不機嫌躁病の大暴走が起きた この数年、幾度も心で手を合わせ、「人間社会から遠ざかる透明さを得て、静止画じみた時の中でチェレンコフ光を見たいなあ」と渇望して生きていた。 『喜怒哀楽』『幸不幸』『愛憎』『躁鬱』『発達障害』『生きたい』『死にたい』なんて、人類限定の妄想的所産でしかない。 躍動する動物性のしなやかな這い上がり。 躁鬱スクラップアンドビルドってところだね。 病んでも堕ちるだけじゃないのさ。 自己犠牲を超える祈りなんてありゃしない。 病みをマイナス評価する輩がわらわらの浮世 だから厳密には、精神異常なんて言い様はおかしく、まばゆい全身全霊の色なのであります。 いやはや、くず物の善が溢れる世の中でありますなあ。 すなわち、遺書公開のドタバタ騒ぎは、命の緊急着陸的な意味合いでございます。 くだんの件を1%も反省しない、謝罪もしない。 喜怒哀楽、幸不幸、快不快、全時間の自分を愛そうぜ! 「