すべてではない ユリイカ、この映画にはすべてがあると、まだ言うわけにはいかない。この映画はけっして完璧ではない。なぜならこの種の映画が完璧であるために不可欠な、いくつかの美質が欠けているように思われるからだ。例えばここには「退屈さ」がない、ここには愚鈍さがない、ここにはノベライズという蛇足がある…。しかし、それでも、ここにはすべてがあると言わなければならない。もしあなたが、ここにおいていまだ露わにならざるもの達の影を、声を、リズムを感じられるならば。 そう、すべては潜在する。この作品の特殊な技法、クロマティックB&Wという(マクルーハン的に)クールな着色こそは、「もの」の潜在態を立ち上げるべく開発されたものでなければ何だろうか。この映像のもと、あらゆることはデジャヴュとジャメヴュの相互浸透するかのような薄明に宙吊りにされる。そして広大な駐車場に停泊するバス一台。バスジャック事件そのものの直
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