タグ

ブックマーク / www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto (10)

  • マックス・ウェーバーをめぐる羽入折原論争

  • 橋本努「リチャード・ローティを脱構築する」

    HOME リチャード・ローティを脱構築する 『理戦』no.74, 2003 Autumn, pp.66-87. 橋努 0.はじめに 「それを言っちゃぁ、おしまいよ」――世の中には、聞いてしまったら身も蓋もない答えが返ってくるような問いがある。哲学者リチャード・ローティが執拗にたずねまわるのは、そんな問いだ。とりわけ彼は、自身が身を置くアカデミックな正統哲学を無用であると告発し、哲学にルサンチマンを抱く人たちの生を肯定する。その魅力は、共倒れを覚悟で相手に最大のパンチをかますという、アイロニーの手法にあるだろう。相手を倒すが、自分もいずれ倒れる覚悟を決めておく。哲学に対する彼のアプローチは、そうした捨て身戦法にかける「意気込み」にある。 だが一方で、ローティの痛快さを嫌う人も多い。批判者たちによれば、「ローティのいうアイロニストの語彙では、民主主義を支持する理由を次の世代へ伝えていくことは

    nisemono_san
    nisemono_san 2021/12/12
    “ローティによれば、尊厳をもつ諸個人に対する侮辱を避ける方法は、各人が自らの言動を「自覚」することでしかない。”
  • 橋本努講義レジュメ ウェーバー「支配の諸類型」

    3.合法的支配、官僚制的行政幹部による純粋型 (1)任意の法が、協定または指令によって、合理的な(目的合理的・価値合理的な)志向をもって、制定されうるという観念。(13) (2)抽象的な・通常は意識的に制定された諸規則の体系。 (3)合法的なヘルの発する指令は、この非人格的な秩序に準拠している。(14) (4)服従者は、仲間(国家においては市民)としてのみ、また「法」に対してのみ服従するのだという観念。 (5)合理的に限界づけられた・ザッハリッヒな管轄権の範囲内でのみ、服従の義務を負うのだ、という観念。①継続的な・規則に拘束された経営(Betrieb)。②権限。③官職階層制。④手続きの規則。⑤行政手段(官職財産)と行政幹部の私的所有物との完全な分離。⑥官職地位の非専有。⑦行政の文書主義。(14-16) 4.つづき ・「合法的支配のもっとも純粋な類型は、官僚制的行政幹部による支配である。」(

  • 橋本努レジュメ ニーチェ「善悪の彼岸/道徳の系譜」

    ・「われわれはわれわれにとって必然的にどこまでも見知らぬ者なのだ、われわれはおのれを理解しない、われわれはおのれを取り違えざるをえない。」(360) ・「人間はいかなる条件のもとに善悪というあの価値判断を考えだしたか?しかしこれら価値判断それ自体はいかなる価値を有するか?」(363) ・「[〈よい〉という]判断のおこりは、〈よい人〉たち自身にあった。すなわち高貴な人たち、強力な者たち、高位の者たち、高邁な者たち自身にあった。こうした者たちが、あらゆる低級な者・下劣な者・野卑な者・賤民的な者に対比して、自己自身および自己の行為を〈よい〉と感じ〈よい〉と評価する、つまり第一級のものと感じ、そう評価する。この距離のパトスからしてはじめて彼らは、価値を創造し価値の名を刻印する権利を自らに獲得したのである。功利など彼らの眼中にはない!まさにこのように順位を定め、順位を分明ならしめる最高の価値判断が激

  • 橋本努・講義「経済思想」アーレント「人間の条件」

    HOME ハンナ・アレント『人間の条件』[1958=1973→1994]ちくま文庫 ・「人間の条件は、人間が条件づけられた存在であるという点にある。いいかえると、人間とは、自然のものであれ人工的なものであれ、すべてのものを自己の存続の条件にするように条件づけられた存在である。」(237)⇔人間には性があるという考え方。 ◆活動的生活の三類型(19-20) ①労働(labour):人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力 ②仕事(work):人間存在の非自然性に対応する活動力。生命を超えて永続する「世界」を作り出す。 ③活動(action):モノないし事柄の介入なしに直接人とのあいだで行われる唯一の活動力。多数の人間の間で生きること。 ◆必要物に関係なく自由に選びうる生活:アリストテレスの場合 ①肉体の快楽を享受する生活。②ポリス(政治体)の問題に捧げられる生活。③永遠なる事物の探究と観照

