ブックマーク / yashio.hatenablog.com (19)

  • 差別語の三相を見つめて適切に距離を取る - やしお

    小説を商業出版することになり、これまで自分で書いて見直すだけだったのが、編集者・校正者による校正・校閲のプロセスを初めて体験した。その過程で差別語・差別表現に関しての指摘を受けて、改めて自分の中での判断について少し整理しておきたいと思った。 ある言葉が持つニュートラル、ネガティブ、ポジティブの三相を同時に見ないと、「その言葉をここで使うのが適切か」は判断ができないけれど、三相のうち一面しか見なかったり知らなかったりすると正確に判断ができなかったり、話が噛み合わなくなったりする。 指摘を受けた点1 「発狂」や「狂人」に指摘が入った。 江戸時代に実在したという届出「発狂扱ひ」に言及した箇所に指摘が入った時はどうしようかとも考えて、「精神状態の異常による行動という届け出」と言い換えた。 明治時代に精神障害者が「狂病者」と呼称され、「狂」に否定的・差別的な意味あいが付与されてきた。1970年代に「

    差別語の三相を見つめて適切に距離を取る - やしお
    njamota
    njamota 2024/04/22
    差別って本能に根差したもので、無自覚で傍若無人でもっと情念的だと思うので、こういう言語化された表層の話じゃなくて、表に出して話せないような自分の人格に切り込む話なんだろうな、実際は。
  • 被害者意識を掻きむしる気持ちよさと陰謀論 - やしお

    陰謀論に染まらないためには、被害者意識とそこからくる怒りを上手にいなしていくことがとても重要なんじゃないかと思っている。その被害者意識は苦しさばかりではなくて、ある種の気持ちよさもあるせいでハマると抜けるのが難しい。 陰謀論ほど極端でなくても、保守主義やリベラリズム、反差別主義や差別主義など、方向性や結論が真逆でも、何かしら「強硬な主義者」になるのは、似た機序が働いているのではないか。もっと日常的な場面で「自分は被害者/お前が悪い」という考えに囚われる時も、仕組みとしては同じかもしれない。 一方でその機序のおかげで現実に何かが改善されることがあるのも事実で、そうした面とどう折り合いをつけていくのが良いのだろうか。 といったことを最近思ったのでメモしておこうと思って。 ネトウヨと被害感情 なんで人が急に「ネトウヨ」や国粋主義者になってしまうんだろう、と以前から不思議に思っていた。 「ネトウヨ

    被害者意識を掻きむしる気持ちよさと陰謀論 - やしお
    njamota
    njamota 2021/06/02
    「「痒みと掻破の悪循環」(itch-scratch cycle)」
  • お金を貸して絶縁するだけの話 - やしお

    お金を貸した友人と絶縁するに至ってしまった。困っていて大変だなと思って貸したのに、最終的に「冷たい」「鬼」と罵られて、こんなの耐えられないと思ってもう返さなくていい、今までありがとうと言って絶縁してしまった。大人になってからこういう形で友人を失ったのは、なんていうか、ずっと大切にしていこうと思っていたのにとか、自分のコントロールする力が結局足りないんだろうかとか、色々考えてつらい。 一旦整理して過去に押し込めてしまうために記録しておく。 経緯 去年の12月に8万円貸してほしいというので貸した。過去にも彼にはお金を貸して、でもまともに返済できないままになったことがあったから、「二度と貸さない」と言い渡していた。ただ今回は自分の都合というより家庭の事情で、彼の母親が借りるという。息子経由で息子の友人から借りるってどうなの、とは思うけれど「それがかなりおかしなことだとは分かっているが、お願いでき

    お金を貸して絶縁するだけの話 - やしお
    njamota
    njamota 2019/05/25
    やしお氏は「状況」の人で友人は「心」の人なんじゃね?関数(金の貸借り)は同じだけどパラメータの重みが違うから、第三者からは違う世界が見えるんじゃね?こういうのも機械学習で構造が見えたりするかしら?
  • 人間にもセーフモードがほしい - やしお

