(タイトルを回収するのは後半である。が、ちょっとしばらく辛抱してほしい。書きながら思いついて、初めに想定していたのと違う結論に着地したもんで、すんません) なんやかんやと仕事を頑張っている僕だが、やっぱり他人の指揮系統のもとで働きたくないし、好きなことだけをやっていたい。そういう生き方をするために僕はベーシック・インカムが欲しいのだけれど、BIが導入されるまでは食い扶持を稼がなければならない。BIの導入を求める政治運動を行いたければ、BIが必要なのである。困った困った。 そうなると擬似的なBIが欲しくなる。生活保護やFIRE的な収入源の確保がそれだ。しかしどうにもむずかしい。ならば好きなことをやって金を稼ぐしかない。 好きなことをやって金を稼ぐには、広告収入を稼ぐか、パトロンをみつけるかしか選択肢はない(ないこともないけれど)。広告収入ってよくわからないので、そうなると僕はパトロンが欲しく
この作品は徹底機的に私というアイデンティティを模索する漫画である。一作目が自らの性欲、二作目が自らのセクシャリティである。両作に共通するものは己が生命への徹底的執着に他ならない。そしてどのようにして最大の敵たる自己と和解するか、或いは和解したかが描かれている。そういう点においては日本近代文学の流れを汲んでいるように私は思う。 国木田独歩の『忘れ得ぬ人々』に描かれたような自意識。日本自然主義の始祖たる性欲告白譚『布団』。更には夏目漱石の『三四郎』描かれる中央に接し自己のアイデンティティの模索。それらを包括しつつもさらにパラフレーズし現代の枠に入れたような作品だ。 新しいアイデンティティの模索。それは自己の性への戸惑いというものが一般的に許容された昨今作品として取り入れようとした表現者は或いは多いかも知れない。ペス山氏の作品において素晴らしい所は(それは勿論新たな自己の探求に重きを置いているが
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