批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。 この間、赤松小三郎に関する記事を連続して投稿し、赤松小三郎が慶応3年5月に越前福井藩の前藩主で幕府顧問の松平春嶽に提出した「御改正之一二端奉申上候口上書(以下、御改正口上書)」が、坂本龍馬の「船中八策」よりも早い、日本で最初の、選挙による民主的議会政治の建白書であり、もっと評価されるべきであることを論じてきた。 現在、ネットで検索しても、赤松の「御改正口上書」を読むことはできない。そこでこのブログに掲載することにした。出所は『上田市史』(下巻、1251~1253頁)である。赤松直筆の原本は失われているが、全文が松平春嶽の政治記録書である『続再夢紀事』に転載されているので、この文書の存在は確かのものである。 管見の限り、幕末維新関係の史書を読んでも、この赤松の歴史的文書の存在は無視されてい