということが言われています。言わずもがな、安倍内閣が掲げる金看板。先の第1次内閣のころほど表立って言わなくなっているように見えるのは戦術でしょうが、それでも、いまだ安倍さん自身の政治家としての課題として、おそらく最重要事項であることは間違いない。 もちろん、これをめぐっていろいろ異論異見が山ほど出てきているのも、何も今に始まったことでもない。いや、先の第1次安倍内閣がそれまでの歴代自民党政権に比べてもいささか異様に感じられるほど、新聞やテレビ以下のマスメディアから集中砲火をらって事実上政権から引きずり下ろされたような形になった、その理由というのも、最も焦点距離を引いたところでは、この「戦後」レジュームの脱却ということを前面に、ちと馬鹿正直に見えるくらい率直に掲げてしまったことが大きかったんじゃないか、と思っています。 ことほどさように、「戦後」を「疑う」、というこ

    鳴り響き始めた“戦後の終焉”の号砲 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/04/21
    オバマ大統領ってけっこう大きかった気がする。オバマ勝利でその前のブッシュ政権の諸々はもう過ぎたこと済んだことにアメリカがしてしまったし、史上初黒人大統領誕生でリセットしてみたら、トランプ蠢動しだした
  • 「団塊」的知性論 - king-biscuit WORKS

    *1 団塊の世代の、特にプチインテリ層 (関川夏央ならば「知的大衆」と呼ぶかも知れません) 特有の世界観や価値観、というのは、そろそろまともに、言葉来の意味での「歴史」的な文脈での考察対象にしておいた方がいいと思われます。 単なる「サヨク」だの「リベラル」だのとひとくくりにしているだけでは、どうしてそのような発想に落ち込んでゆくのか、その仕組みが見えないままだし、何より現われだけを軽侮して終わってしまいます。 ブロガーなどにわかりやすく見られますが、やはり何というか、「サヨク」「リベラル」系のもの言いや発想、価値観などが、すでにあらかじめプラスの評価として固定されている、そんな代物です。 それは言葉によって表明される思想や信条、ものの見方や考え方などに自分も同調する、という次元の手前で、そういう言葉によって何ものかを表明すること、それ自体にあこがれて発情してしまっている自分がいる、という

    「団塊」的知性論 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/04/21
    ちょっとズレるけど、ビートルズが徴兵がなくなった最初の世代の子だったとか、わりとつながってきてるのかなって。アメリカはちがったかもしれませんが。日本の団塊世代はワイマール共和国と似てるかな?
  • 「情緒」と「情調」のあいだ - king-biscuit WORKS

    ● 「文学」とか「芸術」とか、言葉にし、口にすること自体、どうも気恥ずかしく気おくれがする。と言って、「アート」とか「クリエイティヴ」(これ、形容詞のはずが、なぜか名詞みたいに使われているようですが)とか、横文字をそのままカタカナにしてわかったような顔をするのは、なおのこと許せない。なので、「ブンガク」だの「おポエム」だのと敢えて茶化し気味にして初手から身軽にさせておかないことには、うまく手もとで道具として使い回せない。その程度には、この邦日語を母語とする環境において近代このかた増殖させられてきた、多くは外国語からの翻訳に由来するこれら漢字熟語の語彙の暴れ具合というのは未だに実に厄介なものです。 どう苦心惨憺、工夫してみたところでそれらはうまく言葉に乗りにくい。だから、ひとつの言葉やもの言いに何らかたてつけのはっきりした意味を背負わせてその上で話を紡いでゆく、あるいは論の脈絡をつけてゆ

    「情緒」と「情調」のあいだ - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/04/12
    小唄って、アメリカでいうブルースやバラードに近いんでしょうかね。軍歌は、兵隊さんたちみんないっしょに歌いながら行進したりしたのでしょうか。敗戦後はアメリカになるけど、その前はヨーロッパがハイカラ源かな
  • 業界の常識――あるいは「壇」のゆくへ - king-biscuit WORKS

    「文壇」だの「論壇」だのはもうとっくに滅びてるのは自明です。「壇」に見合った共通利害も見えなければ、同志意識もすでに希薄。何より「文学」自体の権威が失墜してますから、いまどきそんなものがある、あるいはあって欲しいと思うのは、その「文壇」によっておのれのアイデンティティを保たれているようなバカばかり。それこそ新宿三丁目の数軒の飲み屋、半径数百メートルの狭い狭い世間が全てと勘違いしているような物書きや評論家、編集者十数人によってかろうじて保持されている幻想に過ぎません。 去年細部に至るまで暴露された田口ランディの「盗作」沙汰に典型的なように、仕事しての物書きの最低限の常識までが崩壊しているのがこの業界のいまどき。その最大の理由は、ひとつにはおそらく出版から放送にいたるまで、大手メディア稼業の収入が高すぎることにあるように思います。「おいしい思いしてるから、まあいいや」という薄汚い共同性が共有さ

