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ブックマーク / ryukyushimpo.jp (25)

  • 【ニュースの言葉】有害物質PFASとPFOSとは? 米軍や自衛隊基地で流出 何に使われているの? - 琉球新報デジタル

    米軍普天間飛行場から流出し、比屋良川から回収された大量の泡消火剤=2020年4月11日、宜野湾市嘉数(又吉康秀撮影) 米軍や自衛隊が漏出させた泡消火剤に含まれていた物質、PFAS(ピーファス)は、有機フッ素化合物の総称。物質としての安定性が高いため、環境中でほとんど分解せず、人や動物の体内にも蓄積する。特にその一種のPFOS(ピーフォス)は、発がん性など健康リスクが指摘されている有害物質だ。日国内では原則、使用・製造禁止。国際的にも規制され、日でも米国でもPFOSを含まない消火剤に順次交換していくことになっている。 PFOSの正式名称はペルフルオロオクタンスルホン酸(PerFluoroOctaneSulfonic acid)。1940年代に米国で開発された有機フッ素化合物の一種だ。耐熱性、耐薬品性などで優れた安定性を持つことから、撥水(はっすい)剤や泡消火剤などに使われてきた。 PFO

    【ニュースの言葉】有害物質PFASとPFOSとは? 米軍や自衛隊基地で流出 何に使われているの? - 琉球新報デジタル
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    nstrkd 2021/04/11
  • 新型コロナ感染拡大で世界は今どうなっている? スーパーに列、棚に商品なし、ガラガラのレストラン街…琉球新報の海外通信員レポート - 琉球新報デジタル

    新型コロナウイルス感染症が世界中で猛威を振るっている。各国のウチナーンチュの暮らしや現地の状況はどうなっているのか。海外通信員に現状を伝えてもらった。 料品を求めてスーパーに並ぶ人たち=フランスパリ郊外 フランス フランスのパリ近郊に住む大城洋子さんは「外出禁止令が始まる2週間前は全く危機感がなく、日は大変そうというくらいの雰囲気だった。あっという間に状況が悪化した」と説明する。自宅は田舎で危機感を感じる場面は少ないというが、近くのスーパーで朝、50メートルほど人が並んでいる光景に衝撃を受けた。夕方になると待たずに中に入れ、品薄ではあるが当面必要なものは問題なく買えたという。大城さんは「不安になる気持ちも分かる。私も不安だ。だけどこんな時こそ不安に振り回されず、立ち止まり考える賢明さを持ちたい。日々に追われていた家族がずっと一緒にいられるまたとない機会なのだから」と話す。 ボリビア

    新型コロナ感染拡大で世界は今どうなっている? スーパーに列、棚に商品なし、ガラガラのレストラン街…琉球新報の海外通信員レポート - 琉球新報デジタル
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    nstrkd 2020/04/06
  • 沖縄のシンボル・首里城とは 琉球王国450年の政治と文化の中心 沖縄戦で全焼し復元された世界遺産 - 琉球新報デジタル

    首里城正殿=2018年12月撮影 首里城は1429年から1879年までの約450年間、琉球王国の中心的な城で、政治文化の中心だった。首里城公園の公式ホームページによると、内郭(内側城郭)と外郭(外側城郭)に大きく分けられ、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成している。 昭和初期頃の首里城正殿 公式ホームページによると、首里城は国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国を統治する行政機関である「首里王府」の部でもあった。各地に配置された神女たちを通じて、王国祭祀を運営する宗教上のネットワークの拠点でもあった。首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の専門家が数多く活躍。首里城は文化芸術の中心でもあった。 陥落後の崩壊した首里城=1945年(県公文書館所蔵) 首里城正殿は1925年に「沖縄神社拝殿」として国宝に指定されたが、1945年の沖縄戦で焼失。戦

    沖縄のシンボル・首里城とは 琉球王国450年の政治と文化の中心 沖縄戦で全焼し復元された世界遺産 - 琉球新報デジタル
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    nstrkd 2019/10/31
  • 最強台風がくる前に…沖縄県民が伝えておきたい経験と対策【WEB限定】 - 琉球新報デジタル

