ブックマーク / king-biscuit.hatenablog.com (65)

  • 浮上してきた、もうひとつの「宗教」問題 - king-biscuit WORKS

    一に体力、二に好奇心、三に自分と他人の区別がつくこと、四に信心。仏になるための条件だそうです。あたしが言ってんじゃない、ある宗派の坊さまがそうおっしゃってたんですが。 これ、最初に信心がきちゃうとまずいんだそうで。なぜか。最初に信心ありきの人は往々にしてヘン人になっちまうし、その分、あたり構わず布教してまわったりする。そもそも自分から仏になりたいなんて思うのは世の大勢からすればヘンな人に決まってるんだけれども、そんなヘンな人が来の目的ほったらかしに勝手にまわりを巻き込んでヘンな自分と他人を一緒にしようとするんでいけない、と。 これ、ものすごく腑に落ちます。何も仏教とか何とかじゃなく、宗教一般どころでもなく、だからこそ当の意味での「宗教」の問題に関わってくるのかも知れませんが、まあ、とにかく何にせよそういう現象ってのは身のまわりに割と当たり前に転がってるよなあ、という意味でしみじみと。

    浮上してきた、もうひとつの「宗教」問題 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/09/24
    あまりいいたくないけど、昨今だとフェミとLGBTQ+だわな
  • ダイナマイト、どん - king-biscuit WORKS

    *1 民権論者の涙の雨で みがきあげたる大和胆 国利民福増進して 民力休養せ もしも成らなきゃ ダイナマイトどん ● 明治二五年五月、筑豊に生まれ、鶴嘴鍛冶の小僧に始まり、以後十五歳の年から六〇年あまり炭鉱で働いてきた経験を絵とことばとでかたちにした故山作兵衛翁の『筑豊炭鉱絵巻』の中に、大正七年八月から九月にかけての米騒動の時、大暴れした炭坑夫を描いた一枚がある。 峰地炭鉱の「暴漢」と説明された下帯一枚、両肩から腕にかけて刺青の男が向こう鉢巻きで電信柱によじのぼり、くわえ煙草で導火線に火のついたダイナマイトを放り投げている。左下では鎮圧に出動した戦時武装の小倉四七連隊の兵隊たちが三人、剣付き鉄砲を構えて狙いをつけている。 添えられた語り書きに曰く、 「一暴漢は電柱に登り、ダイナマイトを投げた。初めは柱下に大勢おってホソビキ(細綱)で上に引き上げ口に巻煙草を咥へその火をミチビにつけて投げる

    ダイナマイト、どん - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/08/18
    その絵巻の絵がいいですね、つげ義春とか後世のマンガにつながるものかんじる。春団治の名調子も、志ん朝の江戸弁と並んで後世に伝えなあかんですわね。浪曲ですが、声の魅力、黒人ブルースが広がったのもそれかな
  • 阿久悠と都倉俊一――〈おんな・こども〉への合焦 - king-biscuit WORKS

    ● 前回、最後に阿久悠の名前が出たので、彼の仕事を足場にもう少し、〈おんな・こども〉の領域が「うた」とそれに伴う日常の身体性とでも言うべき領域にどのように関わってきていたのかについて、続けてみます。 阿久悠という名前は、「作詞家」という肩書きが、それまでの歴史の過程における有為転変も含めて輝いていた、その最後の時期の最も大きなひとつだったと言っていいでしょう。いまさら言うまでもない。70年代から80年代にかけての商品音楽、いわゆる「歌謡曲」「流行歌」と呼ばれる領域で、メガヒットを連発して質量共に縦横無尽の創作活動を展開した。彼自身、後年手がけるようになった小説やそれに類する読みものも含めて、その間の経緯を多様に書き残しています。ある時期から詳細につけていたという日記まで、確か母校の明治大学に寄贈されて残っていますし、2007年に亡くなって以降、さまざまな評伝や批評、論評などが出るようにもな

