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コンテンツと現象と知的態度とはに関するnoitseuQのブックマーク (3)

  • 問いに向き合う著者の真摯な姿勢:マシュー・ウィリアムズ『憎悪の科学』|Makoto Okada

    マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』を「いま、そこにある現実」と捉えるのは難しいことではない。それほどに私たちは時代の変曲点にいる。 一方で、その感覚を内面化する方法は人それぞれだ。直感や自らの体験から敷衍して何かを感じる人もいれば、『侍女の物語』が書かれた1980年代という"あの時代"を振り返り、自分たちが何を見ていたのか、何を感じていたのか、あるいはどう振る舞っていたかということを内省的に潜っていく方法もあるだろう。 ただし、私たちにできることは意外と表面的だ。wikipediaを見たり、他の論評を参照したりはするかもしれないが、知の様式に則って自分の中に浮かんだ問いを深めていくことは容易ではない。それにそこまではしない。人とはそういうものだ。私たちは流動体のように変形しながら周囲の流れの渦の中で生きているし、あまり何かを深刻に受け止めすぎることをよしとしない風潮に身を任せる方が楽

    問いに向き合う著者の真摯な姿勢:マシュー・ウィリアムズ『憎悪の科学』|Makoto Okada
    noitseuQ
    noitseuQ 2024/02/24
    私たちにできることは表面的だ。wikipediaを見たり、他の論評を参照したりはするかもしれないが、知の様式を使い自分の中に浮かんだ問いを深めていくことは容易ではない。適時変形しながら流れの大渦の中で生きる私達…
  • 批評家は何の役に立つのか? 樋口恭介『すべて名もなき未来』より|じんぶん堂

    記事:晶文社 『すべて名もなき未来』(晶文社) 書籍情報はこちら 批評家は批評をすることしかできない 「批評家は何の役に立つのか?」。先日、哲学研究者の福尾匠さんとトークイベントをしたあと、福尾さんと残っていたお客さんたちと雑談していた際にこういう話になった。 たとえば、小さな社会について考えてみる。友人たちが集まり、一つの社会を構成するとき、そこで自分が何ができるのかを考える。車を運転できる者がいる。魚をとれる者がいる。料理をつくることのできる者がいる。船を操縦できる者や、家を建てることのできる者がいる。そのとき、自分には何ができるのか? 運転者は車を運転し、釣り人は魚を釣り、料理人は料理をつくる。僕たちは遠い場所へと移動することができ、海や川へ行って魚料理べることができる。そのとき批評家には何ができるのか? 批評家は批評をする。批評家

    批評家は何の役に立つのか? 樋口恭介『すべて名もなき未来』より|じんぶん堂
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/09/09
    可能性の穴を見つけたんですけど とか言ってみたりする
  • 「学がない」ギフテッド|熱帯雨林の熊

    過去の記事でも何回か触れたことがあるが、 ギフテッドは自己愛性の高い人々が苦手だ。 理由は、 彼らのアグレッシブなオーラによる不快感と 人に危害を与えうる可能性を懸念しているからだ。 この理由は分かりやすく、 一般人も同じような気持ちを持っている場合が多いはず。 一方、 全く別の側面からギフテッドを苦しめるタイプも居る。 このタイプの人は一般社会からすると 「知識人」のようなイメージとされている。 「知識人」が嫌いという意味ではなく、 「知識人」の中でギフテッドを苦しめる人が居ること。 このタイプの人間の特徴は、 をたくさん読んだが、 の知識を通さないと世界を正しく認識できない、 もしくは認識できなくなっていること。 かつ、 人は自分のそういった問題に、 全く気づいていないことである。 の知識をたくさん覚えれば、 必然に人々から評価されやすく、 称賛を受けやすい。 何故かと言うと、

    「学がない」ギフテッド|熱帯雨林の熊
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/07/11
    しかし「知識人」と戦おうとすると、 まず一般人は味方になってくれないし、 一般人を敵に回してしまうケースも珍しくない。 「知識人」は一般人の「憧れ」だからである。
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