    「2019年最強クラス」と言われる台風19号が日列島に接近する中、毎年台風が直撃する沖縄県民がツイッターで「#台風19号がくる前に沖縄県民が伝えておきたいこと」というハッシュタグをつけて台風対策を発信している。沖縄県民の経験に基づいた工夫、対策がズラリと並んでいる。(玉城江梨子) 外には出るな! 激しい風の影響で県道沿いの電柱が軒並みなぎ倒され、通行ができなくなった=2003年9月、沖縄県城辺町(当時) 2003年に宮古島を直撃した台風14号は最大瞬間風速74メートルを記録。死者1人、けが人が94人に上った。台風で人が死ぬこともある。 多くの人が訴えたのが外に出るな!ということだ。 #台風19号がくる前に沖縄県民が伝えておきたいこと 絶対に外出るな、絶対に出勤するなさせるな 死ぬぞ — 温玉@100kg超FATMEN (@scramble_0419) October 10, 2019 停

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    nstrkd 2019/10/11
  • 新たにN4護岸の造成に着手 サンゴ移植せずに工事を加速 - 琉球新報デジタル

    運搬車両で運び投入した採石を砂浜に敷き詰め固める作業を行うショベルカー=28日午前11時すぎ、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沖 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を進める沖縄防衛局は28日午前、新たにN4護岸(135メートル)の造成に着手した。 沖縄防衛局が同日午前9時46分に発表した。 名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沖では午前11時すぎ、運搬車両が砂浜に採石を投入し、ショベルカーで固める様子が確認された。 28日午前、新たに工事を着手した「N4護岸」とサンゴの位置 移設工事による環境への影響を話し合う「環境監視等委員会」が22日に開かれ、「サンゴを移植せずに護岸建設を進めることができる」と確認していた。 県が埋め立て承認を撤回していることを理由にサンゴの移植許可を出さなかっため、政府は移植せずに工事を加速させる手法を取った。 サンゴの生物学の専門家は環境監視等委員会の結論や政

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    nstrkd 2019/01/28
  • 「無知を恥じている」 樹木希林さんが生前、沖縄について語ったこと - 琉球新報デジタル

    島袋文子さん(左)の話に耳を傾ける樹木希林さん=2015年7月、名護市辺野古 15日に死去した俳優の樹木希林さん(享年75歳)は2015年7月、ドキュメンタリー番組の撮影で名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前を訪れ、新基地建設に反対する市民らと交流した。 辺野古在住の島袋文子さんの隣に座り、新基地建設をめぐる沖縄の現状について聞いた樹木さん。「俳優仲間に辺野古のことを伝える」と話したという。 16年3月には普天間飛行場の名護市辺野古移設に伴う新基地建設をテーマにした映画「人魚に会える日。」(仲村颯悟監督)の東京公開に合わせたイベントで仲村監督と対談した。「大変な思いをしている沖縄を自分が語れるか…。内地だと皮膚感覚で問題を感じられない。無知を恥じているんですよ。中に入ってみると、相当な苦しみがあるんですよね」と率直な気持ちを吐露していた。 【関連記事】 ▼「ネット右翼でした」 沖

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    nstrkd 2018/09/18
  • ゴルバチョフ氏、翁長知事に追悼文 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    ミハイル・ゴルバチョフ氏 東西冷戦終結の立役者で、ノーベル平和賞を受賞したミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領(87)は10日、琉球新報に対し、死去した翁長雄志知事への追悼文を寄せた。 追悼文は「彼の活動の基方針は、平和のための戦いであり、軍事基地拡大への反対と生活環境向上が両輪だった」とした上で「翁長雄志は私たちの中で永久に生き続けます」と結んでいる。 ゴルバチョフ氏は、ゴルバチョフ財団日事務所代表の服部年伸氏に対し「翁長氏は、沖縄の代表のみならず日政治家の中でもスーパーだ。将来首相でも十分やっていける人物」と評したという。 翁長知事の死去を悼むゴルバチョフ氏の追悼文 追悼文は9日付で翁長知事の・樹子さん宛て。服部氏は10日、翁長雄志後援会の国吉真太郎会長に追悼文を送付し、託した。 ……………………………………………………………… ゴルバチョフ氏からの追悼文翻訳 尊敬する翁長樹子

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    nstrkd 2018/08/12
  • 「辺野古埋め立ては自然破壊」 東清二琉球大名誉教授メッセージ全文 8・11県民大会 - 琉球新報デジタル

    東清二琉球大名誉教授 沖縄防衛局が新基地建設の環境保全策を議論するために設置した環境監視等委員会の副委員長委員だった東清二琉球大学名誉教授が「辺野古新基地建設断念を求める8・11県民大会」に送ったメッセージは次の通り。 「8・11県民大会に寄せて」 私は2014年4月から、沖縄防衛局が設置した環境監視等委員会の副委員長を務めていましたが、今年4月に正式に辞職が認められました。 最初は環境監視等委員会で、ちゃんとした監視ができると期待していました。それで、埋め立て区域も含めてウミガメの産卵場所、ジュゴンの草であるアマもなど海藻の分布と密度、ジュゴンが何頭いるのか、どれくらいの頻度で来ているのか、などの調査を依頼したのですが、全然返事が来ない。何も調べていないのです。 委員会での発言の確認も第1回目の後はありました。しかし、その後は議事録ができてくる度に全然違う。発言をしても、こちらの要求ま