    人間はロボットじゃないから、判断力は簡単に低下する。 病気、睡眠不足、貧困、暴力とかで、心が簡単に弱々しくなる。心が弱ってる時は、「都合の悪い可能性」を直視できなくなってしまう。だって、それを直視してしまったらもう、心が壊れてしまうから。 「損して得取れ」って言葉があるけど、それは余裕がある時にしか取れっこない戦略だ。 HPが10しかないのに「一旦ダメージを50らう」なんて選択肢ない。HPが100ある人に「防御コマンド繰り返しててもジリ貧ですよ」「一旦ダメージを50らって次のターンで攻撃しなきゃ勝てませんよ」とか言われたって、HP10の人は「そんなこと言われたって私には無理だよ……」と呟いて、防御コマンドを繰り返すしかない。 誰だって「自分は損している」「自分は馬鹿だ」なんて思いたくない。「自分は最良の選択をしている」と自分で信じたい。だから、当は追い込まれて選択しているだけの「防御

    人間にもセーフモードがほしい - やしお
    njamota
    njamota 2019/02/07
    判断を他者に委ねるのは高度な能力であり、例えば虐待死を出現させるのが親の抱え込みだったりする。困窮時には、後見人に託すという高度な判断が困難。他者に対する信頼感を困窮時にどう維持・構築するかという技術
  • 当事者より自分の方が分かっているという傲慢さのもたらす無益なコスト - やしお

    この前、はてな匿名ダイアリーで↓の記事を読んだ。 デートお金が減らない 新しいパートナーが一切をリードしてアレンジしてくれるお蔭で圧倒的な快適さが得られる。そういうタイプのパートナーを今まで経験したことがなく、そういう歓びが存在すると知らなかったからとても驚いたという話だった。 すごく分かるという気がした。この「一切を私に良くしてもらえる」という感覚は、幼児期にしか得られないはずの、しかも幼児期にはそれが「当たり前」であるために歓びとして認識されない快楽だ。幼児から大人になるというのは、この種の「他人に委ねて当然」という感覚を断念させられていく過程となる。「ご飯を作って貰って当たり前」「連れて行って貰って当たり前」というのが「当たり前ではない」「自分でやれ」と一つずつ剥ぎ取られていく。そうして断念させられてきたものたちが、予期せず一斉に回帰してくるのは驚きだろうし大きな歓びだろう。 一方

    当事者より自分の方が分かっているという傲慢さのもたらす無益なコスト - やしお
    njamota
    njamota 2019/02/07
    「ちょっと聞いてほしいな、共感してほしいなと思って話してみると、こうした方がいい、あれは確認したのか、ここを検討してないとダメだといったツッコミを受ける。そして嫌になって」
  • 冷たいと言われる人達 - やしお

    理屈っぽい、親身じゃない、家族や友人も所詮他人、音で話さない、去る者を追わない、他人に期待しない……そうした態度の人が「お前は冷たい」「ドライな人間だ」と言われたりする。 理由や論理を抜きにして相手に自分の言いたいことが伝わるとは考えない。どれほど気心の知れた相手でも、親子であっても、言わなくても伝わるとは考えない。結論だけを言えば全て分かってもらえるとは思わない。自分ではない人間に考えを伝えるためには、論理という共有のツールを利用して道や階段を整備して一緒にゴールに辿り着くしかない。そう信じて丁寧に説明していると「お前は理屈っぽい」と言われたりする。 後輩や友人であっても求められていないアドバイスはしない。相手の服装に「もっとこうした方がいい」と無遠慮に言わないし、相手の仕事に「それじゃダメだ」と聞かれもしないのに言わない。部下から相談を受けている上司ではないのだ。もしどうしても何かを

    冷たいと言われる人達 - やしお
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    njamota 2018/09/11
  • 甥っ子が承認欲求のおばけになっていく - やしお