    阿久悠と都倉俊一――〈おんな・こども〉への合焦 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/08/13
    主旨とはずれますが、一部フォークシンガーがテレビにでるのを拒んだのはある意味正しいのかな、と。テレビは茶の間で芸能を楽しむ素養がない人までが見るので共役が成り立たないのがデフォなので
  • 女性は「産む機械」発言余波 - king-biscuit WORKS

    「女性は「産む機械」」発言で、柳沢厚生大臣が四面楚歌、立ち往生であります。 政治家の発言としてちと不用意だった、それは確かですが、しかし、相も変わらず前後の脈絡すっとばして片言隻句を揚げ足取りして騒ぎ立てるメディアの手癖も恥知らず丸出し。ましてや、その尻馬に乗って女性議員たちが一斉に文句つけるありさまには、いやもう、心底萎えました。なにせあなた、高市早苗から辻清美まで、ミソもクソも申し合わせたように「許せない」ですと。わが国の女性選良というのは、右も左も未だこの程度、なのでありますか、そうですか。 少し前、少子化対策と称して、政府主導で集団見合いを、と真顔で提言されてた女性大臣もいらっしゃいました。とにかくつがいをこさえりゃ何とかなる、頭数さえ増やしてくれりゃいい、というその発想は、今回の「産む機械」発言と似たようなもの。同様に、ニートや引きこもりを何とか働かせようという画策や、ホワイト

    女性は「産む機械」発言余波 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/08/13
    これはたしかに言い方がまずかったかもしれないが「女性は出産をするから」という、男性とのちがいを言っただけだったのに、ここだけつまんでボコボコにされてたわな。昔自民党議員がされてたことを今万人がされてる
  • 大江健三郎「ノーベル賞」の無惨 - king-biscuit WORKS

    大江健三郎のノーベル文学賞受賞は、やはり大きなニュースとして報道されました。 仕方のないことなのでしょう。彼の出身地の人たちにまでコメントを求めるのは、昨今のニュース報道の紋切り型ですから別にどうということもありません。その地元の人たちが「当に名誉に思います」などと当に借り着のような不自由さで口をもぐもぐさせながらもっともらしい感想を述べるのもよくあるブラウン管の光景です。まして、それまで売れ行き芳しくなかった著書がにわかに売れだす珍現象など、その程度にこの国の「読書人」が大衆化していることの証しで、何も名誉なことではありません。 ただ、その後文化勲章を辞退したことが明らかになった時に彼が吐いた「戦後民主主義者として」という言葉がたいそう耳ざわりに感じたのは私だけではなかったようで、少々議論を呼んでいるようです。かくいう私も不勉強なもので、ノーベル賞ならよくて文化勲章ならいらないという

    大江健三郎「ノーベル賞」の無惨 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/07/30
    賞金は大きいでしょうね。お子さんのために、という。
  • トランプ現象に学ぶべきこと - king-biscuit WORKS

    話題沸騰、就任早々自らの選挙公約に沿った大統領令を立て続けに署名、アメリカのみならず世界に予想以上の大きな波紋を投げかけ始めているトランプ大統領。彼の出現は、われわれ日人は果してそのアメリカについてどれだけのことを知っていたのか、そのことを改めて振り返ることを求めています。 大統領選の下馬評ではとにかくヒラリー圧勝、その後もつれた戦況になってきたことが伝えられても「それでも民主党に代表されるリベラル勢力が勝つのが当たり前だし、それがアメリカの、ひいては世界の良識」といったおおまかな認識で片づけていたのが、わが日のマスコミ以下メディアの「報道」姿勢でした。 社会的タテマエとしての「リベラル」、わかりやすく言い換えれば「民主的」「良心的」な考え方や価値観などがタテマエとして許容されなくなった。いや、前々から「なんだかなぁ」とは思い、感じながらそれ以上の態度表明は控えてきた、控えざるを得ない

