監督のようなものにGMのようなもの……「のようなもの」が跋扈して中日はシーズン途中で空中分解した。 中日の谷繁元信監督の休養が発表されたのは8月9日のことだった。 「結果が全てのプロの世界。腹をくくりながら過ごしてきて、こういう結果になったのは監督である私の責任。何とか強くしたいとやってきて、このような形でドラゴンズを去る寂しさ、悔しさがある」 ナゴヤドームのヤクルト戦を前に行われた実質上の解任会見で谷繁監督はこう語った。 ただ、この日の朝に球団から呼び出され突然、休養を求められた急転直下の展開は「寝耳に水だった」と監督には予想外の出来事だったことも疑う余地はなかった。 そしてこのドタバタでクローズアップされたのが、解任の“黒幕”と言われる落合博満GMである。 2013年オフに高木守道前監督の後任監督を選定する中で、白井文吾オーナーが評論家だった落合さんと会談して谷繁監督案を相談