私たちはどうやって“シューゲイザー”を感じ取っているのだろう。強烈なギターの歪み、浮遊するメロディ、深いサウンドの重層。それらの要素を含んでいても容易にジャンルと接続させてくれない繊細さがシューゲイザーの気難しい部分に思う。本稿で紹介する揺らぎとの同時代性という意味では、先日突然の解散となったFor Tracy HydeのメンバーがJ-POPに根ざしたシューゲイザーのプロジェクトへ参加など活発な様子を見ることができるが、羊文学、17歳とベルリンの壁、Luby Sparks……などと並べてみても、優れたアーティストが今はまだ“点在”しているような印象がある。シューゲイザーという手法が現行の音楽のなかでどうフィットできるのか試行錯誤する過渡期のようで、意外に国内シーンの様相は掴み難い。そもそも、配信サービス以降のアーティストに対して“ジャンル”というラベリングが音楽的なハラスメントなのでは……
![【あちこちのシューゲイザー】Vol.1シューゲイザーという「空間」を感じて | TURN](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/0271ccc7698dc4adf36c8e64a3f1b055f1bb8a04/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fturntokyo.com%2Fwp%2Fwp-content%2Fuploads%2F2023%2F05%2Fyuragi_HereIStand.jpeg)