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ブックマーク / genesis.hatenadiary.jp (8)

  • 秋田孝宏 『「コマ」から「フィルム」へ』 - 博物士

    映像・表象文化論講座*1の院生と読書会。秋田孝宏(あきた・たかひろ)『「コマ」から「フィルム」へ――マンガとマンガ映画』(ISBN:4757101325)について討議する。2005年にはマンガ論についての著作が相次いで上梓されたが,そのうちの1冊。著者は,漫画映画の企画展を繰り広げている川崎市市民ミュージアムの職員であり,日マンガ学会の理事を勤める人物。 http://www.nttpub.co.jp/vbook/list/detail/0132.html http://www.kitanet.ne.jp/~akitanet/profile.htm ところが書への注目度は驚くほど低い。書評を調べてみたのだが,きちんと読み込んだうえで言及しているものが中々見当たらない。 http://d.hatena.ne.jp/hrhtm1970/20050928/1127917376 (宮大人)

    秋田孝宏 『「コマ」から「フィルム」へ』 - 博物士
  • 藤沢晃治 『「分かりやすい文章」の技術』 - 博物士

    専門学校で日語表現法を講義するため資料づくりとして,藤沢晃治(ふじさわ・こうじ)『「分かりやすい文章」の技術』(ISBN:4062574438)に目を通す。すると,法律を取り上げている箇所で間違いを発見。 裁判の判決で裁判長は,まず「被告人を死刑に処す」などと主文を読み上げ,それから判決理由を述べるのが普通です。先に判決理由を長々と述べて,「無罪だろうか? 有罪だろうか?」と気をもませるようなことはしません。 要点を先に,詳細は後に書く (52頁) ここが誤り。確かに,判決文では最初に主文があり,それから判決理由が記されています。しかし,死刑判決の場合だけは「主文の読み上げを後回しにする」ということが慣習として行われている。 他,『「分かりやすい表現」の技術』(ISBN:4062572451)でも法律文書が違反例として挙げられていたのだが,マンション管理規約の〈改善例〉は指示語の使い方が

    藤沢晃治 『「分かりやすい文章」の技術』 - 博物士
    nisemono_san
    nisemono_san 2006/04/30
    わかりやうくて正確なのは難しいですね
  • 博物士 - 教養としての〈恋愛シミュレーションゲーム〉

    そもそもアドベンチャーとシミュレーションの違いが僕にはいまいち分からない。 どちらもゲームである以上、何かしらのゲーム性が付随される事は当然なのですが、「探求」と「擬似体験」のゲーム性の違いを明確に分ける事は可能なのでしょうか。 http://d.hatena.ne.jp/terasuy/20060327/p1 に寄せて。あちらのコメント欄に投稿したのですが読みづらいので,加筆修正したうえ掲載しておきます。 両者の相違を id:terasuy さんは現在における機能から眺めていますが,私ならば歴史的経緯から説明します。 1) 例えば,『天使たちの午後』(1988年,JAST)を〈恋愛AVG〉と称することはあっても〈恋愛SLG〉と呼ぶことはないでしょう。初期のAVGは「ゲームブック」になぞらえて説明されることが多かったのですが,まさしく困難を乗り越えていく冒険だったのであり,次の(女の子の)

    博物士 - 教養としての〈恋愛シミュレーションゲーム〉
  • KemonoMix - 博物士

    見過ごせない話題が出てきたので,少しばかり。 実は私,前世紀には「ケモノものファンサイト」を開いていたことがあり,98DOS時代には「ケモノものゲーム」を専門にレビューしていたのですよ*1。そんなわけで,次の件に関しては一家言あります。 でもまあ、正直な気持ちを言えば、ケモノ耳なんか飾りに過ぎないと思う。 http://d.hatena.ne.jp/trivial/20060310/1141939885 「ネコ耳、ウサ耳、ケモノ耳」 http://d.hatena.ne.jp/trivial/20060310/1141939886 「着脱自在のネコ耳」 指摘されているように、ネコミミは強い着脱可能性を持つ外見的属性ではあるのですが、ある程度の内面の規制が行われるという点で中々興味深いところであります。 http://d.hatena.ne.jp/cogni/20060312/p5 “Wha

