皆様、ご機嫌いかがでしょうか。 本日は【140】バットを振りました。 痛ましい事件が関西でありましたが、昭和30年、東京の宝塚劇場が アメリカから戻った時の、 創始者の文献がありましたので、 読みながらバットを振りました。 青空文庫より。 『東京宝塚劇場の再開に憶う』 小林一三, 私は、関西で創立した宝塚歌劇を、何んとか東都に進出させ度いとかんがえて東京の市村座・歌舞伎座・新橋演舞場・帝国劇場等に出演させて、その様子を見て居りましたところ、充分成功する見透しがついたので、昭和七年、今の東宝株式会社の前身、株式会社東京宝塚劇場を設立し、日比谷の一角に、宝塚歌劇が常打できる東京宝塚劇場の建設にかかったのであります。 とのことで、続きをかいつまんで、10行にしました。 1行3回ずつ繰り返し 【言って振り】ました。 昭和8年竣成、9年開場。 戦争のため昭和19年に休場。 昭和20年進駐軍に接収され