1986年10月、ヤクルト監督就任の記者会見をする関根潤三さん。ヤクルトでも“ミスタープロ野球”に監督の座を譲りたい気持ちがあったという。 “元祖二刀流”として知られ大洋、ヤクルトの監督を務めた関根潤三さんが4月9日、老衰で亡くなった。 関根さんとは古くから公私にわたり親交が深く、ニッポン放送のプロ野球中継では解説者とアナウンサーとしてコンビを組んできた深澤弘さんに関根さんの思い出を伺った。 関根さんは旧制日大三中(現日大三高)から法大へ進み、投手として東京六大学リーグ歴代5位の41勝をあげた。1950年に近鉄に入団し、投手として244試合に登板して65勝94敗の成績を残すとともに、打力を買われて打者としても出場し、通算打率2割7分9厘、1137安打をマーク。 2リーグ分立後に通算1000安打と50勝を達成した唯一の選手で、史上初めてオールスターに投手と野手の両方で出場した“元祖二刀流”の