    甥っ子の兄弟(小4と小3)というか弟の方が、「子供だから」というレベルではないくらいに身勝手というか欲望のコントロールができていなくて心配になってしまう。去年のゴールデンウィークに会ったときよりこの前の年末の方がひどくなっていて、姉(母親)も悩んでるっぽいし。 自分の願望を実現しようとする時に、他人を気持ちよくする(他人にとってのメリットを勘案する)ことで実現しようとする方法と、他人を虐げる(他人にとってのデメリットを突きつける)ことで実現しようとする方法があるとすると、兄の方は前者で、弟の方は後者の戦略を採用しているように見える。後者の方法は、たとえば「○○してくれないと泣き止まない、うるさくする」とか、「○○してくれないといじわるする」とか、あるいは明らかにフェアでない自分だけが有利な選択肢を提示するとか。 後者のやり方だと、当然その利害関係者は反発することになる。そんなのはずるいじゃ

    甥っ子が承認欲求のおばけになっていく - やしお
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    njamota 2018/01/08
    やりたい事を我慢する難しさの程度には個人差がある。衝動性の強い人は、集中している事を中断するのがとてつもなく難しい。ゲームの時間制限で兄弟で同じ時間を設定しても、つらさや頑張りは平等にならない。
  • サンタおじさんのトナカイ掌握術 - やしお

    そりを引くトナカイたちのポジションには暗黙の、しかし厳密な序列が存在する。そりを引くたびにトナカイたちはお互いの位置で序列をはっきりと思い知らされ、自然と自身の序列を上げたいと思うようになっていく。隠微な優越感と劣等感が植え付けられていく。 サンタのおじさんが時々序列を変える。「ずっと同じというのもよくないから」とか何とか、理由になっていないような理由を言ったり、あるいはなにも言わなかったりする。トナカイたちはここ最近の自分たちの行動を思い出しながら、あれが良かったんじゃないか、あれがまずかったんじゃないかとサンタのおじさんの意図を自主的に忖度し始めるが、答えはわからない。そうして行動原理が徐々に「サンタのおじさんの気に入りそうなこと」へと支配されていく。 序列の低いトナカイは扱いが悪い。最下層のトナカイはまるで下働きのようだ。事の用意もさせられ、事をする場所も時間も分けられている。暴

    サンタおじさんのトナカイ掌握術 - やしお
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    njamota 2016/12/27
  • 悲しいだけ - やしお

    2ヶ月半前に母が亡くなった。自殺だった。 4年前に亡くなった父と同じ64歳で、4年前と同じように仕事中に「亡くなっていたよ」とふいに知らされた。違うのは、病死ではなく自裁だったことと、4年前に携帯電話越しに父の死を伝えたのは母だったのが、今度はその母が死んで姉が伝えてきたことだ。母の「ゆう君、お父さん、亡くなってたよ」といつもと違う妙に間延びした4年前の声も忘れられないし、姉の「ゆう君、お母さん亡くなってたって」と涙ぐんだ声も忘れがたい。 火曜日に外注先で仕事をしていて、正午になったから休憩に入ろうかと思ったときに姉から電話が入った。地元に住む姉の名前が表示された画面を見た瞬間に、母親のことだな、亡くなったという話かもしれないと思った。平日の朝は母親とメールを交わす習慣になっていて前日月曜と当日は返事がなかったから変だなと思っていたからだった。いつも朝7時頃にこちらからメールを出すと、30

    悲しいだけ - やしお
    njamota
    njamota 2016/12/18
    「「介護で迷惑をかけるのが嫌だ」とか「お金で迷惑をかけたくない」といった理由は社会的な課題が解消されれば霧散する」他者の援助を受入れる気持ちが無いと、環境が整っていてもそうはならないのではないか。
  • 金儲けと公益性の対立軸が消える - やしお

    DeNAのキュレーションメディア騒動でもそうだけど、会社が不祥事を起こした時に「金儲けvs公益性」という対立軸で語られることが多い。でも二つの意味でこれは同一軸上の対立項にはならないと思っている。そう考えた方がいいだろうと思っている。 まず一つが、「徹底的に利己的であろうとすると利他的な相貌を帯びる」ということで、永続的に金儲けをしようとすると自動的に公益性を帯びてくるということ。他人を犠牲にして自分だけが得をしようとするとしっぺ返しを喰らうから結局、他人も得するように行動した方がトータルで自分の得になってくる。 もう一つが、会社の一段上位のカテゴリに法人があるということ。個人でも「世の中をこうしたい」とか「自分はこう生きたい」といった理念や目的を持ち得るのと同等に、法人にもそうした理念や目的があり得る。法人には非営利法人(学校とか協同組合とか)や公的法人(国とか)などがある中の一部に、営

