更新停止:2013/01/15 websiteの更新は『汎用適応技術研究 新サイト』に引っ越しました。 ・はてなダイアリー側の日記は、今後も随時更新する予定です。 ・今後とも宜しくお願い申し上げます。 1.nerd/otaku ・オタクの社会適応技術研究と、オタク関連テキスト →オタクの社会適応技術研究・脱オタ →オタクの実態やオタクコンテンツに関連した検討 →脱オタ症例検討 2.adjustment ・オタク以外も含めた、現代の都市空間における個人の適応について →汎用適応技術研究(adjustment study) 3.blog はてなダイアリー上で書き散らしている下書き・往復書簡・メモ・意見など →日常の記録(はてなダイアリー) →blog記事のベスト(2005-2006) (2007) (2008) (2009) (2010) (2011) ※2012年以降はこちらを →はてなダイ
・はじめに 今週末、某市にお住まいの若夫婦の住まいを訪ねる機会があった。東京都心から電車を乗り継いで約40分、比較的若い入居者とその子ども達によって構成されたそのマンションは、オートロック・二階建て駐車場・公園を備えた3LDKで、新築特有の匂いがまだ漂っていた。緑が多く、周囲の風景こそ田舎然としていたものの、そこに屹立する巨大な建物はやはり“現代都市空間”に違いなかった。かつて私が育った浜辺の街(1980年~1990年ぐらい?)のソレとは色んな意味で違う、2006年の子育て空間を私は目撃したと思う。ここで子ども達は育っていき、大人達は子育てをしていくんだなーと感慨にひたりつつ、今ごちょごちょ考えている「都市化やポストモダン的都市空間がコミュニケーションに与える影響」に関連したメモを残すことにした。 なお、このメモは、これまで考えてきた事と自分がかつて経験した事、一度の観察をふりかけただけの
ご覧の通り、東京の数字だけが「身内や自分ではなく赤の他人に迷惑をかけず大事にせよ」という数字が突出しているのがわかる。他の四都市にはこれがみられないのである。このような差異が生まれる要因としては、都市化してからの時間の程度、情報化の進みっぷり、民族性や国民性、儒教・道教的精神の残存度合いなど色々絡んでのことだろうが、ともかく違いがあることだけはよくわかる。よって、私はその後の木走さんの議論を「うんうん、確かにそうだ」と思いながら読み進むことになった。しかし、なんとなく何か大切なものを見落としているような違和感が残っていた。 ・「他人に迷惑をかけるな」、という時の「他人」の相違点(1948年と2006年) その違和感の正体は何だったのか?それは、「他人に迷惑をかけるな」という時の「他人」とはどんな他人なのか、が件のリンク先で区別されていなかったことに由来しているとようやく私は気付いた。木走日
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く