  • 橋本努・講義「経済思想」マルクーゼ「エロス的文明」

  • 橋本努・講義「経済思想」ボードリヤール「消費社会の神話と構造」

    ・【モノの意味の変化】「……他のモノとまったく無関係に、それだけで提供されるモノは今日ではほとんどない。このために、モノに対する消費者の関係が変化してしまった。消費者はもはや特殊な有用性ゆえにあるモノと関わるのではなく、全体としての意味ゆえにモノのセットと関わることになる。洗濯機、冷蔵庫、器洗い機などは、道具としてのそれぞれの意味とは別の意味をもっている。ショーウィンドウ、広告、企業、そしてとりわけここで主役を演じる商標は、鎖のように切り離し難い全体としてのモノの一貫した集合的な姿を押しつけてくる。それらはもはや単なるひとつながりのモノではなくて、消費者をもっと多様な一連の動機へと誘う、より複雑な超モノとして互いに互いを意味づけあっているが、この限りにおいてはモノはひとつながりの意味するものなのである。」(14) ◆成熟した消費社会 ・「いまや『消費』が全生活を捉え、あらゆる活動の組み合

  • 大学院進学のすすめ 橋本努

    以下の内容は、大学生との会話の中から生まれたものです。 ご批判・ご意見・ご感想・アドバイスなどをお寄せいただければ幸いです。 皆様の意見を取入れて、よりよいものにしていきたいと思っています。 ・大学院進学のすすめ 「彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」(夏目漱石『門』岩波文庫) ・【大学院進学という甘いすすめ】 現在、文科省の方針によって、大学院生の人数は毎年一万人以上も増加している。大学院生数は日全体で約20万人。これは研究者の総数と同じくらいの人数だ。博士課程に在籍する学生は、1970年において1万3000人、1996年において4万8000人である。 これほど大学院生を増やしても、研究者になれる人数は以前と変わらないのだから、多くの大学院生は、途中で進路変更を迫られることになる

  • 瀬田宏治郎「東大大学院合格体験記」

    1.はじめに 私は1999年1~2月に行なわれた入学試験に合格し、東大人文社会系研究科および阪大人間科学研究科の修士課程への入学許可を得た。まだ研究者への道の出発点に立ったにすぎないが、同じように大学院を受験しようとする後輩の一助になればと思い、以下の文章を記すことにする。これはあくまで一つのケースであって、同じようにやれば合格できるとは限らない。とはいえ、行間には良い点悪い点が見え隠れするだろうから、それを読み取れば何かの参考にはなるであろう。 なお、これは「合格体験記」であるから、試験の内容について詳しく述べることを主眼としていない。だから、大学院受験のための具体的な情報は、個別に私に問い合わせて欲しい。また、一部で情感たっぷりに書かれすぎて辟易する個所もあるかもしれないが、そういうところは飛ばして読んで欲しい。これは私がこの三年を振り返って再構成した「自己物語」なのだから。 2.三年

  • 橋本努「小さな政府の経済倫理」

    HOME 「小さな政府の経済倫理」 『経済セミナー』2006.1. No.612, 36-39頁. 特集 「小さな政府」は可能なのか? 橋努(北海道大学大学院経済学研究科・助教授) 1.リバタリアンな福祉国家? 1974年にハイエクがノーベル経済学賞を受賞したとき、いったい福祉国家として成功したスウェーデンがなぜその批判者たるハイエクに賞を与えるのか、という疑問が持ち上がった。ハイエクにしても、はたしてスウェーデンのような福祉国家から賛辞を送られる理由はなかったかもしれない。受賞に際してハイエクは、ありうる批判に答えるべく、当時のスウェーデン経済はイギリス経済よりも自由である、というようなコメントを残している。「国営企業の数」という点では、スウェーデンはイギリスよりも少ないというのである。一般にスウェーデンでは、政府の役割は所得の再配分や失業保険といった「市場補完的」な業務に制約されてお

  • 1