中年以降の人生を考えるための5冊 今までずっと、ひたすらラクなことや楽しいことだけをやって生きていきたいと思っていたのだけど、40歳を過ぎた頃から、今までのやり方ではいろいろと行き詰まってくるようになってきました。何をやってもそんなに楽しくない。これからの人生はずっと下り坂が続いてい…
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ずっと以前、「何かを語るなら、まずは知識がないといけない。少なくとも、そのジャンルを全部読み尽くすくらいでないと……」という言説を聞いたことがある。それは確か、「SF小説を語るなら、古今東西全てのSF小説を読んでからでないと」といった文脈で語られていたように思う。 まだ少年だったぼくにとって、これはなかなか説得力のある言説だった。また、博識な人に強く憧れ、世界の全てを知りたいと思っていたから、ある意味魅力的な挑発でもあった。そのため、これを真に受けて、ありとあらゆるものを読んだり見たりした時期があった。 特に中学3年生の時は、マンガが好きだったから、出版された全ての男性向けマンガ雑誌を読んでいた(少年向けから大人向けまで)。当時の書店は立ち読みができたし、また出版点数も少なかったからそれが可能だった。 しかし、一年間その生活を続けてみると、さすがにバカらしくなった。時間がかかったというのも
今回のエントリーは ケータイ小説はケータイメール文化圏から生まれたもの。 だから、同人小説とかオンライン小説とは、ちょっと違う背景を持っている 読者はメールと同じ画面でケータイ小説を読んでいる。 作家と読者の関係は、活字時代とはちょっと違う。 という考察です。 長電話 最近の「ケータイ依存症」は、長電話で話すのではなくて、「メール依存症」が問題になっているのかな? 90年代は「電話依存症」というのが問題になっていた。 要するに「長電話」のこと とある1997年作成の用語集の項目「携帯電話の文化」より PHSは外出時に使えるコードレス電話として開発されたが、実際は安価な携帯電話として受容され、最近は十代の若者が長電話するための道具として特化しつつある。ポケベルはかつて専ら業務用だったが、90年代に十代の若者に普及し、数字や文字をやりとりしながらコミュニケーションを楽しむ文化が生まれた。参考:
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