フランス領インドシナ(現ベトナム)の首都ハノイで生まれる。父親は弁護士で、母親は阮朝第9代皇帝ドンカイン(同慶帝)の縁戚という上流階級の家柄であった。 高校卒業後に国立図書館で勤務し、第二次世界大戦中の1943年に、後に南ベトナム大統領の顧問になるゴ・ディン・ヌーと結婚した。結婚後、夫に合わせて仏教徒からキリスト教徒に改宗する。 幼少時から生涯を通じての親友は日本人女性だったと明かしている[1]。 アメリカのリンドン・B・ジョンソン副大統領と(1961年) 第一次インドシナ戦争におけるフランスの敗戦で、ベトミン軍がフエ市内に進駐。ベトミンと敵対したフランスや、その傀儡となっていた阮朝と関係が深かったため、「反ベトミン派」とみなされ、彼女を含めた一家は4ヶ月間軟禁されて、一日粥二杯のみの食事という過酷な待遇を受け、さらに長兄一家は銃殺されてしまう。この軟禁中の待遇が、彼女を強烈な反共産主義者