東チモールで1年間、復興の指揮を採った伊勢崎さんはその直後、内戦が激化していたシエラレオネ、ついでアフガンへ飛んで武装解除、治安回復に尽力する。紛争の現場で伊勢崎さんが見たものとは……。 これまで手がけたDDRの中で一番キツかったのは、東チモールの次に行ったシエラレオネですね。このときも国連から派遣されるという形で行きました(国連シエラレオネ派遣団DDR部長として)。1988年1月から内戦に突入する直前の1992年3月まで国際NGOの責任者として僕が働いていた事務所はもちろん、精魂込めて作ったインフラがほぼ破壊しつくされていました。 とにかく相手がまともな連中じゃなかった。朝から麻薬やって、交渉の現場でもラリったまま実弾の入ったピストルをくるくる回してるんですからね(笑)。ほんとにいつ撃たれるかわからない。ロシアンルーレットまがいのことをやられた同僚もいたしね。 特に下っ端の少年兵とかはコ
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