チェルノブイリ原発周辺 30km 圏避難住民の被曝量の再検討 今中 哲二 京都大学原子炉実験所 1.はじめに チェルノブイリ事故が起きたのは 1986 年 4 月 26 日であるが、その翌日 27 日の午後、原発に隣接するプリ ピャチ市の住民 4 万 5000 人が避難した。 一方、 プリピャチ市以外の 30km 圏内村落の住民避難は大きく遅れ、 5 月 3 日にはじまりそ 5 月 10 日頃に終了した。 避難した人数は、 プリピャチ市を含めたウクライナ側 9 万 1000 人、ベラルーシ側 2 万 5000 人の合計 11 万 6000 人とされている。 チェルノブイリ事故 20 年のまとめとして 2005 年 9 月にウィーンの IAEA 本部で開かれた 「チェルノブイリ ・ フォーラム」の報告書 1) によると、事故直後に 30km 圏から避難した人々の外部被曝は、平均で約 30mS