「死にたいという人を放ってはおけない」。和歌山県橋本市にある教善寺住職の中田三恵さん(48)は、かつて身近な人を自死で失った。その経験から、悩み相談サイトなどを通じて苦しむ人たちに手を差し伸べる活動を続けている。「死にたい」という気持ちにまで追い込まれた人の多くは、他人に相談することに強い不安や抵抗を持っている。それを乗り越えて相談に導くには、十分な環境はまだまだととのっていない。相談にこぎ着けたとしても、気持ちが前を向けるまでには息の長い伴走支援が必要となる。こうした課題を解決していくにはどうすべきか。相談しやすい場をつくり、受け手の育成に取り組む中田さんが求める社会の姿とは。(文・映像・写真/映像作家・内田英恵/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 教善寺住職の中田三恵さんは、僧侶による悩み相談サイト「hasunoha(ハスノハ)」で、つらい気持ちや死にたい思いを抱えた人たち
故・ジャニー喜多川による性加害を実名で告発し、大きな「うねり」を巻き起こした日系ブラジル人で元ジャニーズJr.のカウアン・オカモト。外国人だからこそ目指した芸能界と日本語を学びながらのジャニーズでの活動、告発についての思い、そして今後について――。日本外国特派員協会での記者会見から約4か月。今の率直な気持ちを語ってもらった。(取材・文:室橋裕和/撮影:木村哲夫/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部、文中敬称略) 「性加害などネガティブなこともありましたが、ジャニーさんには感謝しています」 カウアン・オカモト(27)はそう振り返る。彼は両親が日系のブラジル人だ。故・ジャニー喜多川(享年87)はアメリカ生まれの日系2世。ふたりには外国ルーツという共通点があった。 「ジャニーさんはよく、自分も日系で、日本語よりも英語のほうがメインなんだよとか、ほかのジュニアには言わないようなことも僕には
2020年に創業したSOUNDRAW(サウンドロー)は、「音楽生成AI」を提供している急成長スタートアップだ。 同社のサービスでは、曲のムードやテーマ、長さを選択することで、自分の制作した動画に合った曲を生成することができるもの。わずか10秒で、AIが15曲を作り、イメージに合ったものがなければ再度生成することができる。 ユーザーは毎月1000人のペースで増えているといい、月額$19.99の有料プランには6000人以上が登録しており、7割は北米をはじめとした海外のユーザーだという。しかも広告等の施策は用いず、口コミで海外の支持を増やしている。 なぜ海外で売れるものをつくることができるのか。SOUNDRAW代表の楠太吾に、海外で勝つスタートアップのヒントを聞いた。 ■学習データを自作 SOUNDRAWの主なユーザーは、YouTube、テレビ、ゲームなどの動画クリエイターだ。これまでは、映像に
スターバックスの象徴ともいえる緑のエプロンを身に付け、フラペチーノを作る「68歳」の男性がいる。ホリデイ・スクエア豊橋店(愛知県豊橋市)で働く児玉吉弥さんは、65歳で定年退職をしてから3年以上、スターバックスで働いている。 【画像で見る】スタバで働く68歳男性、どんな働き方? スターバックス コーヒー ジャパン(以下、スタバ)では、従業員の多様な働き方を進めるべく、さまざまなサポートを行っている。その中の一つに、業務を限定した働き方を可能とする「カフェアテンダント制度」がある。業務を商品の陳列、清掃などに絞り込み、短時間の勤務を可能にする制度だ。児玉さんもカフェアテンダント制度を活用し、スターバックスに入社。現在はレジ業務やバリスタに担当業務を拡げ、活躍している。 営業→バリスタへ ダメもとで応募 児玉さんはこれまで営業の仕事をしており、60歳で定年。その後も再雇用で65歳まで勤め上げたと
1983年5月、映画「戦場のメリークリスマス」の出演者らと笑顔を見せる坂本龍一さん(右端)。左端はデビッド・ボウイさん、右から2人目は大島渚監督=パリ(AP=共同) 音楽家の坂本龍一さんの死去で、映画「戦場のメリークリスマス」で共演した北野武さんは「仲間がみんないなくなってしまい、『戦場のメリークリスマス』は俺だけになってしまいました」との談話を3日発表した。 【写真】映画「戦場のメリークリスマス」製作発表で記者会見する坂本龍一さん、大島渚監督、ビートたけしさん 1982年 北野さんの談話は以下の通り。 ただただショックで残念で仕方がなく言葉もありません。「戦場のメリークリスマス」の大島渚監督が亡くなってデビッド・ボウイが亡くなって、坂本龍一さんが亡くなって仲間がみんないなくなってしまい、「戦場のメリークリスマス」は俺だけになってしまいました。
俳優・サックスプレーヤーとして活躍する武田真治さんは、人気絶頂期に“うつ状態”に陥り、一時期実家に引きこもった経験を持つ。当時は「人に迷惑をかけてはいけない」と強く思っていた武田さんだが、回復してからは「どうやって人に甘えようか」と思えるようになったと話す。45歳で自身の特性に気づき、50歳を迎えた今「人生はのんびりでいい」と話す武田さんに自分らしさの見つけ方を聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice) ――武田さんは、引きこもり状態になっていた時期があると聞きました。 武田真治: 20年ほど前、アイドルアクターとして注目していただいた後、社会的な作品にも出演していた、人気絶頂期と言われるような時期に引きこもりになっていました。その頃の芸能界は本当に過酷でスケジュールもどんどん埋まっていき、キャパオーバーになってしまったんだと思います。 肉体的なつらさはも
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