    トランプ現象に学ぶべきこと - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/07/28
    アメリカの映画や小説好きな人にはアメリカの日常場面も既視感ある光景なんだけど、日本で住んでると政治など語る際にマスメディア上で「アメリカならこうだけど」と理想化したモデルとして便利に使われ過ぎてたから
  • タフな外部とことばを交わし、そのことで変わってゆく自分もあるかも知れないことを信じられないどん詰まりフェミニズムたちよ!! - king-biscuit WORKS

    *1 『クレア』誌の仕事で、小倉千加子にインタヴューする ことになった。フェミニズムの功罪を女性誌の視点から考 え直すという特集企画のひとつだという。当然、彼女の書 いたものはもちろん、取材記事やちょっとしたコメントに 至るまで、山のように手渡され、そんなこんなで机のまわ りは怪しい色づかいの装丁のフェミニズムが散乱。 しか し、あのテのってなんでああいういかにもの色やデザイ ンになるんだろう。 紫やらピンクやらの毒々しい色づかいで、デザインにしてももう少しなんとかならんかい、と言 いたいものばかり。 センス悪いぜセンスがよ。 まぁ、仕事仕事。 さすが文芸春秋社、資料の物量戦で 書き手を攻めたてるあたりはなかなか、などと青息吐息で 感心ばかりしていても始まらない。 仕事を口実にしないことにはなかなか勉強できないタチのおいら、この際とばか りに逆手に取ってフェミニズムの総まくり、受験勉

    タフな外部とことばを交わし、そのことで変わってゆく自分もあるかも知れないことを信じられないどん詰まりフェミニズムたちよ!! - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/07/25
    「劇団青い鳥」 演劇は女にまつわる事象を表出するのによいかも。言葉(言論)は基本、背後霊化してこの世を覆わんとする女の霊力から我が身を守りたい男のための剣だからね。演劇なんかで女の怨恨が昇華されれば
  • 「学者」世間の疎ましさ・雑感&メモ - king-biscuit WORKS

    「学者」の世間の、いったい何がそこまで疎ましかったのか。 「学会」「学界」の揺籃におさまりながら、指導教員や先輩たちの視線に対してまっすぐに身構えつつ、しかし生身の自分の内側には確実にアンビシャスでもの欲しげな「功名心」の気配を満々とたたえつつ、とりあえずは与えられた範囲での堅実な仕事をこなしてゆく、そのコントロールは確かにされている「自分」のたたずまいが、ということだったんだろうと改めて思います。 そんなものとひとまず関係なく、ただの布衣、一匹の知性としてつきあってくれる作法を持つ人ももちろんいた。まれには、なのは世の常のこと、致し方ないにせよ、なるほど確かにいました、どこかに必ず。 彼らはそんな「功名心」を前面には出していなかった。もちろん内に抱えているのはあたりまえだとして、それらを自分という存在のまわりに平然と放射してしまうことを自ら恥じるような、だからこそ禁欲できているような、そ

    「学者」世間の疎ましさ・雑感&メモ - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/06/18
    こういうの読むと、昔の王侯貴族、なんかしらんけどいまルネサンスとか流行ってんの?だったらそういうの集めてやらせとけや、みたいな、当人実は大して関心ないけど金出して遊ばせとくできてたの、えらかったんやね
  • 「歴史教科書問題」の、ある本質 - king-biscuit WORKS

    教科書なんてどんな妙なものでも教え方ひとつ、「これは間違ってますよ」という反面教師だって教科書の役割だとさえ思う。それに、今に限らずこれまでだって何も教科書だけで人々の「歴史」意識が形成されてきたわけでもない。時代劇や小説や、その他実にさまざまな同時代のメディアの複合体の中で宿ってきた「歴史」の経緯をこれまでの歴史の学問は全体として見ようとしてこなかった。だから、教科書だけを最も信頼されるべき歴史のテキストのように取り扱う自由主義史観研究会の態度は、僕にはまず違和感がある。 とは言え、彼らの主張に対して、未だに右か左か、保守かリベラルか、といった大文字の対立図式でしか見れない世間も貧しい。なるほど賛同者にはいかにも“右”の面々がずらりで、個人的には共感できない立場の人も混じる。しかし、そのような違和感を超えてなお、「歴史」についての議論を風通し良くする努力が今、何より必要だと思っているから