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    nstrkd 2018/08/12
  • 【動画】3分で知る沖縄戦 なぜ県民4分の1が犠牲になったのか - 琉球新報デジタル

    1945年3月~6月の沖縄戦は住民を巻き込んだ地上戦で、当時の沖縄県民の4人に1人が犠牲になりました。 沖縄戦とはどんな戦争だったのでしょうか。3分で解説します。

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  • 沖縄「慰霊の日」なぜ6月23日?実は紆余曲折の歴史が… - 琉球新報デジタル

    6月23日。全国で沖縄だけこの日は公休日(土日と重なった場合は振り替えなし)と定められ、国の機関以外の役所や学校が休みになる。 「慰霊の日」 おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられた沖縄で、組織的な戦闘が終わった日とされ、犠牲になった人たちに祈りをささげる日だ。 毎年、沖縄では県主催の慰霊祭が開かれ、正午になるとあちこちで一斉に黙とうが行われる。甲子園予選を兼ねた高校野球の試合も中断され、球児たちが脱帽して目を閉じる光景は風物詩のようなものになっている。 すっかり県民に浸透したメモリアルデーだが、一方で、制定された由来や変遷を知る人は案外少ない。慰霊の日の「そもそも」をまとめた。 沖縄戦犠牲者の名が刻まれた「平和の礎」を前に手を合わせる女性=2017年6月23日 正午の時報に合わせ黙とうする高校球児たち=2016年6月23日 初めは6月22日だった! 慰霊の日が公休日として定

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    nstrkd 2018/06/24
  • ハンセン病理由 無人島に遺棄 「ごみ扱い」餓死寸前 - 琉球新報デジタル

    現在も園内に残る患者が掘った壕(愛楽園自治会提供) 1944年、西太平洋の赤道付近に位置する無人島。日軍の憲兵が銃を向け、男性(当時24歳)に下船を命じた。「らいがうつるから、人がいる島に近付くな。お前はここで死ぬ。そのことが国のためだ」。従う以外に選択肢はない。男性は国に「破棄」されたのだった。 国はハンセン病を「国辱病」と宣伝し、「浄化」に取り組んできた。1907年に「ライ予防ニ関スル件」を制定。31年には「癩(らい)予防法」と改めて、患者を死ぬまで強制隔離する政策を推進した。 男性は1920年、沖縄島で生まれた。18歳で出稼ぎのため、南洋諸島の一つ、クサイ島に単身渡った。「沖縄に残した父母を楽にさせたい」との思いを抱きながら土地を開墾し、仲間20人ほどと懸命に働いた。 41年12月に太平洋戦争が開戦すると、船にたけていた男性は現地で徴用され、見張り役として働いた。44年の正月、朝

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    nstrkd 2018/05/18
  • 「沖縄に申し訳立ちません」 「通販生活」が特集 基地の引き取り問う - 琉球新報

    沖縄特集で、稲嶺進前名護市長の「基地を全国で負担して」との訴えなどを掲載した「通販生活」2018夏号 【東京】沖縄の米軍基地問題などを随時特集している「通販生活」(カタログハウス)は最新号の2018夏号で、改めて基地の土への引き取りなどを問う沖縄特集を掲載している。作家の落合恵子さんと稲嶺進前名護市長との対談や、「沖縄県民に申し訳が立ちません」との見出しを掲げた、東京の基地引き取り運動の代表らのインタビューと合わせて15ページにわたる。 稲嶺さんは落合さんとの対談の中で「土の引き取り運動以外、沖縄の問題はよそ事というのが音ではないか」と指摘した。それを受けて落合さんは「辺野古新基地建設ストップ、日米地位協定改訂、土への基地引き取り、三つの宿題に土の私たちがどう応えるかが問われている」と応じた。 インタビュー記事では、東京外国語大の伊勢﨑賢治教授と東京新聞の半田滋論説兼編集委員が登

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    nstrkd 2018/05/14
  • 「ネット右翼でした」 沖縄に暮らし、記者になって思うこと - 琉球新報デジタル