    業界の常識――あるいは「壇」のゆくへ - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/04/08
    2003年、ですね。80年代の広告バブルは雑誌方面も潤していて、物書きにも恩恵はあったんでしょうが、21世紀に入ると雑誌という分野は翳りがでましたよね。少子化も大きいのかな、若い子の数が減ると買う子減るものね
  • 書評・吉見俊哉『都市のドラマツルギー』(弘文堂) - king-biscuit WORKS

    都市のドラマトゥルギー (河出文庫) 作者: 吉見俊哉 出版社/メーカー: 河出書房新社 発売日: 2008/12/04 メディア: 文庫 購入: 6人 クリック: 57回 この商品を含むブログ (27件) を見る 「東京」が変貌している。おそらく、関東大震災の時や、空襲によって焼きつくされた時以上のねじまげられ方で、「東京」は、いま、新しい被膜を身にまとわされ始めている。 言うまでもない、それは現象としては「地上げ」による巨大な圧力によるものである。しかし、それはまた、単に土地の価格の体系にアンバランスが生じた、というだけのことではないだろう。そのねじまげられてゆく底で、例えば「東京」に蓄積された「さら地の記憶」が、どのように呼びさまされているのか、そんなことを等身大で見つめてみたい、という気がするのだ。 闇市が戦後の出発点であったことは、これまでにも論じられてきたことではある。だが、そ

    書評・吉見俊哉『都市のドラマツルギー』(弘文堂) - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/04/04
    いまの大衆文化産業の多くが大阪からはじまったのも忘れられている(橋本治はそれに触れていた)。それだけ東京一極集中が進んだってことだろうけど。小林信彦みたいな東京原住民の目から描いたものはあるな望郷的に
  • It’s only yesterday, but…… - king-biscuit WORKS

    はじめて繋いだ時は全身の毛穴がひらいたようだった。ネットはいろいろおもしろすぎて、テーブルいっぱいのごちそうをどれからたべようか悩んでる子供みたいだった 95年くらいからネットが普及しだした。 その頃は世紀末で、人類が滅びるwかもって不安と、新しい時代が来るって希望があった。 あのころが一番楽しかった。 ネットが異世界につれていってくれたように感じた。 今は、もう慣性で続けてるだけでほとんど面白いとは思わないな 老い先短い年寄りたちが陽だまりに寄り添っての昔語り、ではない。犬並みに時が過ぎ去ってゆく“ドッグイヤー”が常態の電網空間のこととは言え、具体的にはわずか十年ほど前、言わば、つい昨日の話、である。 そのつい昨日、を思い返せば、しかし、すでにはるか遠い昔のように思える。記憶の銀幕の向こう、おぼろにかすむ風景。あれだけ熱く、真摯にインターネットに接続しようとし、夜11時からのテレホーダイ

    It’s only yesterday, but…… - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/04/03
    よくいわれることだけど、最初無料で使わせて依存症に仕立ててしまうってのが薬物の売人に似てるって。いつのまにか必需品になってるね。いまだにスマホ使えてないけどパソコンで間に合ってるし、もう依存症やろなて
  • 「80年代」の終焉 - king-biscuit WORKS

    ああ、こりゃほんとに「八〇年代」が終わったんだな、と今、しみじみ思っている。 地下鉄サリン事件から始まった一連のオウム真理教がらみ(とされる、とひとまずまだ言ってはおこう)事件についてはすでにあれこれ山ほど言われているし、これから先も言われるだろう。また、きちんと言われなければ困る。 警察の強制捜査についての違和感、あるいはもっと安易にはメディアの報道姿勢に対する批判というのが、すでにちらほらと出始めている。久米宏が強制捜査初日に「警察国家化は困る」と言ったという報道があったし、僕自身は未確認だが、例によって島森路子がテレビのコメントで同じような趣旨のことを言ったとも聞いた。もっとも、久米は事態が明らかになるにつれてただごとではないのを敏感に察知したらしく、翌日からはガラリとトーンを変えて口ぬぐったのはさすがだが、島森などは警察庁長官銃撃の後でもなおこんなことを平然とぬかしてたというから、

