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ブックマーク / note.com/legendharumi (2)

  • サウンドクリエイターがなぜ泣くほど嬉しかったのか|HARUSAN

    東京2020オリンピックの入場式の行進で ゲーム音楽のオーケストラが流れた 「これドラクエの曲や!」テレビを見ていて思わず叫んだ すごい時代になったな~ いつかゲーム音楽が認められる日が来ますように そう思ってひたすら曲を作り続けていた頃を考えると それはもう想像を遥かに超えてた もちろん私の曲などは使われていないけど ほとんどのゲームサウンドクリエイターのみなさんや すでに引退はされているけど貢献されてきたみなさんが 入場式の行進のことを心から喜んでおられたに違いない それは、ゲーム音楽を認めてもらえず 悔しい思いをしたり、胸張って作曲家です!と言えなかった過去が多かれ少なかれあったからではないでしょうか 1,982~1983年頃は、まだゲームが認知されていなかったから ひたすらゲーム音楽というものの説明が大変だった時期 まず「コンピューターで音楽を作っている」といってもほとんどの人が?

    サウンドクリエイターがなぜ泣くほど嬉しかったのか|HARUSAN
    nezuku
    nezuku 2021/07/24
  • なぜCAPCOMは女性作曲家が多かったのか|HARUSAN

    1983年~1990年 他のゲーム会社のサウンドは男性が多かった 各社ゲーム音楽のバンドを作った時期があったが S.S.T.BANDさんやコナミ矩形波倶楽部さん ZUNTATAさんなど 殆どが男性中心だったと思う その中で なぜかCAPCOMだけは女性中心だった CAPCOMの開発室が出来たとき サウンドが必要ということで社長は求人を出した どこに出したか? 「大阪音楽大学」と「大阪芸術大学」 「㈱CAPCOM、ゲーム音楽作曲家募集」の張り紙は その大学の求人コーナーの掲示板にひっそりとはられていた 大きく就職情報誌や職安などには出さず ピンポイントで大学に出したためその時点で バンドで曲作ってますという人よりは クラシック系の女性の目に止まりやすかったのだと思う。 時代背景として 1969年より1986年までヤマハポピュラーコンテストの 「POPCON」というのがオリジナル曲を作っている

    なぜCAPCOMは女性作曲家が多かったのか|HARUSAN
    nezuku
    nezuku 2021/07/06
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