    「歴史教科書問題」の、ある本質 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/06/17
    香川県は保守王国なんだろうな、というのは、自分が小学生の時(ざっぱくに半世紀前といっていいのか)小学校でたしか「かみさまのおはなし」という3冊セット絵本を皆買った。日本の神話、挿絵は子どもが描いてるの
  • カルチュラル・スタディーズ・考 - king-biscuit WORKS

    *1 「カルチュラル・スタディーズ」というもの言いが、近頃目に立つ。 文芸批評あたりを発信地に、文学研究や美術史や社会学、文化人類学といった方面がより熱っぽい。いわゆる歴史学にしても近代史あたりにぼちぼちかぶれる手合いも出始めているように思う。それも三十代から四十代そこそこの若い世代が中心のようだ。おおざっぱに言って、アメリカの研究者を中心に提示されてくる新たな「日」研究の枠組みで、その成果がこれまでの日史や日文化論や文学史といった領域を相対化してゆくような刺激を与え始めている、といった事情があるらしい。 その具体的な中身についての整理などは、それこそ『思想』だの『批評空間』だのといった雑誌に肩寄せあっている人たちに任せる。ここで言っておきたいのは、そのような「カルチュラル・スタディーズ」が今のこの国の情報環境も含めた知的状況の中でどのような意味を持つのかについての自省が当事者たちに

    カルチュラル・スタディーズ・考 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/06/15
    戦後大衆文化サブカル媒介浸透の結果なんでしょうか。女性やLGBT、被差別者を取り上げて、それを依代になにか自分の鬱屈を発散させるみたいな文章(論考の体裁をとったもの)が増えた印象。
  • ナンシー関、という「まっとう」 - king-biscuit WORKS

    電話をかけると「はい、関です」って、くぐもった声で出るんですよね。そりゃ確かに「関」だけど。何度かけてもそれ聞くと笑っちゃう。でも、「ナンシーです」って出られてもそれもまた困るんですけど。 先日、急逝したナンシー関のことです。 「消しゴム版画家」という肩書きを好んで使ってましたが、自分の「作品」については、ありがちなアーティスト的な愛着とかはなかったようです。テレビ番組のためにこれまでの「作品」撮らせてもらった時でも、引っ張り出してきたのを見たら、なんか段ボールみたいなのに彫った消しゴムが山ほど詰まってるだけ。少しは整理してないのかよ、って尋ねたら、だって偉そうなこと言ったってしょせん消しゴムじゃないすか、だって。 けれども、その「しょせん消しゴム」を武器にして、高度情報社会の中でうっかりと自意識をふくれあがらせたり、勘違い垂れ流しになってしまったり、といった物件について、彼女はいつも敏感

    ナンシー関、という「まっとう」 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/06/01
    ナンシー関といえば、NHK教育テレビの番組で年賀状の作り方というので、年賀状向きの消しゴム版画の作り方講座をしてらして、テキスト買ってその年は消しゴム版画年賀状出しましたね。そういうのもあったんだよね。
  • 若き民俗学徒からの手紙 - king-biscuit WORKS