    「80年代」の終焉 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/03/27
    これはほんとそんなかんじだった。オウムがロシア行って変なものいっぱい買ってたのも、バブル時代の日本は金満大国だったなあその名残りあったし。地下鉄で通勤していたカタギの市民が大勢被害にあったのが決定打か
  • 「みんな」と「大衆」・小考 - king-biscuit WORKS

    ● ラジオやレコードなど、「飛び道具」の登場してきた情報環境における「うた」の転変の周辺を、例によっての千鳥足で経巡ってきていますが、今回はちょっと迂遠な話を。それらの千鳥足の道行きの背景、書き割りの部分の整理という感じで。 「広告・宣伝」が、その働きかける向こうに見据えているのは、社会であり、世の中であり、世間であり、いずれそのような言い方で指し示されている茫漠とした拡がりを持つ何ものか、ではありました。その中にひとりひとり、個々の人間がいるのは確かですが、それらがとにかくたくさん、無慮膨大な形象として存在している、そういうイメージ。敗戦までなら「国民」とか「同胞」と呼ばれていたような、そしてそれは戦後には「みんな」と開かれて、気易く口語的に使い回されるようにもなっていったような。 「みんな」の気持ち、感じ方、考え方、そういうものが改めて、これからの日には大事なんだ、それらをそれぞれ言

    「みんな」と「大衆」・小考 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/03/17
    敗戦は大きいよね。それまでの支配層が敗者になった。そのあとアメリカが来てアメリカ色に染めようとして、それであれだ、アメリカさんには見えない原住民事情もあったりして。
  • 学校という依代 - king-biscuit WORKS

    *1 今からちょうど百年ばかり前、この国の、とある小さな町の中学校の教員の書き残した日記に、次のようなエピソードが記されている。 彼の受け持ちのクラスに横木という少年がいた。大工のせがれで、両親には彼を中学へあげるだけの余裕がなかったが、小学校時代から才能をあらわしていた彼を見込んで、ある資産家が学費を出してやろうと申し出てくれた。秀才だった。だが、勉強のしすぎで身 体をこわし、生死の境をさまようことになった。その瀕死の床で、「おまえ、何かこうしてみたいということがあるかい?」という両親や友人たちのことばに、彼は「ああ、ぼくは学校に行きたいなあ、学校がみたいなあ」と答えた。月のない寒い夜だった。綿入れのドテラを着せてもらった彼を房市という寄宿先の下男がおぶい、ちょうちんをさげた父親が付き添って、三人は学校へ向かった。 「灰色の大きな校舎は、夜だから、見てもまっ黒であったが、横木にはそれが見

    学校という依代 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/03/17
    団塊の世代とか、大学卒業してもぶらぶらしてマスメディア周辺で子ども相手のサブカルチャー誌で、なんかもうふつうに大学出て企業や役所に就職するようなのは〇〇やでーみたいに書き散らしてたね。毒立小便てかんじ
  • 林 芙美子 - king-biscuit WORKS

    『放浪記』が好きだ。 たとえば、女給仲間との身の上話に興じる様子を描写したこんな一節。 「こんな処に働いてゐる女達は、初めはどんなに意地悪くコチコチに用心しあってゐても、仲よくなんぞなってくれなくっても、一度何かのはずみで真心を見せ合ふと、他愛もなくすぐまゐってしまって、十年の知己のやうに、姉妹以上になってしまふのだ。客が途絶えてくると、私達はよくかたつむりのやうにまあるくなって話した。」 あるいは、観察から心象へとゆるやかに流れてゆく次のような描写。 「魚屋の魚のやうに淋しい寝ざめなり。四人の女は、ドロドロに崩れた白い液体のやうに、一切を休めて眠ってゐる。私は枕もとのたばこをくゆらしながら、投げ出された時ちゃんの腕を見てゐた。まだ十七で肌が桃色だ。お母さんは雑色で氷屋をしてゐたが、お父つあんが病気なので、二三日おきに時ちゃんのところへ裏口から金を取りに来た。カーテンもない青い空を映した窓

    林 芙美子 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/03/17
    戦前からこういう風に物書きとして世に出る女性はいたのですね。そして、この林芙美子のような「女であるからこそのものごとの捉え方」を言葉で伝えられる人こそが女流としては価値がある。男と異なるから価値がある
  • 「団塊の世代」と「全共闘」㉓ ――快適なシングルライフ、の尖兵 - king-biscuit WORKS