    2018年3月25日、琉球新報に掲載された1の記事がインターネット上で話題を集めました。公式サイトに掲載された訳ではありませんが、新聞記事の写真がツイッターやフェイスブックで拡散され、個人ブログなどで紹介する人も続出し、賛否両論を巻き起こしたのです。 編集局内にある文化教育班のブースで原稿を書く塚崎昇平記者=3月27日午後、那覇市天久の琉球新報社 話題となった記事は、入社2年目の塚崎昇平記者(26)が書いた「ネット右翼でした」というタイトルのコラム。琉球新報の記者が「ネット右翼」だった過去を告白する内容は、ネットでの反応を見る限り大きな関心を呼んだようです。「記者ですが」というコーナーは2017年6月4日から毎週日曜日に掲載している記者のコラムです。記者たちの素顔を垣間見ることができると好評で、開始以来42回を数えます。 なぜ「ネット右翼」だった彼が琉球新報の記者になったのでしょうか。

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  • 産経新聞「批判に行き過ぎた表現」 「日本人救った米兵」記事で「おわびと削除」 - 琉球新報デジタル

    車両6台の衝突事故が発生、北向け車線が通行止めとなった沖縄自動車道=2017年12月1日午前10時半ごろ、沖縄市知花 昨年12月1日に沖縄自動車道で発生した人身事故について産経新聞が「曹長は日人運転手を救出した後に事故に遭った」と報じ、救出を報じない沖縄メディアを批判した件で、米軍が「救助行為はしていない」と産経報道を否定したことを受け、産経新聞は8日付朝刊で謝罪記事と事故報道の検証記事を掲載した。 1面に掲載された「おわびと削除」では「取材が不十分」とした上で、昨年12月12日付朝刊3面の記事と同年12月9日にインターネットで配信した産経ニュースをともに「削除」する意向を伝えた。その上で「記事中、琉球新報、沖縄タイムスの報道姿勢に対する批判に行き過ぎた表現がありました」とし、「両社と読者の皆さまにおわびします」と謝罪した。 1面には併せて乾正人・産経新聞社執行役員東京編集局長の談話が掲

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    nstrkd 2018/02/08
  • 産経報道「米兵が救助」米軍が否定 昨年12月沖縄自動車道多重事故 - 琉球新報デジタル

    車両6台の衝突事故が発生、北向け車線が通行止めとなった沖縄自動車道=2017年12月1日午前10時半ごろ、沖縄市知花 昨年12月1日に沖縄自動車道を走行中の米海兵隊曹長の男性が、意識不明の重体となった人身事故で、産経新聞が「曹長は日人運転手を救出した後に事故に遭った」という内容の記事を掲載し、救出を報じない沖縄メディアを「報道機関を名乗る資格はない」などと批判した。しかし、米海兵隊は29日までに「(曹長は)救助行為はしていない」と紙取材に回答し、県警も「救助の事実は確認されていない」としている。産経記事の内容は米軍から否定された格好だ。県警交通機動隊によると、産経新聞は事故後一度も同隊に取材していないという。産経新聞は事実確認が不十分なまま、誤った情報に基づいて沖縄メディアを批判した可能性が高い。産経新聞の高木桂一那覇支局長は「当時のしかるべき取材で得た情報に基づいて書いた」と答えた。

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    nstrkd 2018/01/30
  • 村本さん「沖縄の行動、何かがある」 基地問題を漫才で風刺 「同じ日本」と関心呼び掛け - 琉球新報デジタル

    基地問題をネタにしたきっかけなどを語る「ウーマンラッシュアワー」の村大輔さん=3日、那覇市 昨年12月にフジテレビ系で全国放送されたテレビ番組「THE MANZAI2017」で、名護市辺野古や東村高江など沖縄での基地建設などを風刺するネタで注目を集めたお笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村大輔さんが3日、公演のため訪れた那覇市で県内報道各社の取材に応じた。村さんは「基地賛成でも反対でもない」とした上で「賛成でも反対でも泣いている人がいたら、同じ日だったら『どうしたの』『教えて』ぐらいは言えよと思う」と訴え、沖縄の過重な基地負担に無関心な人が多い全国の状況を疑問視した。 村さんが基地をネタにしたのは、インターネットの番組で共演したジャーナリストの堀潤さんとの交流がきっかけ。堀さんの助言を基に約1年前、那覇市の劇場で出演した際に初めて基地問題のネタを披露し、拍手が鳴りやまなかった

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    nstrkd 2018/01/07
  • 「ほら、世界はスマホでつながっているよ」 UBERドライバーが伝えたいこと ◇アメリカから見た! 沖縄ZAHAHAレポート(4) - 琉球新報デジタル

