2019年2月1日月命日以外の日に、震災関連記事をご覧いただくためには「河北新報データベース」の契約が必要です。 河北新報データベースにログインし、記事見出し脇の「河北新報データベース」をクリックしてご覧ください。 河北新報データベースについては、こちら<https://t21.nikkei.co.jp/g3/CMN0F11.do/kd/>
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さんさんの会 設立年月日 2011.03.11 場所 〒022-0002, 岩手県大船渡市大船渡町字富沢2-1 2011年3月11日14時46分18秒、 日本の観測史上最大の地震 (マグニチュード9.0)が発生。 この地震によって、最大波高10メートル、 最大遡上高38.9mにも及ぶ大津波が発生し、 東北地方の太平洋沿岸部に壊滅 的な被害を及ぼしました。 岩手県大船渡市もそのひとつです。 大船渡市は、岩手県南部の太平洋沿岸部に位置する人口4万人以上の街です。 今回の震災による被害者は全国で死者10,000人、 行方不明者14,000人といわれており、 そのうち岩手県だけで死者4000人以上、 現在も3000人以上の行方不明者がいるといわれています。 (5月5日現在/警視庁発表) 大船渡市の避難者数 6000人以上で、隣町の陸前高田では人口の半数以上が避難 もしくは死傷いたしまし
仮設住宅でのコミュニティ形成に注力、被災者住宅政策で国は発想の転換を――立谷秀清・相馬市長に聞く震災復興の課題(1) - 11/07/14 | 14:13 福島県北部に位置する相馬市は、東日本大震災で大きな被害を被った。3月11日午後3時半過ぎ、9メートル以上の高さに達した大津波は沿岸部の集落を襲い、死者・行方不明者459人、家屋の全・半壊1613棟(ともに7月12日、福島県災害対策本部発表)に達した。 そして大地震直後の福島第一原子力発電所の爆発事故により、相馬市には45キロメートル離れた双葉郡や南相馬市から難を逃れてきた人々が押し寄せた。放射能に対する恐怖から、原発から45キロメートル離れた相馬市内も一時は燃料や食料も届かないという事態に陥った。 しかし、立谷秀清・相馬市長は「国から避難命令が出る前に、自分たちで自主避難を決めることはありえない。最悪、ご飯と梅干しがあればや
車中泊 遠い夜明け 共同生活難しく避難所を遠慮 気仙沼 宮城県気仙沼市の避難所の駐車場で、東日本大震災から3カ月以上たった今も、車中生活を続ける被災者がいる。共同生活が難しいなど、さまざまな事情を抱える人がやむを得ず、息苦しい車内で眠れぬ夜を過ごす。民間支援団体は「命懸けの生活になっている」と指摘し、行政に早急な対応を訴えている。 約320人が避難生活を送る気仙沼市総合体育館。23日午後5時、配布された夕食を手に、体育館から駐車場に向かう人々がいた。 「ここで独り住まい。頼る身内もいないから」 軽自動車の運転席の窓を開け、堺秀男さん(58)は話した。トランクには荷物がぎっしり詰まっている。 働いていた市内の水産加工場は津波で流され、離島・大島にある自宅も一部破損した。別の避難所を経て、3月下旬に市総合体育館に移ったが、「いびきがうるさいので周囲に迷惑をかける」と、移った日から車中泊
仮設住宅、当選者の2割辞退=生活の不便さ心配、外れた被災者に不満も−宮城南三陸 仮設住宅、当選者の2割辞退=生活の不便さ心配、外れた被災者に不満も−宮城南三陸 東日本大震災で被害を受けた宮城県南三陸町で、仮設住宅に当選した被災者の2割が辞退していたことが13日、分かった。避難所で支給される食事の打ち切りや日常生活の不便さを心配するためだ。当選者が辞退せず、入居もしない空き部屋もあり、抽選に外れた避難者からは不満が出ている。 南三陸町は仮設住宅約2000戸の建設を予定し、うち計996戸が入居可能だ。高齢者や障害者といった事情などを考慮し、抽選で入居者を決めている。 同県大崎市の鳴子温泉のホテルや旅館は、南三陸町の集団避難場所となっている。渡辺三四郎さん(79)は、同町の高台にある志津川中学校の校庭に建つ仮設住宅に当選した。飲料水用の水道はまだ通っていない。足腰が弱っている渡辺さんは「ここ