    ●快適なシングルライフ ひとり者=シングルの始まりは団塊世代か、ということについて、友人の山口文憲が『団塊ひとりぼっち』というで書いていた。これはさっきちょっと触れた七○年以降の社会インフラの整備と関係することだけど、地域の共同体は崩壊してすでに隣の人の顔さえ知らなくなっててても、家にはインターネット、近所にコンビニがあって、電話一で深夜でも救急車を呼べる、そんな環境が全国的に広く普及した。だから、その意味では一人暮らしは今や快適になってしまったわけだ。 団塊ひとりぼっち (文春新書) 作者:山口 文憲文藝春秋Amazon 戦前は、旦那に子供がいなくても、奥さんが結核ででも死ぬと「ご不自由でしょうね」と、何となくそういう人が来たものだったわけだ。シングルは「ご不自由」、つまり不便と同義語だったんだな。で、それ以上でも以下でもなかった。だから「取りあえず、身のまわりのお世話する女でも置い

    「団塊の世代」と「全共闘」㉓ ――快適なシングルライフ、の尖兵 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/03/14
    小林信彦『テレビの黄金時代』(文春文庫)の主役ともいえる日本テレビのプロデューサーだった井原高忠は団塊の世代について「馬鹿な教育を受けた最初の世代」と言っていたそうで、あのへんの世代との違いは要注意か
  • 書評・ナンシー関『信仰の現場』 - king-biscuit WORKS

    信仰の現場 ~すっとこどっこいにヨロシク~ (星海社 e-SHINSHO) 作者:ナンシー関講談社Amazon信仰の現場: すっとこどっこいにヨロシク (角川文庫 な 30-3) 作者:ナンシー関KADOKAWAAmazon ● もともと1994年に角川書店から出されたもので、すでに30年以上前の一冊。それを「底とし、軽微な修正を加え、新書化したもの」(巻末の但し書き)、つまり新たに新書版として再刊したもの。帯では「新装復刊」となっている。 「時代を笑い飛ばす術を、もう一度ナンシー関さんに教わろう/令和の「推し文化」の到来さえも射抜くナンシー関の「唯一」のルポルタージュを、新装復刊。」 その「ナンシー関」の部分だけ大きく黒字で囲んだ白抜き極太ゴチックになっているあたり、その名前が売り、という判断からの企画ではあるのだろう。版元は星海社、講談社の子分。 「ルポルタージュ」――おお、そうだ、

    書評・ナンシー関『信仰の現場』 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/02/24
    『信仰の現場 ~すっとこどっこいにヨロシク~』←しびれます、この題名。こういうことば表現のセンスがすばらしかったですよね、ナンシー関。(私は芸能好きなので、そこですれちがいますが、忘れられない存在。)
  • オウム以後30年、の〈いま・ここ〉 - king-biscuit WORKS

    オウム真理教、と聞くと、自分などの世代にとってはそれだけでもう、ああ、という嘆声と共に、あの一連の事件をめぐる報道を介しての、当時のさまざま場面や映像、挿話などが一連の画像・映像リールのように思い起こされてきます。あれからもう30年。1995年3月に勃発したあの地下鉄サリン事件から数えての年月ですが、思えばあれは「宗教」というもの言いが「カルト」に取ってかわってゆくようになった、その大きなきっかけだったということも、今だからこそひとつ、言えることなのではないでしょうか。 もちろん、戦後に興った各種新宗教も「宗教」というたてつけで語られてきましたし、それは下地に仏教やキリスト教など既存の大看板としての「ザ・宗教」があってのこと、だからこそ「新」なり「新興」という冠がつけられていたはず。なのに、あのオウム以降、それらもひっくるめて何となく全部まとめて「カルト」的なイメージの方向に引きずられて、

    オウム以後30年、の〈いま・ここ〉 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/02/19
    70年代だと、ロックカルチャーとでもいうのですか、あれの変態形みたいな印象はありました>オウム 80年代はテクノとかあったけど、まあバブル文化が勢い増して、それに乗り切れなかった層の受け皿のひとつ?
  • 敗れたのはマスコミであった - king-biscuit WORKS

