東京電力福島第一原子力発電所の事故による電力不足への対応から、各地の夏の花火大会が中止になったり開催決定が遅れたりしている。 状況の推移に気をもむのは、夏場の売り上げが大半を占める花火業者。各社の売り上げ減は避けられない見通しで、業界団体は「こういう暗い時期だからこそ、花火で景気づけしてほしい」と声を上げる。 群馬県内では、8月13日に予定されていた「前橋花火大会」が、大規模停電による安全面の不安や、協賛金集めの難しさから4月下旬に中止が決まった。8月に開かれる「高崎まつり」も同様の事情で花火大会の実施は未定。高崎市観光課によると、東日本大震災の影響で関係団体との調整が遅れ、例年は6月上旬に決定するイベント内容も、固めるのに時間がかかる見通しだ。 花火業者は、通常なら花火製造に取りかかるこの時期になっても、大会開催の行方が見えないことに不安を募らせる。毎年5月には、打ち上げや製造を手掛
東京 LED助成緊急受け付けへ 5月16日 10時38分 東京都は、夏の電力不足への対策として、商店街が街路灯を消費電力の少ないLED=発光ダイオードに切り替える際、経費の5分の4を助成する制度の申請を18日から緊急で受け付けます。 LEDは消費電力が通常の蛍光灯などに比べて少なく、節電の効果が期待されています。東京都は5年前に、二酸化炭素の削減などを目的に、商店街の街路灯をLEDのランプに切り替える場合、経費の5分の4を上限に助成する制度をスタートさせ、ことしは6月から2週間の申請を予定していました。しかし、ことしは夏場の電力不足が懸念されるため、早めに切り替えを終えて電力不足に備えようと、緊急に申請を受け付けることになりました。受け付けは18日から20日までの3日間で、設置から10年を経過した街路灯をLEDのランプに切り替える工事費用やランプの購入費用などが助成の対象になります。東京都
釜石は、しおれない 復興の狼煙ポスターに反響2011年5月16日10時17分 印刷 Check 「復興の狼煙ポスタープロジェクト」のポスター 「復興の狼煙ポスタープロジェクト」のポスター 「心まで壊されてたまるか。」――津波で大きな被害を受けた岩手県釜石市の市民の姿に、力強い言葉を添えた13枚のポスターが反響を呼んでいる。 がれきの町や避難所にいる市民の写真に、「前よりいい町にしてやる。」「夢は勝つ。かならず勝つ。」などのコピー。すべて「復興の狼煙(のろし)ポスタープロジェクト」のポスターだ。 製作したのは「沿岸部の人たちに何かできないか」と考えた盛岡市の広告会社の男性と同僚有志、友人の都内のカメラマン。3月22日から釜石市で撮影し、感じたままの言葉をつけた。 釜石市の人たちを見た人が「自分も一生懸命やろう」と思ってくれることが、復興につながる。男性たちはそう思っている。 約30の企業・団
鬼怒川【茨城県境より塩谷郡藤原町高徳地先道谷原発電所取水堰堤までの区間】及び支流[江川・西鬼怒川・松川・清水川・泉川・松原川・寺小路川・土佐川・白石川・遅沢川・古大谷川・板穴川(東武鉄橋下流の区域) 大谷川【華厳の滝壺下流】及び支流[志渡渕川・丸見川・鳴沢川・赤沢川・稲荷川・田母沢川・荒沢川・左沢川] 荒川【矢板市大槻地先黒岩堰堤上流区域】及び支流[東荒川・尚仁沢川・黒沢川・石小屋沢川・天上沢川] 西荒川及び支流[大名沢川・松手沢川・シナシ沢川・寺沢川・細沢川・白沢川・ネタ沢川・黒沢川・東ハナレ沢川・造林小屋沢川] 小貝川【茨城県境上流の区域】及び支流[ぐみ川・百目鬼川・大羽川・小宅川・大川・桜川] 五行川【茨城県境上流の区域】及び支流[江川・行屋川・野元川・井沼川・冷子川] 田川【茨城県境上流区域】及び支流[釜川・山田川・前川・逆川・寅巳川・赤堀川] 姿川【壬生町安塚地先淀橋上流区域】及
今日はちょっとマジメなお話です。 あ、いつもマジメなんですけど・・・(^^;) アパレル業界の裏事情といいますか、ちょっと難しいお話になるかと思います。 現在というか数年前からですが、アパレル業界は氷河期のように厳しい時代です。 安い中国製品にどんどん押されて、日本の縫製工場もどんどん倒産していってます。 アパレルメーカーさんもなんとか企画生産していっても、世間もみんな不景気なせいで 店頭に並べた服もたくさん売れ残っている状態です。 そんな中、快進撃で伸びてきている会社があるそうで。 それはMade in Japanの子供服ブランドです。 なんと、そのブランドさんの子供服はすべて2000円以下! 日本製でこの値段!! そりゃ、みんな飛びついて買いますよね。 どうしてこんな値段で日本製の服が作れるのかというと・・・。 昔から繊維産業として発展していた地域がありまして、 そこでは現在でも、ある
ALT“帰郷” 原発事故で米国退避、8人着任 田村 冨塚市長(左)に自己紹介するALT=12日、田村市役所 福島第1原発事故を受け、13人いた米国人の外国語指導助手(ALT)全員が本国に退避していた田村市に12日、8人のALTが着任した。うち5人は退避先から戻った“帰郷組”。冨塚宥〓市長は「こんなに早く戻ってくれるとは。本当にうれしい」と笑顔を見せた。 13人のALTは原発事故後、米国が原発から80キロ圏内の自国民に避難勧告を出したことから、3月18日に全員が50キロ圏内に入る田村市を離れ、帰国した。うち8人は任期が満了したため、残る5人と新採用の3人が今月10日に来日した。 市役所でALTを迎えた冨塚市長は「皆さんに精神的、肉体的に迷惑を掛けたことをおわびしたい。帰ってきてもらい、田村を愛する心に感動した」と語り掛けた。 2年目になるトラビス・ハウエンさん(24)は「避難するのは悲
「安全だから家にいろ」津波、母と妻のむ 後悔と悲しみの日々 自宅跡地に立つ及川さん。「本当に何もかも流された」=宮城県南三陸町歌津 宮城県南三陸町歌津峰畑の農業及川道男さん(62)は、3月11日の東日本大震災発生直後の判断を悔やみ、自らを責め続けている。自宅は海抜10メートルより高い場所に建ち、津波が来ても安全だと信じていた。同居していた母と妻に自宅に残るよう指示したが、大津波は2人を自宅ごとのみ込んだ。母は亡くなり、妻は行方不明のままだ。 及川さんの自宅があった場所は現在、がれきが散乱し、家屋の基礎がわずかに残るだけだ。及川さんは変わり果てた自宅を見る度、母テル子さん(84)と妻よし子さん(60)に地震直後に伝えた言葉を思い出してしまう。 「うちが一番安全だ。どこにも行かないで、ここにいろ」 判断の根拠はあった。1960年のチリ地震津波で、周囲の家は津波にのまれたが、やや高台にある
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