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2009年10月10日のブックマーク (7件)

  • 初心者にもわかるクラブカルチャー - 技術教師ブログ

    「ドラッグになんて頼らず音楽の力だけで支えられている日のクラブカルチャー」ってほんと? - 想像力はベッドルームと路上から 『「ドラッグになんて頼らず音楽の力だけで支えられている日のクラブカルチャー」ってほんと?』に対しての返信 - MetaMixRec. と、ほら来たクラブカルチャーバッシング!脊髄反射で、僕が書くべきことは何かを考えたのだが、結局「クラブカルチャー」って何だよ?という部分が全く輪郭づけられていない。議論が水の掛け合いにしかなっていないのはその部分。 クラブって何? クラブとは何か?と問われると少し難しいのだが、基的には「イベントを行う場所」もしくは「クラブで行うイベント自体」を指す場合が多い。クラブは"でかいスピーカーとDJ機材が備え付けられたバー"がその基で、イベントの主催者(オーガナイザという)がクラブのオーナーにイベントをやりたいと相談し、お金を払って場所

    初心者にもわかるクラブカルチャー - 技術教師ブログ
  • HIPHOPの否定は貧困の否定 - 技術教師ブログ

    3回生のゼミ発表は「ヒップホップ」。 実は「ヒップホップ」という音楽概念が私にはよくわからない。 そんなことを言えば「ロック」も「ポップス」一義的な概念規定があるわけではない。 たぶんそういうのは「空気」で何となく決まるのだろう。 アメリカ音楽マーケットにおける「ヒップホップ」は、それと排他的に競合する他の音楽ジャンルとの差別化の中で位置づけられているはずである。 ヒップホップと司馬遼太郎と村上春樹 - 内田樹の研究室 内田先生がHIPHOPについてよくわかっていらっしゃらないようなので僕なりのHIPHOPについてのレジュメを提出しておきたい。 この1エントリーでおおよそ概要だけわかるようにしておきたいが、わからない場合は各自で調べてほしい。 内田先生のこの書き方だと、まるでHIPHOPという音楽概念、思想文化自体が不完全なものだとして否定されているような受け取り方ができるが、音楽の表層

    HIPHOPの否定は貧困の否定 - 技術教師ブログ
  • ヒップホップと司馬遼太郎と村上春樹 - 内田樹の研究室

    3回生のゼミ発表は「ヒップホップ」。 実は「ヒップホップ」という音楽概念が私にはよくわからない。 そんなことを言えば「ロック」も「ポップス」一義的な概念規定があるわけではない。 たぶんそういうのは「空気」で何となく決まるのだろう。 アメリカ音楽マーケットにおける「ヒップホップ」は、それと排他的に競合する他の音楽ジャンルとの差別化の中で位置づけられているはずである。 もしかするとヒップホップの質的な競合相手は隣接ジャンルではなく、「クリスチャン・ロック」とかカントリーとか日ではほとんど聴かれないジャンルの音楽じゃないかという気がする。 労働、家族、信仰、祖国愛、自然・・・そういうものの価値をまっこうから否定する音楽があれば、アメリカにおける「対抗文化」として広範な支持者を得ることができる。 ヒップホップというのは「そういうもの」ではないかと思う。 興味深いのは「対抗文化」は世界的に知ら

    npidea
    npidea 2009/10/10
    とりあえず内田氏はHIPHOPという文化、思想を知らず、相変わらず文章を書き飛ばしていることがわかった。他の文章も同様に書き飛ばしているのかもしれないと思わせる書き方は、彼にとってもマイナスだと思うのだが
  • MOFONGO'S 100% REGGAETON

    ここ数年プエルトリコのラップ/レゲエと括られる音の中から出てきた「レゲトン」。音としてのスタイルが100%出来あがった括りとはまだ言えないが、やはりカリブという場所が作りつつある音であると思う。プエルトリコとこの音の関係を見てみよう。 ラップとプエルトリコの関係はヒップホップの黎明期を知る人にとっては不思議は無いかも知れない。70年代終わり、フラッシュ、クール・ハークと言った先駆的DJ達を、そしてラップという名前を決定したシュガーヒル・ギャングのシングルを支持したのはニューヨークのハーレム、イーストハーレム、ブロンクスなどのアフロ系やプエルトリコ系の若者達だったからだ。 サルサではコロン=ブラデスのコンビによる名盤"シエンブラ"の時代だ。ブレイキング(ブレイクダンス)や地下鉄などへの落書き"グラフィティー"と言ったヒップ・ホップ文化の要素を支えていたのがプエルトリコ系であったことも忘れては

  • MOFONGO'S 100% REGGAETON

  • こびとさんをたいせつに - 内田樹の研究室

    金曜日はゼミが一つと会議が三つと杖道の稽古。 1年生の基礎ゼミの第一回目。 この何年か、1年生のゼミが面白い。 大学のゼミってどういうものだろう。なんだか知らないけれど、いつこうという「前のめり感」があって、こちらもそういうのには弱いので、つられて前のめりになってしまう。 最初は「ゼミとは何か」ということについてお話しする。 でも、実は私にも「ゼミとは何か」ということがよくわかっているわけではない。 だから、毎年言うことが変わる。 今回はふと口を衝いて「ゼミの目的は自分の知性に対して敬意をもつ仕方を学ぶことです」と申し上げてしまう。 言ってみてから、そういえばそうだなと思う。 ポランニーの「暗黙知」(Tacit Knowing) も、カントの「先験的統覚」も、フッサールの「超越論的直観」も要するに、「私は自分の知らないことを知っている」という事態を説明するためにつくられた言葉である。 古

    npidea
    npidea 2009/10/10
    "どうやらわれわれの知性というのは「二重底」になっているらしいということに思い至る。 私たちは自分の知らないことを知っている。 自分が知っていることについても、どうしてそれを知っているのかを知らない"
  • AO 入試が始まった - 内田樹の研究室

    AO入試の第一次選考。 これから3月半ばの後期試験の判定教授会まで、半年にわたる長い入試シーズンが始まる。 入試部長として、この入試業務の全体を統括しなければならない。 もちろん実務は入学センターの職員がやってくれるので、決定したことについて(とくに失敗したことについて)責任を取るのが私の仕事である。 立場上責任を取ったり謝ったりすることはさっぱり気にならない。 世の中には、「立場上」であれ、責任をとることを好まぬ人もおられるけれど、「立場上」というのは要するに「命までは取らない」ということである。 そういう機会に「取れるものは取っておく」というのはずいぶんと大事なことである。 予定納税のようなものである。 そのうち「どかん」と来るかもしれないものを小出しに払っておくと後で助かる。 私が「わりとどうでもいい局面」ですぐに謝るのは、「絶対譲れない局面」で絶対謝らないための「貯金」をしているの

    npidea
    npidea 2009/10/10
    "私が申し上げたかったのは、あらかじめその有用性と意味が一覧的に開示されない限り、知性を活動させないというような横着なことを言っている人間は生涯知性と無縁である他ないということである。"