    *1 大学生になってからの3年間、自分の中で、眼前の「民俗学」に対する何らかの不信の思いは、どうにも払拭される気配がないままでした。 その間、例の「市町村史編纂」の長さにもだいぶ身を染めまして、一応は「聞き書き」に励みながら、地元側から「こっちは忙しいのに、つきあってるヒマはない」程度の苦情がいつ来たって不思議はないだろうに、と常に考えてもいた訳です。しかし、幸か不幸か、そうした声はついにあがらず、代わりに、「調査」に出向いた我々は常に「大変ですねぇ」等との「親切な」声に迎えられ、お茶やお菓子をご馳走になって話者の「ご厚情に浴し」て帰ってくる、そういう機会が圧倒的でありました。「そんな筈はない、これが当な訳はないんだが」と、常に自問自答はあったのですが、しかし、こうしたぬるま湯の中で「民俗学」に関係していると、いつも自分を、そして常識を見失いそうになる危険と背中合わせです。感性も鈍ればも

    若き民俗学徒からの手紙 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/05/31
    あれな感想になりますが、その「権威???」なセンセイみたいなノリ、風俗嬢とか見に行って知ったようなことを言うのが好きな男インテリと地下茎でつながってる気がしました。(さいきんは女インテリにいるよね)
  • 山田洋次の「晩節」 - king-biscuit WORKS

    *1 ――ぼく自身、大衆の側に立って映画を作りたい。それを忘れたから、だんだん映画というものをみんなが見なくなったのじゃないか、と思っています。ぼくは、そういう立場で映画を作り続けたい、と思っている人間だし。 ――貧乏に耐えて、歯をいしばって一生懸命映画をつくるというのは大事なことですが、ただそれが「売りもの」になるのはおかしなことです。「こんなに一生懸命に作ってます」と言われたって、お金を払って見る観客には関係のないことですから。 ● まずは過去形で始める。山田洋次が好き、だった。 若い頃撮った『馬鹿シリーズ』は、黒澤だの小津だの今村昌平だの岡喜八だの増村保造だのの作品のいくつかと同格、未だに個人的なベストフィルムのひとつ。ああ、ハナ肇の身体を存分に使い回したあの味わいは、民話にも等しい定型の〈おはなし〉の盤石さとあいまって、ニッポン映画ってすげえ、とケツの青い生意気盛りの十代にして

    山田洋次の「晩節」 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/05/12
    山田洋次、カット割りのうまさとか、映画ファンには評価高いですよ。寅さんシリーズも、大人になってから見るとおはなしも含めてとてもうまく作られていて、さすがやなあ、と。語られにくいタイプではありますね。
  • 解説・田澤拓也『虚人 寺山修司伝』 - king-biscuit WORKS

    大学に入って二日め、とある芝居のサークルにまぎれこんだ。アトリエ、と気取った名前で呼ばれていた掘っ建て小屋の暗がりから、ねずみ色した重い鉄の扉をあけて出てきたのは、分厚いポックリにベルボトムのパンツ、センター分けの長髪を肩口から上腕くらいまで伸ばし、口髭までたくわえた見るからにフツーじゃない御仁、だった。やけに大人びて見えたけれども、あとで聞けばせいぜい二四、五。当時、こっちはまだ一八になったばかりだったから、余計にそう見えたのだろう。 寺山修司のもとにいた、ということだった。かの劇団天井桟敷。そのことが何かとんでもなく輝かしいことのように語られていた、そんな場所、そんな時代だった。 分厚いポックリは冬でも愛用だった。名前を刷り込んだ専用の原稿用紙に3Bや4Bの柔らかい鉛筆で、案外几帳面な大きな字で台を書いていた。朝から行きつけの喫茶店に入りびたり、仲間たちと一日中、芝居や映画や文学や思

    解説・田澤拓也『虚人 寺山修司伝』 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/04/04
    東北って西日本とはやっぱりなんか異なる気風感覚ありますね(正直よう見えてこん)歴史も関係してそうな。# 寺山の「嘘つき」というのは、まあ受け取る側が察してあげてみたいな類の一種? 井田真木子もかなあ?
  • 「馬方」の記憶 - king-biscuit WORKS