「理由ないなら鍵返却を」抽選で入居決まるも避難所に 宮城県南三陸町は7日、既に入居ができる仮設住宅の入居期限を12日とし、同日までに「合理的な理由」がないのに入居しない場合、住宅の鍵の返却を求める方針を決めた。 佐藤仁町長が同日の定例記者会見で明らかにした。同町の被災者向けの仮設住宅は、既に9団地で入居可能。町によると、90%程度が入居した団地がある一方、6日現在で50%に満たない志津川中(47%)や志津川高(48%)など入居が進まない団地も目立っている。 仮設住宅入居後の被災者には、食料や物資の供給は原則的に行われない。このため、抽選で入居が決まっても経済的な理由で、避難所にとどまり続ける例などがあるという。 佐藤町長は「当選しても入居しないことに対し、抽選で漏れた住民から不満が出ている。理由はいろいろあると思うが、とにかく入居していただきたい」と話した。
仮設住宅 当選の7割入居せず 6月4日 19時36分 津波で大きな被害を受けた宮城県南三陸町で、町内の仮設住宅に当選した世帯のおよそ70%が、実際には入居していないことが町の調査で分かりました。入居すると食料や物資の支給が打ち切られるため、避難所などで生活しているとみられ、町は説明会を開いて、1週間以内に入居しなければ部屋を明け渡してほしいと求めることにしています。 南三陸町ではおよそ2000世帯が仮設住宅への入居を申し込んでいますが、用地の確保が難しく、着工できたのは50%余りにとどまっています。このため、入居は抽せんで決められていて、これまでに町内に完成した仮設住宅では、およそ300世帯が当選して鍵が渡されました。ところが、3週間以上が過ぎた今も、およそ70%にあたる200世帯ほどが、実際には入居していないことが町の調査で分かりました。中には、荷物を運び入れただけで生活していない住民や
クリックして拡大する宮城県南三陸町の被災者の多くが避難する鳴子温泉では、食べきれないほどの食事が毎日3食出る。この日は豚バラの串焼き、カツオの刺し身、グレープフルーツにキャベツのお浸し、茶碗蒸しまで付いていた=3日、宮城県大崎市(荒船清太撮影) 東日本大震災で家に住めなくなった被災者のうち、仮設住宅の抽選に当たっても避難所に残る人がいる。仮設住宅では食事や飲用水、通院などに支障をきたすというのだ。一方、「早く仮設に入りたい」と切望する多くの落選者もいる。さまざまな住民の「住まい」への思い。板挟みにあった宮城県南三陸町は仮設住宅への入居期限に締め切りを設けるなど、対策を強化し始めた。(荒船清太) ■ここは3食出る 宮城県大崎市の鳴子温泉の宿泊施設に避難している南三陸町の佐々木とし江さん(79)は、4月29日に南三陸町内の仮設住宅に当選した。 しかし、当選後の説明会で、仮設住宅からは病院への無
東日本大震災の被災者の仮設住宅をめぐり、高齢者や身体障害者の入居を優先するよう指導する岩手県で、入居の「ミスマッチ」が起きている。指導と逆に高齢者が避難所に取り残されるケースがあるほか、指導に従った結果、子どもを持つ家庭が希望する仮設住宅に入れず、小中学生が元通りの学校に通えない恐れも。自治体は「細かいニーズの見極めに時間がかかり、入居が遅れてしまう」と指摘しており、課題が浮かび上がった。 (池田悌一、日下部弘太) 津波で壊滅状態となった宮古市鍬ケ崎(くわがさき)地区の避難所。隣接する愛宕地区に完成した仮設住宅への入居が、五月三日から始まった。入居から漏れた吉田忠治さん(70)は「うちの二軒隣まで入れたのに」とため息をついた。