    金儲けと公益性の対立軸が消える - やしお
    njamota
    njamota 2016/12/10
    公正さを欠くと金儲け→公益性にならない。だから、公正さをどう担保するかが明らかじゃないと、対立を解消できないんじゃないか。
  • 介護、会社、監禁事件 - やしお

    睡眠事・排泄といった生理的欲求を、自分でコントロールできているという感覚を通じて人は「自分の主人は自分だ」という自信を確保している。もちろん他にも様々な要素で自信は支えられているけれど、なかでも生理的欲求のコントロール権というのはかなり大きな要素で、ここが奪われるだけで想像よりもずっとあっけなく人は、一気に自分の全てが掌握されたような錯覚に陥ってしまうという。自分の主人は自分ではなく相手であるように思われて服従してしまう。日常生活で体験する機会がないからわからないだけで、人の精神は案外もろい。 そうした知見が、例えばスタンフォード監獄実験などから得られている。絶対視するつもりはないけれど、この面でいろんな風景を切り取ってみればすっきり見えてくるかもしれない。 監禁事件があるたびに、逃げればいいのにどうして逃げないのかといった指摘がある。確かにいくつも被害者が逃げられる隙はあったのに、そ

    介護、会社、監禁事件 - やしお
    njamota
    njamota 2016/05/17
    認知症患者は「睡眠・食事・排泄の制御権」を奪われるのではなく自ら喪失していくが、それを奪取されたという陰謀論をとるのは、一般の極端な陰謀論者と同じ機序なんだろうか。自分から手放したと言うのとの違いは?
  • 説教を説教にしない技術 - やしお

    職場の後輩に説教してつらい。もうこっちの心理的ダメージの方が大きいんじゃないかってくらいストレスがひどかった。 「こういう姿勢で、こういう考え方で仕事に臨んでくれれば、他人から文句を言われずに済むし、楽に仕事ができる」、「一から考える、相手の立場で困ること・嬉しいことをとことん考えるって習慣を今からしていけば、5年後とかにはほとんど意識しなくてもできるようになるから」みたいな話をした。なるべく具体的に、こういう場面でまだちょっと甘いなと感じている、っていう話で始めていった。もともと感じていたけど、今日はっきり(これだとまずいよな)と思うことがあったので、ちょっと改まって二人きりで話をしたんだった。 それだけだとアンフェアだから、「そもそも君はかなり頑張ってくれてるし、ちゃんとやってくれている」、「その年齢でそのプロジェクトの課の代表者になってるっていうのは、大変なことだしすごいことだ。トレ

    説教を説教にしない技術 - やしお
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    njamota 2016/05/13
    「君にとっての課題を解決する道を、二人で探してる」対立じゃなく同じ方向を向いて問題を共有する。先達が課題を提示し、初心者を先導して共に考える。説教はされる側に不快感をもたらし、問題解決から遠ざける。
  • D.カーネギー『道は開ける』 - やしお

    http://bookmeter.com/cmt/55545848 不安感をいかに取り除くかという。膨大な条件に囲まれてみんな生きてるけど、その一つ一つが所与なのか、自分で操作可能なのかをはっきり分別する、という前提になってる。所与の条件は自分でどうしようもない以上、悩む必要がなくてそのまま受け入れる。受け入れた上で、じゃあ何ができるか考える。ってスタンスだ。それで基準位置が変わる、ありえない理想や事態を基準に嘆くよりも、今を基準に取り組めば自ずと不安感が消える。『人を動かす』(1936年)の方が内容というか作り自体がテクニカルで面白いけど、書(48年)の方が新しい。 あと面白かったのが、睡眠や休息の取り方だったり、職業の選定の方法だったり、お金との付き合い方だったりを、かなり詳細に具体的に書いてるところ。その辺がうまくいっていないと極端に不安が増大しちゃう、という著者の認識の表れだと