    当に敗れたのはマスコミであった――かの「七人の侍」の最後のせりふを裏返しにならって言えば、そんな感じ。しかも、敗れたことをご尊がほとんどまだ自覚していないのに、というのが付け加わる。「北斗の拳」のケンシロウのせりふじゃないが、「おまえはすでに死んでいる」を地で行く展開。ある意味、殺伐とした風景がほら、眼前に。 先の参院選以降、安倍総理の突然の辞任劇とその後の自民党総裁選、と永田町をめぐる現在進行中の政変劇。いや、とりあえず「劇」と言ってみたけれども、昔ながらの泥絵の具の古びた書き割りめぐらせ、それでも嘘でも舞台に登ってみせねばならぬ役者連はともかくとして、裏方の大道具小道具、衣装にもぎり、下足番からお茶子の類に至るまで、全部ひっくるめてまるで紙芝居のように幅も厚みも重さも何もないこの感じというのは、はてさて、一体どういうことか。 とりわけ、舞台と一座を取り巻くマスコミというのが、わ

    敗れたのはマスコミであった - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/02/13
    マスコミには小泉をあんなに持ち上げてアイドル扱いした反省をまずしてもらいたい。#小泉ブームのころワイマール共和国に似てきてると言われましたが、今、アメリカで、ワイマール共和国みたい……感漂ってるとか
  • 世の中のあらかじめ隠されているもの - king-biscuit WORKS

    世の中にはあらかじめ隠されているものがある。少なくとも、そう信じている人がいる。どうやら、通常思われているよりも結構な割合でいるらしい。 そのあらかじめ隠されているものとは、たいていの場合はカネとオンナにまつわっている。そこから先は、地球規模の悪の組織、フリーメーソン、謎の宇宙人、はたまた邪悪な宗教団体、何であれふだんは目に見えないけれども何かそういう大きな悪意と陰謀とが実は世の中の裏側にはうごめいていて、目の前に起こっているできごとを背後で操っている……とまあ、こういう類の世界観は多かれ少なかれ世の中に埋め込まれている。 マスコミだジャーナリズムだ、と偉そうにしていても、「裏に何かがある」という前提で目に見える事象の向こう側を懸命に掘り出そうとするのが仕事。とりわけ、いつものルーティンでは説明できないこと、理屈でおさえこめないものが眼前に現われた時、人はそれを何とか意味づけようと七転八倒

    世の中のあらかじめ隠されているもの - king-biscuit WORKS
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    nessko 2025/02/10
    昔、 麻原彰晃の出自について、マスコミ界隈で「じつは○○なんでしょ?」というウワサが広がってて、『宝島30』でたしかめに行った記事が出ましたけど(結果はウソ)、某文化人があれを真に受けた論考書いてましたよ
  • 「趣味」は独裁ではない - king-biscuit WORKS

    *1 ● 昔、この国に柳田國男という名前の、とびっきり性格の悪いジイさんがいました。明治の始めに生まれ、八十八年生きて、今からちょうど三十年前の夏にくたばりました。もともとは国のお役人だったのですが、四十何歳かの時に上役と喧嘩して辞めてからは、死ぬまで今風に言えば評論家でありライターでした。 このジイさんが、こんなことを言っています。 「私のやうな(手当たり次第にを読むようになった)人が明治から昭和にわたる時代には非常に多い。これは確にあの時代の風習で、同時に今日の通弊と言ってもよい。折角他にこれといふ長所がなくて、読書と理解だけには調練を経てゐる人間を、言はゞ反古にしてしまったのが明治の文化である。専門をやってゐる人は、却ってどちらかと言えば鈍い人である。鈍いから横目をふらない。然るにこちらは盛にいろいろのことに気がつく。英語でいふvivacious な人間である。そのヴィヴァシアスな

    「趣味」は独裁ではない - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/01/31
    橋本治が今必要だといった親切な年長者の一例みたいな文章。 #こういことをいちばん言われなきゃいけないのはある種の男子なのではとも思う。女子は強制的に早い時期に「あきらめ」を飲み込まされる立場だから
  • 『SIGHT』の濃いダシ - king-biscuit WORKS

    *1 雑誌界隈で今、書評に限らず活字関係のページを奮発してるのは、さて、どこだと思います? 『ダヴィンチ』なんて万年提灯持ちがお約束の広告系ベタベタの外道は別ですぜ。そうするってえと、案外これが『SIGHT』だったりするんじゃないかいな、と。 『ROCKIN’ ON』増刊扱いの季刊誌で、かの渋谷陽一編集長肝入り、新しい総合雑誌をめざす気鋭のメディア、てなところで、いまどきこんなコンセプトの雑誌を出せるのも儲かっているからこそ。それはそれで善哉ですが、アタマからブルガリだのプラダだのの広告をバンバン入れておきながら、構造改革ネタに例のテロ事件特集、ボブ・ディランやたけしのインタヴュー、さらにはいまどき何を考えてるのかホイチョイを起用してのグルメものや外国誌発のハイソなクルマ記事までごっちゃに盛り込む始末で、雑誌としてはほとんどもう何が何やら。サブカル出自のクオリティマガジン『ローリングストー