    ふだんの生活、日常に馬の姿がほとんどいなくなった国、にあたしたちは暮らしています。わずか三、四十年のうちに、みるみるうちに馬という大きな生きものを暮らしの中から追放していった社会。なのに、その時期に「競馬」という装置をほんとに信じられないような速度と規模とで国民規模でのレジャーに育てていった。さらに、いまや「世界」に対してもその存在を認められるようになっています。 けれども、かつてまだ確かに日常に馬がいた。その頃、その時代の記憶というやつを、ささやかな文字、ちいさなことばの陰からそっと拾い上げる。これだけ「競馬」が大きなものになり、最近売り上げに翳りが見えているのは事実としても、でも何十万、何百万という人が馬の名前や血統を口にして血道をあげるようになったいまのこの国で、もうそのようにかつて馬がそこに共に生きていた頃の風景自体、探したり掘り起こしたりするような酔狂は、ほとんど誰もしなくなった

    「馬方」の記憶 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/04/03
    ロバといっしょに日本中回ってるこの方とか、ブレイクしないかな https://twitter.com/taromar_u 四国にもフェリーに乗って来てくれてました。ロバ料金があるそうです。
  • 解説・野坂昭如「骨餓身峠死人葛」 - king-biscuit WORKS

    *1 *2 ● およそ「文学」と正面切って掲げられているものやこと、いや、はっきり言えばそのあたりに好んでへばりついているとしか思えないような人がたそのものもだが、いずれ、そういう界隈に縁のないまま生きてきた自分にとって、それでもなお、いいよなぁ、と、ぼそっと素直につぶやくことのできる、そんな書き手。「作家」でも「小説家」でも何でもいい、とにかく文字を書いて世に出すことで世渡りしている、売文稼業のステキな先達。 「野坂昭如がお手だった。何が、って、ほれ、とにかくおのれの書きたいようにものを書いてってゆく、そんな夢のような世渡りの、だ。」*3 あれはさて、どういうきっかけだったのか、もうほとんど忘れかけているけれども、国書刊行会の「野坂昭如コレクション」の企画に立ち上げからいっちょ噛みさせてもらい、なおかつ、厚かましくも解題まで書かせてもらって、それをご縁にご人とも何度か親しく話をさせ

    解説・野坂昭如「骨餓身峠死人葛」 - king-biscuit WORKS
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    nessko 2024/04/03
    小林信彦『テレビの黄金時代』(文春文庫)に、阿木由紀夫というペンネームでCM・放送作家をしていたころの野坂昭如が出てくるけど、当時のCMの三分の一は阿木の作詞だったそうだ。ショートショートに興味があったと
  • 未だ「庶民」幻想強し - king-biscuit WORKS

    「正義」「公正」とは、この世に生きる人々の手によって共につくりだされる状態である、ってことを、きれいさっぱり忘れてらっしゃるようです。元の厚生労働大臣、津島さんのご発言「一生懸命やっている人たちに、歪んだ批判を向けるのは良くない」、であります。もちろん、昨今逆風真っ只中の厚労省の方々を想定しての擁護発言。「一生懸命」だから勘弁してやれ、とはまったくおそれいります。そもそも、間違ったことを長年修正もせず、そのまま「一生懸命」続けてしまってきたからこそ、年金も何も、今のこういうていたらくなんじゃないですか? 考えなしの「一生懸命」ほど始末の悪いものはありません。 「一生懸命」そのものが無条件に価値である、という認識は、市井の個人の処世道徳としては結構ですが、政治家としては通俗的な「庶民」理解と地続きで、上から目線の差別意識の温床にもなる。それは昨今うっかり表象される「庶民」「国民」をあてこんだ

    未だ「庶民」幻想強し - king-biscuit WORKS
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    nessko 2024/03/31
    吉本隆明みたいなインテリにもそれあったな 都合のいいように(おそらく自分の本なんか読まなさそうな)庶民や大衆持ち出して話を丸める癖。男が女の子(自分より下位の言い返せない)を持ち出してやるあの延長やな
  • 「保守」の再生って? - king-biscuit WORKS

