正直なところ、「○○元年」というフレーズは色々な人が色々なタイミングで発するので、明確に「ココ」というのはかなり後から、むしろそのトレンドが終演しつつあるあたりで整理することができるものだと思いますが、「メタバース元年」は2022年あたりになりそうだ、といわれています。
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鳩山首相がツイッター(Twitter)をはじめたというので、遅ればせながら参入してみた(ツイッターの公式ガイドページはこちら)。 で、一週間ほどあれこれいいじくりまわしてみた結果、だいたいのところはわかった気がしているわけだが、この「わかった気」というのが曲者で、どうせ私は誤解しているのだと思う。うむ。確信がある。私は誤解している。 いや、奇妙な言い方である旨は承知している。が、私のこの「自分が誤解していることをわかっている感じ」は、「わからない」というのと、ちょっと別な感触ではあるのだ。 つまり、ツイッターには、おそらく数百通りの「わかり方」があって、それらの解釈のいずれもが、多かれ少なかれ誤解を含んでいるということだ。別の言い方をするなら、この種のコミュニケーションツールの真価は、傍観者が把握したつもりでいる「だいたいのところ」から外れた部分に宿っているものなのである。 今回は、ツイッ
知床半島を海上から見て回る船に乗ったことのある人はご存じだと思う。カモメたちが甲板に立つ観光客の手の届くところまでやってきて、競うようにカルビーの「かっぱえびせん」をくわえていく。その間、船はエンジンをゴンゴン鳴らして水面を強引に引き裂きながら前に進むが、カメモは風に乗ったグライダーのようですらある。羽ばたきもするが、オホーツク海の強い風と重力のバランスを上手くとっている。 大自然のまっただ中で暮らす鳥や魚はもちろんだが、地上生物でさえ自然法則を十二分に活かしている。『運動会で1番になる方法』という本を企画したときに、著者の深代千之さんに教えてもらったのは、「カンガルーは速く走っているときのほうが疲れない」というお話だった。ゆっくり動くときは筋肉を使うが、速く走るときは「靱」をバネにゴムボールのように跳ねていくので、疲れないのだ。 それに比べると、人間が使う機械というのは、なんとも効率の悪
Date: Wed, 18 Sep 2002 05:22:44 +0900 To: ■■■ML From: 酒井泰斗 Subject:【0】口上 酒井です。 ■さんと私のやり取りが、「もめごと」と呼べるようなものに発展してしまったように見えるにもかかわらず、現時点においても(あるいは今の所)、このMLにおける私(および■さん)の「発言権」が剥奪されていないことに──管理人氏およびメンバー諸氏に対して ──、まず感謝したいと思います。 ところで、今回の「もめごと」において、私は、私自身が、特別に非難に値する「不穏当/不適当な発言」を行ってしまった、とは、いまのところ思っていません。そこで、以下私は、 1)「自分の体面を保つ」(face work)こと、と 2)「自分の発言の妥当性あるいは無-問題性を証示する」こと という二つの要件を満たしつつ、寄せられている■さんの問いに答えることを目指して
マスメディア(特にテレビ)の広告効果は言うまでもなく絶大なものです。何千万という消費者にリーチし、話題を生み、需要を喚起する。しかし最近はそんな広告の効果が減ってきたとよく耳にします。不況とともに費用対効果が追及され、広告収入は激減し、媒体は減り、多くのメディア事業はそのビジネスモデルの見直しさえ迫られるようになりました。媒体にも広告主にも妥協の許されない状況の中、私たちは消費者との接触のためにただ「広告を買う」という考え方を捨てる必要があります。 ・インターネットが広告から奪ったもの 以前は広告こそが企業が消費者と接触するための唯一の手段でした。そして同じく消費者にとっても広告は企業と接触できる数少ない方法の一つでした。しかし、インターネットの普及により、コミュニケーションチャネルは急激に多様化し、消費者は様々な方法で企業の情報を取得できるようになります。お互いの情報共有やダイレクトな
ぶっちゃけサービスの規約とかはどうでもよいし、べき論なんだけどね。 無断リンク禁止がナンセンスなのはウェブが公開するためのシステムを志向しているはずだから。コピペとしての引用は出来ればしたくない。JavaのStringオブジェクトのように、同じリテラルを持つものは同じ実体として管理されるべき。ただ、部分を上手くリンクするシステムはhttpのプロトコルにはないし、相手先の版管理もできない。しかもなくなっちゃうこともある。ウェブが出版と大きく違うのは版という考え方が上手く適用できないということと、1つしかない実体そのもの自由に消し去ることができることをかな。メタドキュメントが貧弱すぎる。何度か拡張の試みはなされてきたけど。 転載については、許可=公表のコントロールを放棄したと見做されるべき、と思っている。決して著作権の放棄ではない(し、日本では放棄できない)けれども、転載を許可したが最後、今の
Geekなぺーじ : ネットで実名を出せない理由を読んで。 dankogaiさんのということは、そのサラリーマンにとっては、自らの名より会社の方が大事だということだよね? @geekpage ですよね。RT: @maname :#crosstalk 実名出すこと、会社に禁止されているサラリーマンもいるってこと忘れないでください。Twitter / Dan Kogai: ということは、そのサラリーマンにとっては、自らの名よ ...について。そういうdankogaiさんだって住所や電話を開示しているわけではないでしょう。ウェブに情報を掲出していた結果として、何かの「炎上」をきっかけに「電凸」のような事が起きたとき「(情報を)開示しているほうが悪い」と言われるのがネットなのであり、組織で働く人、ましてや勤務している会社が名前を出してウェブ上に書き込みをする事を禁止している人の記事が、なんらかの理