    ワシントンD.C.での取材や移動、情報収集にスマホのアプリをいろいろ活用しています。移動で欠かせないのが、配車アプリのUBER。こちらではタクシーをしのぐ移動手段として、広く活用されています。 スマホにアプリをインストールし、名前やクレジットカード情報などを登録しておけば、どこにいてもGPSを使って迎えに来てくれて、目的の場所まで連れて行ってくれるサービス。 ワシントンD.C.ではもちろん、アメリカ国内の出張先でも使えるため、初めての街でも安心して移動できるので重宝しています。同様のサービスを提供するlyftも最近使い始めました。 UBERのホームページ 街角で見掛けるlyftの広告 手前の黒い車。この「UBER」マークのステッカーを貼っているのが目印です UBERやlyftのドライバーは、いろんな国の出身の人や、ダブルワーク、トリプルワークをしている人が多く、車内での彼ら彼女らとの会話が

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    nstrkd 2017/12/22
  • #MeToo とウーマンラッシュアワーから考える師走in 2017年 来年はあなたも「沈黙を破る人」に?(下) - 琉球新報デジタル

    (上)はこちら アメリカから見た! 沖縄ZAHAHAレポート(6) 米NBCの人気コメディー番組「サタデー・ナイト・ライブ(SNL)」 アレック・ボールドウィン演じるトランプ大統領はじめトランプ政権の面々のパロディーが見事! 政治を、時事問題を風刺たっぷりの笑いに。 そして、沖縄。 4月にワシントンD.C.に来て、トランプ大統領を巡る混乱やアメリカ社会の現状に一喜一憂している中で、私の2017年の楽しみは毎週土曜深夜、米NBCで放送される人気コメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ(SNL)」でした。 1975年に始まった長寿番組で、もともと政治や時事問題を風刺したコントに定評がありますが、最近はトランプ大統領を巡るコントがとにかく最高! アレック・ボールドウィンが演じるトランプ大統領、スカーレット・ヨハンソンによるイバンカ・トランプ補佐官、ケイト・マッキノン演じるジェフ・セッションズ司法長

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  • #MeToo とウーマンラッシュアワーから考える師走in 2017年 来年はあなたも「沈黙を破る人」に?(上) - 琉球新報デジタル

    アメリカから見た! 沖縄ZAHAHAレポート(5) あっという間に、2017年も残りわずか。今年はみなさんにとって、どんな年だったでしょうか? 米タイム誌は12月、その年を象徴する人を選ぶ毎年恒例の「今年の人(Person of the Year)」に、性的嫌がらせや性暴力を告発した人を選び、「The Silence Breakers(沈黙を破った人たち)」と名付けました。 2017年の「今年の人」米タイム誌の表紙 表紙には、ハリウッドの大物映画プロデューサー、ハーベイ・ワインスタイン氏のセクハラ疑惑を実名で告発した女優アシュレイ・ジャッド氏をはじめ、自分の尻をつかんだ元ラジオDJに対する民事訴訟に勝訴した人気歌手テイラー・スウィフト氏、米国の果樹園でイチゴを摘む仕事に就いていたイサベル・パスカル氏(仮名)、カリフォルニア州の企業ロビイスト、アダマ・イウ氏、配車アプリ「UBER」の最高経営

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  • 父と55年ぶり再会 豪で生き別れの娘、フェイスブック通じて実現 - 琉球新報デジタル

    幼い頃に生き別れた父の島袋芳則さん(左端)と55年ぶりに再会したサリー・ラッドさん(左から2人目)=4日、沖縄市のホテル オーストラリアのブリスベン在住のサリー・ラッドさん(55)が4日、沖縄市のホテルで、生後6週間の幼い頃に生き別れた久米島出身の父、島袋芳則さん(84)=沖縄市=と55年ぶりに再会した。ラッドさんには父親の記憶がない。フェイスブック(FB)を通じて父親を捜し当てた。再会した父の姿に「眉などが私に似ている」と話し、互いに手と手を見比べたり、見つめ合ったりして再会を喜んだ。 ラッドさんは「父は私に会いたくないんじゃないかと心配していたけど、間違いだった」と満面の笑みを浮かべた。島袋さんも「ずっと心に引っ掛かっていた。再会でき晴れやかな気持ちだ」と目を潤ませた。 島袋さんは戦後の1957年に真珠貝採取労働者としてオーストラリアに出稼ぎに渡った県民の一人。その時、ラッドさんの母、

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    nstrkd 2017/04/06