面倒くさい質問が来たなw ええと、単刀直入に答えると「けいおんは他のアニメや空気系作品と比較すると相対的に自然主義の側に属するが、しかし厳密には自然主義的リアリズムではない」。 順を追って説明するにょ。 まず、そもそも自然主義的リアリズムってなんやねん、というところから。 柄谷行人は近代文学のリアリズムを「風景」(客観性を伴う「現実」)と「内面」(深みのある主観的な「私」)の発見によって成立した人工的な「制度(ルール)」だとして、その言語機能の特徴を「透明」と呼んだ。 これを記号的な身体に「内面」を宿すという、大塚英志のまんが・アニメ的リアリズムに対応する形で定義されのが自然主義的リアリズム。つまり自然主義的リアリズムとは「内面」と「風景」を伴った「透明」な作品。 一方で東浩紀は「風景」の希薄な記号的な身体・世界で死や成熟といった「内面」を描く……つまり自然主義的リアリズムの条