    『SIGHT』の濃いダシ - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/01/18
    CUTとSIGHTは、誌面のレイアウトの洒落たかんじでごまかしてる印象強い。あれで渋谷陽一から、ロキノン系から離れた。中身以前に、きちきちデザイン決めると読みづらいというのもあって。昔の『スクリーン』はよかった
  • 不幸の書評、てか? - king-biscuit WORKS

    前回、引っ越し先を探してる、って話をした『サンデー毎日』の連載「ハナ丸書評通信簿」(しかしこれってタイトルと中味とが全くそぐわない連載だったなあ。こんなほのぼのしたタイトルつけてあんな中味をごまかしきった担当のIさんがエラい……てか)なんですが、ありがたいことになんと、『の雑誌』が引き受けてくださることになりました。五月発売の号から転居新装開店、ということになります。これからもひとつ、ご贔屓によろしくお願いいたしますです、はい。 とは言え、決まるまでは正直、難渋しました。というか、はっきり言って相手にされなかったですね、ほんと。 みなさん特に編集者とかライターとか、こういう活字稼業界隈の方々は結構な割合で読んでくださっていたらしくて、「ああ、あれおもしろいですねえ、頑張ってください」とまで言ってくれるシトもそれなりにあったにも関わらず、ですよ。ならば、おたくでひとつ引き受けてやってくれま

    不幸の書評、てか? - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/01/18
    橋本治がほめた女性がわりと早死にしてますね。
  • 書評・中村とうよう『雑音だらけのラヴソング』(ミュージック・マガジン社) - king-biscuit WORKS

    雑音だらけのラヴソング (とうようズコレクション) 作者:中村 とうようミュージックマガジンAmazon 音楽を語る、論ずる、という作法が衰退して久しい。 音楽だけじゃない。映画やマンガ、いやいや、見たり聞いたり読んだりしたら何か能書きを言いたくなる表現という意味では元のはずのブンガクにしたところで、それをダシに何かを語ったり論じたりという身振りはほんとに情けないものでしかなくなっちまった。まあ、要するに「批評」とか「評論」ってやつが、およそ信頼をなくしちまった、ってことなんですけどね。 不思議なことに、映画より映画論が、ジャズよりジャズ論が、マンガよりマンガ論が、なぜか盛り上がった時代というのがあった。そういうものに触れた体験を何か言葉にしたい、そういう欲望は少なくともうっかりとものを考えたがるタチの人間にとっては避けがたいものとしてあった。思えば、LPレコードのライナーノーツなん

    書評・中村とうよう『雑音だらけのラヴソング』(ミュージック・マガジン社) - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/01/18
    淀川長治の映画語りとか、ゴダールの映画による映画批評詩とか。自分は末端とはいえリアルタイムで触れられて幸運でした。
  • 「批評」にも「うた」は封じ込められていた - king-biscuit WORKS

    ● 「『大衆文藝』とは人間の娯楽を取扱ふ文学ではない、人間の娯楽として取扱はれる文学である。文学を娯楽の一形式と仕様と企画するなら、今日の如く直接な生理的娯楽の充満する世に、人間感情を一たん文学に回収して後、文字によつて人間感情の錯覚を起させんとするが如き方法は、最も拙劣だ。而も今日『大衆文藝』が繫栄する所以は、人々は如何にしても文学的錯覚から離れ得ぬ事を語るものである。」 小林秀雄、昭和4年は1929年の有名なデヴュー作「様々なる意匠」の中の、でもこれはそれほど表だって言及もされてきていない一節。それはそうでしょう、かなり長い論文のその最後の最後に何か申し訳のように付け加えられたようなものでしたから。 その前段で延々と展開されていたのは、ご存知マルクス主義経由の社会主義リアリズムに拠ったプロレタリア文学的なるものと、邦流外来自然主義解釈のなれの果てとも言える私小説に代表されるような芸術

    「批評」にも「うた」は封じ込められていた - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2025/01/18
    ずれますが、『広告批評』←この誌名が既に韜晦にくるまれているし内容もそうだったわけだが、少し下の年代にはそれが伝わってないというか(もう若くても40代くらいにはなるだろうけど)。なんか誤解を感じるねん