    ● 「保守」の再生が、改めて叫ばれています。 言うまでもない、わずか半年足らずでどうやら予想を超えてどうしようもないところにまで墜ちてしまった、昨年総選挙以降の今のこの「日」の状況、「民主党ファシズム」とまで言挙げする向きまであるのも洒落にならないくらいのていたらくに対して、早く何とかしなければ、と腰上げようとする正気の志として、「保守」が改めてその旗印として期待されている、そのことはひとまず素朴に理解できます。 いわゆる「論壇」系、思想沙汰をなりわいとする界隈はもちろん、安部元首相など自民党系の政治家の中でもそのような動きは活発になってきている。他でもないこのあたしとして、そのような「保守」の旗印に馳せ参じているひとり、といった風にまわりから見られているのでしょうし、及ばずながら自分自身それを甘受するにやぶさかではありません。 総選挙以降の政権与党となった民主党内閣のていたらくに対して

    「保守」の再生って? - king-biscuit WORKS
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    nessko 2024/03/31
    こういうの読むと、あの3.11というのは強制リセット効果はあったんじゃないかと思えてくる。天皇の玉音放送もあったし。
  • 九条教、というカルト - king-biscuit WORKS

    キュージョーキュージョー、と連呼するさまは九官鳥、ならぬ九条教。最近の「護憲派」のありさまです。憲法九条があったから戦後日は平和でいられたんだ、てなところまでステージがあがっちゃって立派なカルト。ムカついたりあきれたりを通り越し、うわあ、こりゃもう何か介護が必要なのでは、と心配してしまう領域にまで、あっぱれ解脱しています。 「護憲」でも「反戦」「平和」でもいい。わが国は隣のかの大中華などと違い、一応は言論の自由が保証されている民主主義国家。どんなにお花畑な思想を持とうが、どんなにけったいなご神体をあがめようが、ええ、とりあえずは自由。広い世の中、そんな信心深い人もいてしまう、で片づけるくらいの度量はみんな一応、持ってはいます。 でもねえ、環境汚染というのもあるわけで。みっともないものはなるべく見たくない、というのも人情なわけで。たとえばですよ、渡航制限下のイラクに物好きにもノコノコ出かけ

    九条教、というカルト - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/03/31
    塩野七生が指摘してたけど、戦時中のファナティックさが、戦後はそのまま反戦平和九条に移行してるようだと。とくに戦後のは被害者意識と連動してるからなあ、それに、米(家父長)に反逆気分も混入してるし
  • メディアこそ「衆愚」 - king-biscuit WORKS

    先の内閣改造後の記者会見の際、質問する記者の社名と名前をいちいち確認してから質問に答える閣僚がいた。おたくはどこの社? ○○新聞の××さん? はい、どうぞ――そんなやりとりまでもがはっきりと、テレビで放映されていた。主は、かの麻生太郎総務大臣。それはもうすでに、正義の味方の新聞記者が海千山千の政治家を追いつめる記者会見、ではなかった。むしろ、逆に政治家の側がメディアの横着、卑怯ぶりを暴き立てる構えさえ見える新鮮なものだった。記者クラブにおかいこぐるみのいまどきの新聞と新聞記者にとって、これは大きなプレッシャーになる。 テレビ以下、ネットも含めたメディアで映像としてそれら会見のようすがリリースされる昨今のこと、記事になる手前の記者会見の現場がいかにくだらないかまで、誰もが容易に見通せるこの傾向は、さらに進む。靖国参拝問題での「公人としてですか、私人としてですか」など、社の立場でお約束の質問ま

    メディアこそ「衆愚」 - king-biscuit WORKS
    nessko
    nessko 2024/03/30
    そのマスメディアが作り上げたともいえる民主党政権があの体たらくで終わって、かんぜんにはらほろひれはらになりましたね。その後さすがに朝日はエリート集団だけあって淡々とやってるなと(こわいけど)