私は半年間、大韓民国ソウルに暮らし、デモにしょっちゅう参加した。 2008年6月、ソウルでは毎日デモが行われ、中心部の道路はデモで埋めつくされた。アメリカ産牛肉輸入反対を叫んだ中高生から火がついた動きは、6月の段階で100万人の人々が街に出る事態となった。私はその盛り上がりのまっただ中へとびこんでいった。ここに記すような出来事を、人々は起こしうるし、私が体験してきた以上のことを、私たちは起こしうる。 私はしばらくソウル中心部の信号と地下道の位置を知らなかった。 デモで車が通らないからだ。だから、10車線以上ある道といっても、車線という概念はなくなる。車道はデモにおいては単なる広場であることを実感する。新聞を敷いて道に座る。イカやつまみを売る屋台が出てきて、ビールを片手に道で飲むという行為も、デモの一部である。私もはじめて出会った人にビールをおごってもらいつつ、ビラを教科書にして道で韓国語の
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