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ブックマーク / blog.tinect.jp (2)

  • 大学の恩師に教わった、「なにがわからないか、わからない」ときの質問のしかた。

    「恩師」の意味を「人生全体に渡って、大きく影響を及ぼす程の薫陶を受けた人」と定義した場合、私には恩師と言って良さそうな人が二人います。 一人は、小学校の3年から4年の時に担任をもってもらったH先生。 もう一人は大学の専門課程、国語学研究室でお世話になったS先生。 H先生については、人生の選択に関わる重要な示唆を色々と頂いたなーと思っていて、例えば昔この記事で書いたんですが、 忍者ハットリくんが、私の人生を大きく変えた、という話。 「ファミコンの忍者ハットリくんに巻物が出てきてかっこいいから、物の巻物にも触ってみたい」 と素っ頓狂なことを言い出した私に、 「巻物は大学行かないと触れないよ」と答えて、さり気なく「大学=巻物」という刷り込みを行ったのがH先生です。 多分私、この教えがなかったら大学行ってませんでした。 上記の記事でも書いた通り、私は大学での専攻として、「巻物に触りたいから」とい

    大学の恩師に教わった、「なにがわからないか、わからない」ときの質問のしかた。
  • 素晴らしいことに、任天堂の岩田聡さんは「人間を説得して動かすのも、プログラミングと同じこと」と考えていた。

    任天堂の社長だった岩田聡さんが、55歳の若さで亡くなられたのは、2015年7月11日のことでした。 僕はファミコン時代から、岩田さんが作った『ゴルフ』や『バルーンファイト』『ピンボール』に夢中になっていましたし、HAL研究所という小さな会社から、抜擢されて任天堂の社長になった岩田さんのサクセスストーリーと、そんな凄い人であったにもかかわらず、いつも静かに微笑んでいる姿に親しみと憧れを抱いていたのです。 こんなリーダーの元で働くことができたらいいのになあ、あるいは、自分自身も、岩田さんのような人に少しでも近づきたいなあ、って。 『岩田さん: 岩田聡はこんなことを話していた。』(ほぼ日刊イトイ新聞・編/ほぼ日ブックス)は、岩田さんの言葉や、岩田さんをよく知っている人たちが、岩田さんについて語ったことを集めたです。 岩田さんは、糸井重里さんと長年親しくされていました。 糸井さんたちがつくってい

    素晴らしいことに、任天堂の岩田聡さんは「人間を説得して動かすのも、プログラミングと同じこと」と考えていた。
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