日曜日夜に、毎日新聞社主催で勝間和代氏がTwitterユーザと語り合うクロストークイベントがに参加しました(イベントURLが消えていたのでリンクできていません)。 非常に興味深い話題が多いイベントで面白かったです。 そのイベントの最後の方で、実名匿名議論に関しての話題があり、Twitter上で@manameさんが以下のような発言をしました。 maname #crosstalk 実名出すこと、会社に禁止されているサラリーマンもいるってこと忘れないでください。目立つことが仕事の人もいれば、目立ってはいけない仕事の人もいますよ。 http://twitter.com/maname/status/4601234589 その発言を「ですよね。」というコメントを付加してReTweetしたところ、以下のような反論がありました。 しかも、色々見てみると、様々な所に議論が飛び火しているっぽかったです。 os
増田は消えちゃうので全文コピペ。強調はわたしがつけました。 世の中バカが多すぎる 梅田望夫とか筆頭にさ「ネットにはバカが多すぎる」って言ってるの最近よく聞くけどさ、別にそれってネットに限ったことじゃないよね。 「世の中はバカが多すぎる」って言ったほうが正解に近いよ。 なのに、なんで「ネットにはバカが多すぎる」って言うかっていうと、モッチーとかの周りにはそんな人がこれまでいなかったから。 まぁはっきりいうと公立の小中高行ってたか行ってないかってことになっちゃうんだけどさ。 だから、ネットでこれまで周りにいなかった人がわさわさいると「ネットにはバカが多すぎる」ってなっちゃうんだよね。 世の中ってものを想像したときにたいていの人は学校ってものを拡大して想像してしまいがちだからそうなるよね。 だけど、違うよ。世の中はハイブロウな人ばっかりじゃないよ。 世の中のイメージを描くときに一番正しいのは何な
検索なら、私に任せたまえ。 企画書の資料やソースとなるデータ、はたまたアイデアのヒントになりそうな情報を求めて、どWebで探しているんだけど、なかなか見つからない、そんな経験をした人も多いかと思います。 無料で探せるソースが豊富なネットの検索は、まっさきに使われるもの。特に予算の取れない案件であればネットだけの情報だけで...なんてことも。だけど、Webですべて探せると思うのは大間違い。これは突き詰めて検索すればするほど、そう感じられるのではないかと思います。 それでは、検索エンジンをつかって探しにくい情報をあらかじめ知っておけば、無駄な検索じ時間を費やすことも減らせるはず。そこで参考になるのが、Geekなページの「Web検索では届かない世界」というエントリー。Webからでは見つけにくい6種類の情報が紹介されています。その6種類とは... 書籍に書かれている内容 論文に書かれている内容 各
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
id:y_arimさんの一連の記事「【ばなな居酒屋問題?】『人生の旅をゆく』を読んでみた【勝手なことぬかすな!】」(前編、中編、後編)にブコメをつけたら御本人からidコールでお返事を頂いたのだが、メタブコメで言いきれなかったのでエントリを立てることにした。 ブコメのやりとりをしているのは、前編の記事について。記事の中程には「いったいいつの出来事なのかというのがまったく気にされず、かつ、まさに今このときの問題であるかのように扱われていること、そういう風に扱ってしまえる、おそらく本来の読者でもねェ連中の無造作な手つき、そういったものがおれにはとても気色悪く感じられるということが言いたい。」とある。 y_arimさん本人のブコメ みんなこれ、無意識のうちにごく最近のことと思っていたんじゃね? 何年も前の話だぞ? というはなし。 私のブコメ 3、4年前のことだったとわかって、印象がガラリと変わるタ
ある日あなたのもとに、業界関係者が集まるイベントへの招待メールが届きました。ところがそこには、参加の条件としてこんな一文が添えられています: "Just don't blog, post pictures to Facebook, or even think about Twittering." 「ブログに書いたり、写真を Facebook にアップしたりすることのないように。Twitter でつぶやこうなんてこと、考えてもいけませんよ。」 さて、あなたはこのイベントに喜んで出かけていきますか?Twitter に書けないなんてもってのほか、ふざけるな!とメールを削除してしまいますか? こんな招待メールを出したイベントが、ニューヨークで実際に行われたそうです: ■ Party On, but No Tweets (New York Times) イベントの名は"Protocols"というそう
最近、「今のネット環境は多様性を殺しているのかも知れない」と思う事があります。 何か特定の表現をすると「ぐわーーー」っと批判的な人が発生して、集中的に誰かを批判する状況を目にする事が多いです。 そして、そのスクラムを恐れてネット上での発言内容に関しての多様性は抑制されるのかも知れません。 このような状況が生まれるのは「顔が見えない」というネットコミュニケーションの特徴が影響を与えているのかも知れないと考える事があります。 脱個人化作用と一体感 ネット上でのコミュニケーションでは、ある程度の匿名性や実名であったとしても「顔が見えない」ことによってリアルなコミュニケーションとは違ったコミュニケーションが形成されがちです。 例えば、目の前に大学教授や社長がいたとして「ちょwwww、自重しる」と目を見て言える人が何人いるでしょうか? 不思議な事に同様の行動をネット上で平気で行う人は非常に多く存在し
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