任天堂株式会社 @Nintendo 任天堂からのお知らせや、ホームページの更新情報をお伝えします。 ご質問・お問い合わせにはお答えしておりませんのでご容赦ください。 nintendo.com/jp/
「Nintendo KYOTO」が本日オープン。店舗の見どころやお役立ち情報を、プレオープンの様子と合わせてご紹介。
毎年恒例の任天堂の株主総会レポートです。 一つ前の記事でも記載している通り、長期休暇を取って旅行の行程の最後に株主総会を組み込んだ(というか、株主総会に旅行を追加した)結果、帰宅後に疲れ切って寝ていたので記事の掲載がだいぶ遅れてしまった。 今回は、古川社長が議長を務める最初の株主総会となる。 だいたい毎年天気が悪くて、今年も雨。 駅から任天堂までの道のりは交差点ごとに案内板を持った社員が立っている 毎年のお約束事項だが、現地での不正確なメモを元に記事を書いており、聞き間違いや誤解が含まれる可能性があるため、正確な情報を知りたい方は後日任天堂のサイトに議事録が掲載されるのを待つことを強くお勧めする。 いままでの総会との違い 任天堂の株主総会は、任天堂の研究開発棟の最上階にあるホールで行われ、役員たちの席と株主たちの席が向かい合う形で配置される。 今回は、役員たちの席の前に長テーブルが置かれ、
いままで、任天堂株を"最も高い任天堂グッズ"と呼んでいたのだが、マリオカート8とコラボしたメルセデス・ベンツGLAをマリオグッズとみなした場合に、そちらが最高額になってしまうという問題が発生している。 というわけで、最高額ではないかもしれないがそれなりに高い任天堂グッズの権利を行使しておととし、昨年につづいて任天堂の株主総会に行ってきた。 あいにくの雨 最寄り駅からは交差点ごとに若手の任天堂社員が案内板を持って立っていてくれるので会場まで一切迷わなくて済むのだが、結構な雨でお気の毒な感じだった。風邪ひかないようにね。 去年と同じく研究棟での株主総会。ビルも中身もトイレもピカピカ。 入場開始時刻より少し早くついてしまったので、ロビーで待機。冷たいお茶が出た。 会場入りしてから1時間やることがなく、3DSのすれちがい広場で暇つぶし。周りにも同じことを考えている人が多数いて、全国からやってきたM
はっきりいってぼくはブロマガなんか書いている時間はない。 でも、任天堂とDeNAの昨日の驚くべきニュースとそれにつづくいろいろな ひとの感想。とくに否定的な論調の記事を見るにつけ、どうしてもひとこと 書かなくていけないという衝動にかられた。 なぜか。それは本当にいまぼくがこんなものなど書いている時間なんてないからだ。 4月10日に書き下ろしで発売される予定の本の原稿がまだ半分しかできていないのだ。 そんなとき、ぼくはネットで喧嘩をしたり、余計な文章を書きたいという衝動を 押さえられなくなるのだ。 でも、本当に時間なくてやばいので感想を要点だけ。 ・ 大前提として任天堂岩田社長は一石三鳥以上は狙っているだろう。 ・ 任天堂がネット戦略をすすめるにおいてもっとも不足しているリソースはおそらくウェブエンジニアではないか。それも大量に欲しいはず。一定レベル以上のウェブエンジニアを数百名程度提供でき
任天堂株式会社 取締役社長 岩田 聡: 本日は、急にお集まりいただき、ありがとうございます。 任天堂社長の岩田でございます。今日は、隣にいらっしゃるDeNAの守安さんと一緒に、本日両社がそれぞれ発表いたしました、業務提携・資本提携について、ご説明いたします。 岩田: 私が守安さんといちばん最初にお会いしたのは、2010年6月のことです。 最初は、「モバゲーに任天堂IPを供給してもらえないか」というご提案をいただくことから始まったやりとりでした。しかし、守安さんは、任天堂と組む可能性について非常に情熱をお持ちで、その後も継続して話し合いを続けてきました。 大きな環境変化に向き合う今、両社の組み合わせが、グローバルに相乗効果を生み出すチャンスが大いにあることを、あるとき私は確信しました。その後、私と守安さんに続き、両社の複数のキーマン達が話し合いを重ねてきました。 その結果、業務提携して協業し
テトリス~そのシンプルなゲームの深い歴史 ゲームゲームの歴史 Tweet 2011年08月18日 あまりゲームに詳しくない人でも、『テトリス』というゲームを知っている人は非常に多いでしょう。ゲーム機で遊んだことのある人も多いでしょうし、今なら携帯電話のアプリとしての定番となっていますね。近年ではグリーなどがCMをよく打っていたのもありますから、おそらく日本人のほとんどがゲーム画面を目にしたことがあるのではないかと。 さて、このテトリス、もともとロシア(当時のソビエト連邦)で生まれたゲームというのも知っている人が多いと思います。しかし、このテトリスの歴史を辿ってみると、企業や国の機関まで動かした激動の歴史が存在するのです。 というわけで、4ブロックの連なりが落ちてきて、一列になると消えるというシンプルなゲームの裏に隠された、非常に深い歴史を辿ってゆこうと思います。 Tetris / Mica
みなさん、こんにちは。任天堂の岩田です。 1985年9月13日、ファミリーコンピュータ向けに 初代の『スーパーマリオブラザーズ』が発売されてから、 今日でちょうど25周年となりました。 世界中のお客様のご支持のおかげで、 最初のスーパーマリオ発売から25年が経過した今も、 マリオは今日もたくさんのゲーム画面の中で、 元気いっぱいジャンプを続けています。 四半世紀に渡り、世界中のお客様にご愛顧いただき、 本当にありがとうございます。 任天堂では、「スーパーマリオ25周年」を記念して キャンペーンをさせていただくことにしましたが、 これと並行して、 スーパーマリオの歴史にちなんだ「社長が訊く」を 数回に分けて順次公開させていただく予定です。 当然のことながら、最初に、 スーパーマリオの生みの親である宮本との話を みなさんにお届けしようと考えましたが、 これまでの「社長が訊く」において、 宮本は
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く