公共施設も大きな被害を受けた東日本大震災。使える施設が十分にはない中、住民の避難所と子どもたちの学習の場の確保をどう両立させるのか、各自治体は難しい対応を迫られている。 ◇代替施設乏しく 「市外の施設に移った人もいるけど、うちは移ったら仕事に通えなくなる」。自宅1階が津波で浸水し、親類の家を転々とした末の3月下旬、宮城県東松島市の鳴瀬第一中学校の武道館に避難した伊沢なつよさん(71)はため息をついた。 同市は3月下旬、今月21日からの新学期に合わせ、市内の11小中学校に避難していた約1500人に対し、集会所など別の避難所に移るよう要請を始めた。 市内だけでは足りず、近隣の大崎市など1市2町の体育館など5カ所を避難所として確保したが、移ったのは約400人にとどまる。「市外移転に同意していても、当日になると半分の15人しか集まらないこともあった」(東松島市)という。 鳴瀬一中の武道館には今も約
東日本大震災の被災者のための仮設住宅や市営住宅などへの応募を、仙台市が「10世帯以上の団体申し込み」に限定したため、「そんなに集められない」と被災者に戸惑いが広がっている。被災者の孤独死が相次いだ阪神大震災を教訓にした策だったが、締め切りまであと3日の時点で応募はわずか3件。用意した住宅は1割も埋まらず、市は早くも見直しを迫られている。 「必ずグループ単位で申し込んでください。単独では仮設や市営住宅に入れません」。今月9日夜、仙台市若林区の若林体育館。市の担当者が約300人の被災者に説明すると、「仲良しグループだけが集まればいいのか」「私のようにグループに入らない人はどう生きていけばいいの」と批判の声があがった。 市は8〜12日、すべての避難所など30カ所で説明会を開いたが、同じような意見が各地で相次いだという。11日から市民を対象に入居希望者の受け付けを始めたが、371戸の募集に対し
2011年1月26日に噴火した霧島連山・新燃岳噴火災害の支援に関する情報です。 「霧島連山・新燃岳噴火災害支援レポート」と「新燃岳噴火-山と生きる-(吉椿雅道)」の2種類を掲載しています。 日本は火山列島であるだけに、今回の霧島連山・新燃岳のようなケースはこれからも再々起こるのでしょう。昨日も、気象庁のHPを見られた方は気がついたかと思いますが、霧島連山・新燃岳の「噴火情報」を見ますと、午後4時32分には「噴火終了」と出て、午後6時15分に「噴火」と出て、18時45分には「霧島山噴火継続」と続いていきます。 しかしいわゆる霧島連山・新燃岳と共存している人たちは、一旦噴火終了というのが流れると、実感として「ちょっと早いんじゃないか?」と思いつつ、避難所にいる人の中には「あ~、じゃあ一度家に帰るか」と言って帰るでしょう。でもたまたま、今回のようにその約2時間後にまた爆発的噴火を起こすと、それこ
クリックして拡大する活発に活動する霧島連山・新燃岳から立ち上る噴煙を夕日が照らした=3日午後5時12分、宮崎県・高原町(頼光和弘撮影) 霧島連山・新燃岳の噴火で、一部地域に避難勧告を出している宮崎県高原町の横山安康総務課長は、3日夜の記者会見で「避難所が今のままで良いのか検討せざるを得ない」とし、避難生活が長期化する場合、仮設住宅の設置も検討する考えを明らかにした。 火山噴火予知連絡会が示した見解を受けたもので、横山課長は「避難所に不足しているシャワーや入浴サービスをさらに充実させる必要がある」とも指摘した。 高原町は1月30日、火砕流の危険性があるとして町内の約500世帯、約1100人を対象に避難勧告を出した。 また、同町は2月4日に開設すると発表していたボランティアセンターについて、専用の電話回線や事務所設置が間に合わないとして、開設を延期することにした。
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