    KemonoMix - 博物士
  • 博物士 - 葉鍵系の源流を〈1980年代後期少女まんが〉に求めてみる

    このエントリーは id:genesis:20060215:p1 の焼き直しです。傍論として「ついでに」書いておいたところを id:REV さんに注目していただき,それが縁となって『カトゆー家断絶』でもご紹介いただきました。おそらく関心を持たれたのであろうゲーム論に関する部分を,読みやすいように取りだして書き改めました。 私の認識不足でなければ,1980年代後期の少女まんがについての考察が,マンガ研究という分野では抜け落ちているようです。時期的には,柊あおいが乙女のバイブル『星の瞳のシルエット』(1985年)を描き始めてから,原作版『耳をすませば』(1989年)を送り出すあたりまで。具体的な作家としては,わかつきめぐみ/谷川史子/岡野史佳など。 特徴づけるならば,等身大の少女と少年が日常を繰り広げるなかで関係性を形成していく〈ガール・ミーツ・ボーイ〉もの。 マンガ研究の中では顧みられることが

    博物士 - 葉鍵系の源流を〈1980年代後期少女まんが〉に求めてみる
  • 博物士 - 『テヅカ・イズ・デッド』をめぐる逡巡

    昨秋の発売直後に買って読んだものの,途方に暮れていたのが伊藤剛(id:goito-mineral)『テヅカ・イズ・デッド――ひらかれたマンガ表現論へ』(ISBN:4757141297)。 平易な文章で書かれているのに,どうにも理解できないでいた。昨日,文学部の院生が開く読書会での題材に取り上げられていたので,討議に参加させてもらった。3時間ほど話し合って,ようやく着眼点らしきものが見えてきたので,備忘録として書き残しておくことにします。 このが提示したマンガの分析枠組みは,次の2つ。 キャラ/キャラクター フレームの不確定性 後者については,別な参加者が論文のネタにしているところのようなので,ここでは触れないでおきます。 端的に言ってしまえば,概念の不確定性と射程範囲の不明瞭さが書の分かりにくさを生んでいる理由でしょう。 例えると,鍛冶師が多機能スイスアーミーナイフを売り出したけれど,

    博物士 - 『テヅカ・イズ・デッド』をめぐる逡巡
  • 吸血鬼伝承――「生ける死体」の民俗学 - 博物士

    平賀英一郎(ひらが・えいいちろう)『吸血鬼伝承――「生ける死体」の民俗学』(ISBN:4121015614,2000年)を読む。 好著の称号を献ずるに相応しいだった。その良さは,冒頭の第I章を読むだけで伝わってくる。第I章「フォークロア的前提」は簡潔にして要を得るもので,わずか20頁ほどに書の趣旨がまとめられている。 以下,後続する読者から楽しみを奪うという無粋な真似になってしまいかねないのだが,内容を紹介させてもらうことにしよう。これから読もうという予定のある方は,ここらでお引き取り願いたい。 著者の経歴は良く分からない。東欧の大学を渡り歩き,ハンガリーの大学で Ph.D を取得したことが記されているが,学術論文DBを開いても業績らしきものが出てこない。学問的系譜としては柳田民俗学に倣うものであることが序文で示されている程度である。しかし生い立ちの不明瞭さが,この著作の面白さを減じる

    吸血鬼伝承――「生ける死体」の民俗学 - 博物士
  • 本田透 『萌える男』 - 博物士

    田透(ほんだ・とおる)『萌える男』(ISBN:4480062718)を読む。 あきれるほど酷い。これが「トンデモ」なり「アジ小説」であれば笑って済ませられるところなのだが…… 新書という体裁をとり,外見を装って(偽って)いるからには,放っておくわけにもいかない。 まず,第1章「萌える男は正しい」は読むに堪えない。 第5章「萌えの目指す地平」と第6章「萌えない社会の結末」は,「世界をセカイに革命する力を!」*1と叫んでいるだけで,内容的には前章までに述べたことを反復しているのみ。まったくの無駄。 よって書で読む必要がある箇所は,フレームワーク(枠組み)を提示している第2章「萌えの心理的機能」と,具体的な作品を挙げながらフレームの適用を論じる第3章「萌の心理的機能」&第4章「萌えの社会的機能」に留まる。 framework 田の説くところをまとめると,次のようになる。 ▼ 第1章 萌え

    本田透 『萌える男』 - 博物士
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