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ブックマーク / peacemedia.jp (1)

  • かげもん 『京都というまちを考える試み。』第12回 デモでできること

    私は半年間、大韓民国ソウルに暮らし、デモにしょっちゅう参加した。 2008年6月、ソウルでは毎日デモが行われ、中心部の道路はデモで埋めつくされた。アメリカ産牛肉輸入反対を叫んだ中高生から火がついた動きは、6月の段階で100万人の人々が街に出る事態となった。私はその盛り上がりのまっただ中へとびこんでいった。ここに記すような出来事を、人々は起こしうるし、私が体験してきた以上のことを、私たちは起こしうる。 私はしばらくソウル中心部の信号と地下道の位置を知らなかった。 デモで車が通らないからだ。だから、10車線以上ある道といっても、車線という概念はなくなる。車道はデモにおいては単なる広場であることを実感する。新聞を敷いて道に座る。イカやつまみを売る屋台が出てきて、ビールを片手に道で飲むという行為も、デモの一部である。私もはじめて出会った人にビールをおごってもらいつつ、ビラを教科書にして道で韓国語の

    かげもん 『京都というまちを考える試み。』第12回 デモでできること
    niceniko
    niceniko 2009/02/03
    この記事読んでるとでもという行為が遊び感覚でされているように思えた。何かを訴えたいというより群がるのが目的と感じた。
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