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ブックマーク / miwa3k.hatenablog.jp (11)

  • 平作川を歩く その1 本流を河口から源まで - 散歩の途中

    横須賀市の久里浜にやって来ました。 今回の川あるきは三浦半島の平作川(ひらさくがわ)です。 平作川は三浦半島最長の河川とWikipediaにあります。延長は7.07kmとあり、そんなに長くはありません。 平作川源流のひとつは大楠山〈これも三浦半島最高峰〉の東山麓、山林中にあり、また河川法上(?)の平作川流源流は住宅地域の斜面からの湧水だったりします。ほかにもいくつか支流が集まって中流部からは衣笠、久里浜などの市街地、住宅地を通り久里浜開国橋で河口、東京湾浦賀水道に出ます。 河口の開国橋と標識 「河口から0.0km」の標示。 開国橋上から東京湾浦賀水道側 霞んでいますが正面に房総半島、右側クレーン乱立なのは横須賀火力発電所です。 《発電所は現在新1・2号機のリニューアル工事中、なんと置き換わる設備に燃料は石炭を使用するとのこと。石炭燃料は環境負荷が高く、もはや世界的に廃止の方向というのに信

    平作川を歩く その1 本流を河口から源まで - 散歩の途中
    nununi
    nununi 2021/10/15
    出身地です。平作川懐かしい。源流の場所は初めて見ました。
  • 横須賀田浦、追浜、横浜金沢あたりを徘徊 その1 - 散歩の途中

    横須賀の長浦から田浦、船越、浦郷、夏島、追浜ときて、横浜の野島、乙舳、金沢称名寺、海の公園をまわって金沢八景へという徘徊をしてきました。 その1最初はトンネル、そのあとは廃線、古倉庫と自衛隊とか。 国道16号新長浦隧道 横浜方面へ向かう車線のトンネル。並行してもう1、横須賀方面車線の長浦隧道があります。 背後もすぐ吉浦隧道、国道16号は横須賀市内へ入ってから市街地まで6,7のトンネルをくぐります。 国道の海側を通るJR横須賀線もこの前後トンネルが続きます。起伏のはげしい土地。 歩いている道路にもトンネル。 比与宇(ひよう)トンネル その手前には入口を塞がれたレンガ造りの、廃トンネル このトンネルは尋常のものではなく、「横須賀海軍軍需部地区地下壕」の開口部。 この奥には太平洋戦争時に造られた地下壕が存在し、通路や部屋などが網の目、アリの巣のように張り巡らされていました。その通路は(ひと

    横須賀田浦、追浜、横浜金沢あたりを徘徊 その1 - 散歩の途中
    nununi
    nununi 2021/04/27
    横須賀出身なので、このあたり懐かしいです!
  • 川崎港海底トンネルを歩いて東扇島を散策 - 散歩の途中

    川崎の埋立地、人工島の東扇島(ひがしおおぎしま)を少し歩いてきました。往復は徒歩でも通れる川崎港海底トンネルを使います。 東扇島というところは物流の拠点で、埠頭と倉庫が多くを占めていて一般の住宅などはまったくないのですが、展望施設を持つ川崎マリエンやいくつかの公園があったりして、住人はいないけれど釣りやBBQなどができる場所があるので一定のレジャー的需要はあるようです。 普通は車かバス、自転車などを利用して来るわけですが、今回は海底トンネル内部を見てみたさに歩いて行ってきました。 そしてアプローチ、”前置き”は京急大師線産業道路駅。なかなか昭和レトロな駅名が個人的に好きです。 海底トンネルや東扇島から近いわけじゃないのですが、2020年から駅名が「大師橋」に変わるそうで、その前の記録がてら寄ってみました。 駅ホームから つい最近ホームが地下化されました。(2019/03) 駅前を”産業道路

    川崎港海底トンネルを歩いて東扇島を散策 - 散歩の途中
    nununi
    nununi 2019/05/19
    海底トンネル楽しそうですね。行ってみたいです。
  • 清戸道を歩く 江戸川橋から清瀬清戸へ(1/2) - 散歩の途中

    古い道、清戸道(きよとみち)を歩いてきた。 起点は現在の文京区関口あたり、神田川にかかる江戸川橋が起点とされ、道はおよそ北西方向に向かって伸びて、清瀬市の清戸(上清戸、中清戸、下清戸など、かつては武蔵国多摩郡上清戸村、中清戸村、下清戸村)との間を結んでいた。 この道は例えば東海道のような、参勤交代の大名なども通るといった「立派」な街道ではなく、典型的な庶民の道である。もっともこの道がにぎわったのは、たぶん明治に入ってからである。 説明の都合上最初に、清戸道の途中、練馬区貫井の須賀神社前にあった解説板を貼ってしまおう。 清戸道(きよとみち) 清戸道は、練馬区の東端から西端まで延長約十五キロメートル、区のほぼ中央を横断している道路です。この道を東に行くと目白駅を経て江戸川橋に達し、西に行けば、保谷、東久留米を経て清戸(清瀬市)につきます。大泉から先、清瀬までの道筋は幾とおりにも分岐していきます

