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ブックマーク / heis.blog101.fc2.com (2)

  • 勉強を遊びの一つだと思えない人たちが教える側に回るとどうなるか @heis.blog101.fc2.com

    「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記 嬉しくて嬉しくて、教科書を次々めくって読んでいたら、新入生の世話をしに来た6年生が、「おまえ、ほんとうに読めるのか?」と言った。 くやしいので音読してやったところ、「じゃあ、俺のも読んでみろよ」と6年生の教科書を渡された。それも読んだ。 「すっげー、こいつ、1年なのに6年の教科書読んでるよ!」と、大騒ぎになった。 それ以来、私には「頭のいい子」という称号がついて回った。 賞賛の意味でそう呼ばれることが多かったが、「変わってる」「すかしてる」という意味での蔑称として呼ばれることもあった。 もっと言うと、小学生は小学生らしく振る舞うことが要請されていて、それもかなり細かい基準があるんだよね。小学校1年生は小学校1年生らしく振る舞うことが要請されていて、小学校2年生は小学校2年生らしく・・・ってな感じで、かなり細かい暗黙的な規定があるわけ。 で、

  • なぜ日本ではテクニカル・ライティングの授業が行われないのか @heis.blog101.fc2.com

    「日語が亡びるとき」と「母の能」と「多様性」その昔三大普遍語に含まれていたフランス語とドイツ語は、要するに「できるとカッコいい外国語」である。日だけでなくアメリカでもそうだ。これには、歴史的経緯と、言語の背後にある「芸術・学問・文化」の蓄積が作用している。しかし、商売の役にはあまり立たない。これに対し、アメリカで習う外国語として手近なスペイン語は、たいして「カッコよくない」外国語。芝刈りやお掃除をする人々のコトバだからだ。 今注目は中国語だが、将来性は確かにあるものの、せっかくの長い歴史と伝統を過去1世紀ぐらい連敗が続いて帳消しにしてしまい、「カッコいい外国語」とはいえなくなっている。また、将来性でなく現在のことを見る限り、「中国語圏の富」の規模は、日語圏と比べてまだ小さく、その割に中国語のできる人の数が、日語のできる人の数より圧倒的に多い、つまり「そのコトバのできる人あたりアク

    nobyuki
    nobyuki 2009/01/28
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