    D.カーネギー『道は開ける』 - やしお
    njamota
    njamota 2016/04/13
    「睡眠や休息の取り方だったり、職業の選定の方法だったり、お金との付き合い方だったりを、かなり詳細に具体的に書いてるところ。その辺がうまくいっていないと極端に不安が増大しちゃう」
  • 認識の枠組み - やしお

    自分が物事をどう把握しているのか(それを、自分がどう認識しているか)について一度全体をまとめておきたいと思った。 (1)認識の枠組みの概形、(2)それがもたらす価値観、(3)枠組みの限界点、(4)関係する過去記事へのリンク の4つに分けている。 (1) 認識の枠組みについての基的なアウトライン 体系、システム ある命題が、別の命題から論理で導出される。こうして論理で結ばれた命題のネットワーク(システム、体系)がある。その根には「何からも導かれていない命題」がいくつかあり、それらがそのシステムの仮定(=前提、公理)である。 論理は客観性、仮定は主観性に属する。 論理は「こうだから、こうなる」という形式によって、「誰にとってもそうである」、あるいは少なくとも「誰にとってもそうであり得ると、自分が信じられる」ものであって、客観的である。 仮定は何からも導かれていないため、「とにかくこうだ」と

    認識の枠組み - やしお
  • 敵対的ソクラテスの上司 - やしお

    相手に「どうしてそうしたのか」を答えさせた上で、「しかしそれは間違っている」と論理的に説明し、さらに「それなのにどうしてそうしたのか」を答えさせる、というプロセスを繰り返して相手の逃げ道をどんどん奪っていく作業のことを、敵対的ソクラテスと呼んでいる。ソクラテスは相手との対話を繰り返し、「あなたはなぜそう言うのか」という問いを問い続けて最後に無知の知の地点にまで至らしめる。同じ行為がここでは相手を追い詰める方向へと作用する。 この敵対的ソクラテスを仕掛けられた相手は最終的に、泣くか、逆ギレするか、真っ白な顔で「はい。はい。」しか言わなくなる。 相手を追い詰めるためや、自分の身を守るためにこうした攻撃は使用される。ヤクザや取り立て屋といった職業上の必要性(?)からそうされたり、嗜虐的な嗜好を満足するために実行されたり、あるいは他人から自尊心を攻撃されて仕方なく正当防衛的に使用されたりする。 し

    敵対的ソクラテスの上司 - やしお
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    njamota 2015/11/14
    その上司の人も、あるべき状態ではない理由を論理的に説明できないことが怖かったんじゃないかな。あと、敵対的ソクラテスは生産性に劣るのだから、仕事としてはその点で合理的ではなく、論理への信仰とは違うと思う
  • 会社におネエ口調デーを設けよう - やしお

    おれときどき気で思うんだ。ノー残業デーとかだけじゃなくて、おネエ口調デーを会社に設けたほうがいい気がする。 ストレスがたまるから 会社で働いているとどうしても「はあ? こいつマジ何言ってんだ」と思ったりすることがある。 思考様式が違う、持っている情報量が違う、習慣が違う他人と、意見をすりあわせて物事を進めていこうとする以上、どこかで齟齬が発生するのは仕方がない。誰だってそうだ。 だけどもちろんそんなこと口に出したりはしない。相手の自尊心を傷つけちゃいけない。黙って飲み込むか、いっそ裏腹に「なるほど。確かにそうかもしれませんね」なんて言ったりしている。だって自分だって相手からそうしてほしいからだ。 でもこれはストレスだ。思っていることを言えない、自分で自分を裏切るというのはつらいことだ。 このまえ飲み会で、ときどき感情的になってるときあるよねと言われた。そう、感情をきちんとラッピングする作

    会社におネエ口調デーを設けよう - やしお
    njamota
    njamota 2015/10/11
    悪気はない、問題を解決したくて指摘するのが、相手に不愉快を惹起し指摘の内容が伝わらない。これが、オネエ口調だとすっと伝わる。この力はオネエ達が築いてきたものだ。これをオネエ以外が利用する事の是非。
  • インターネットの人を勝手に男だと思う制度 - やしお

