名古屋が買った薩摩の恨み 徳川御三家の筆頭尾張徳川家は、六十二万石の石高を誇る大名家だった。加賀前田藩の百万石、薩摩島津藩の七十七万石には及ばないものの、仙台伊達藩と並ぶ大身である。尾張は戦国の頃から生産力の高い国だと言われていたが、時代が下って江戸時代になっても、尾張一国で六十二万石の表高(公表石高)を稼ぎ出していたわけではなく、尾張藩は尾張の周辺地域も広く支配していたのである。例えば、長野県塩尻市の国道19号線沿いには「是より南木曽路」と刻まれた碑があるが、尾張藩の支配地域はここまで及んでいた。木曽路はここから60~70kmほども続くが、木曽谷を抜けたところにある岐阜県中津川市は、当然まだまだ尾張ではない。 話は少々、と言うよりむしろかなり飛ぶが、木曽谷から直線距離で百数十kmのところに熱海がある。百数十kmならそれほど遠くないようにも思えるが、二地点の間には富士山があり、赤石山脈(南