    以前インターネットのお人に会ってびっくりしたことがあった。ずっと男性だと思ってたお人が女性だった。最初少し混乱して、その後はふつうに楽しくお話して、帰ってからひどく自分が恥ずかしかった。 そのお人はインターネット上で女性性を一般に示すようなことを書いてこなかったけれど、一方で男性性を示すようなことも書かれてこなかった。性別を特定させることを書かれなかった。にもかかわらず、私はそのお人を男性だと思い込んでいたのだ。 中性だった場合に中性だと見なさず、自動的に男性だと思い込むという制度に、自分が完全に規定されていたのだと思い知らされて愕然とした。 お会いして少しした後、正直に「男性だと思い込んでいました」と告白したら「そうだろうなと思っていました」と仰った。インターネットでは、特に以前は、「女性だ」と表明すると色々と面倒だった、だからあえて性別を表明してこなかったというお話をされた。言われれば

    インターネットの人を勝手に男だと思う制度 - やしお
    njamota
    njamota 2015/05/26
    世界を認識する枠組みが初期設定として(遺伝子レベルかもしれない)与えられて、それが害をもたらす時、それをある程度克服する方法はあると思うけれど、その事に自覚的になる”文化”を社会はどう扱うのだろう。
  • 稲垣さんの話のこと考えてた - やしお

    稲垣さんがおじさんと半同棲してる、みたいなネットの記事を断片的に読みながら、(ああ、ぜったい「ホモなんだ」「カミングアウトしたんだ」って疑わない人がこの地上に大量にわき出て、当分はそこここで目にすることになるんだ)と思って急にしんどくなってきた。 二者関係を、友人、パートナー、/夫、同僚といった既知のカテゴリで分類できると信じて疑わない人たち。人間が二人いればそこには唯一無二でぜったいに他とは同一ではあり得ない関係性が存在する、という単純な事実をすっかり忘れてしまった人たち。 二者の関係を、他人/友人/恋人/夫婦のいずれかに分類できるに決まってる、と思い込んでいる人はことの外多い。それで「どれに分類されるんだ?」という前提で材料を集めてく。稲垣さんが「精神は恋人」「自分の性別がわからなくなってきた」と言ったとしても、それはただそれ以上のことを別に意味してないのに、もう勝手に「ほのめかし」

    稲垣さんの話のこと考えてた - やしお
    njamota
    njamota 2015/03/22
    「現実に存在しているその形態は唯一であって、分類すると原理的に現実のかなりの要素を捨てることになる」自分の中の”世界についての記述”に合致すること=理解。理解できない事柄は不安を呼び解決を要求する。
  • 連れ子をいっしょになって虐待する気持ち - やしお

    自分で書いたおブログの記事で、最初は自分でも気に入ってたはずなのに、他人からそこそこ否定されたやつだと自分でも嫌いになってもう読めなくなってしまう。なんかのはずみではてなのおブクマがたくさんついて、いくらか否定的なコメントが書かれた記事だと、もうクリックして読み返すことができなくなってしまう。 否定的なコメントを別に肯定してるってわけじゃないのに、ふしぎだ。 否定的なコメントのほとんどが、記事に書かれていないことの幻視や、書かれていることの誤読に基づいていたりすると(そんなこと言ってないのに)(ちゃんとこう言ってるのに)と思ったりする。そりゃそう読まれちゃうってことは書き方が悪いんだろうな、脇が甘いんだろうなとも思うよ。でもふつうの会社員が個人のおブログで書いてるんだよ。とにかくネームだけでも自分の思いが色あせないうちに書きあげておこうって書いてみたら、線が汚い、手書き文字が見づらいって怒

    連れ子をいっしょになって虐待する気持ち - やしお
    njamota
    njamota 2015/03/15
    全能な幼児と違って外の世界は自分の世界とは別物だから、外の世界からくる評価が自分の世界と直結している必要はないのに、一人で生きてるわけでもないから、気づかぬうちに心を外の世界につかまらせているのか。
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