    清戸道を歩く 江戸川橋から清瀬清戸へ(1/2) - 散歩の途中
    nununi
    nununi 2018/06/18
    練馬に来ていただきありがとうございます〜
  • 相模川左岸用水を歩く その3 - 散歩の途中

    日を改めて、前回のつづきを歩いた。 寒川町倉見の倉見緑道から下り、茅ヶ崎市室田、用水の終点まで行く。 相模川左岸用水・足あと その3は緑のライン、新幹線近くの赤〇から南へ黄色の〇まで miwa3k.hatenablog.jp アプローチに使ったJR相模線倉見駅 倉見駅(くらみえき) 相模線は、大正10(1921)年9月、茅ヶ崎ー寒川間で開業したのを皮切りに、大正15(1926)年4月に倉見まで、同年7月に厚木まで線路を延ばし、昭和6(1931)年4月に橋まで全線開通しました。 このなかで、倉見駅は、大正15年に開業した当時の建物を今もそのまま使っていて、現存する相模線の駅舎の中で最も古いものです。 駅舎だけでなく、ホーム、倉庫などすべてが鉄筋コンクリート造りでした。 関東大震災直後ということもあって、地震や火事に備えるために建てられたのですが、補修費の軽減もねらい、当時としては大変画期的

    相模川左岸用水を歩く その3 - 散歩の途中
    nununi
    nununi 2018/05/24
    奇遇にも先週の土曜日に倉見駅に行ってました(白ポスト目当てに
  • 相模川左岸用水を歩く その2 - 散歩の途中

    前回のつづき。 座間市座間付近の住宅地から下って、寒川町倉見まで行く。終端点はそのまだ先だけど。 相模川左岸用水・足あと 今回その2は、青いライン途中のオレンジ〇から、赤丸まで 昨年冬(2017年12月)に座間市内の左岸用水を通過したときの写真が下。冬は通水していないとのことだが、なぜかこのときは水量豊富。 さほど離れていない場所で、2ヶ月たって2月は空っぽの水路 そして5月、これもその近所 水があるのないのは、きりがないのでこれくらいにして先へ。 県道の高架下を通過し、座間市入谷へ入っていくと再び田んぼが広がるのどかな風景に変わる。JR相模線の線路が近づいてきて並走し、入谷駅という駅もある…、いや、駅しかない。 用水路にかかる橋は駅前一等地へのメインストリート 向こうは駅ホーム。 その反対側 奥には座間高校、ということはこの道は駅からの通学路? 相模線と用水・冬 線路と並行して進み、座間

    相模川左岸用水を歩く その2 - 散歩の途中
    nununi
    nununi 2018/05/17
    今回も水路好きには堪らん感じ。
  • 相模川左岸用水を歩く その1 - 散歩の途中

    現役の農業用水路、それに沿って歩いた記録。 最初に言っときますが、華はないですし、何とか映えする絵もありません。それでもよろしければお付き合いください。 相模川左岸用水は相模原市南区にある、相模川磯部頭首工で取水した水を左岸一帯の田畑に供給し、末端は茅ヶ崎市まで20キロ以上の距離におよぶ長い疏水。1932(昭和7)年起工、1940(昭和15)年完成と、さほど古くはない。 歩いたのは用水起点の磯部頭首工から下流へ向けて、2018年2月と5月の2回。2月に訪ねてみると用水路に水はなく、農期の4月から9月の間だけ水が流されることを知り、5月になって再訪。 そんなわけで写真がダブりまくり、意識してなくても同じような場所、構図で撮影しているもんです。楽しく比較しながら行きましょう。(^_^;) 今回その1は、磯部頭首工から座間2丁目の小さな分水までの範囲。 相模川左岸用水・足あと(5月分) アプロー

    相模川左岸用水を歩く その1 - 散歩の途中
  • 田柄川緑道を歩く - 散歩の途中

    小石川、谷端川を歩いた同じ日の後半、田柄川緑道を歩いて練馬区光が丘まで行ってきた。 なのでこちらの足あと、スタートは谷端川の水源、粟島神社になっている。 田柄川緑道 足あと 粟島神社前から千川上水の分水路跡を上流方向に、地下鉄千川駅近くへ、というところまでは前回のとおり。 ここから少し寄り道して、それから田柄川へ向かうことになった。寄り道から最初に。 要町通りを要町3丁目交差点先で右に逸れていく道に入り、北へ向かって歩いて行くと、右側に小さいけれどもはっきりした谷地形が見えた。 さらに先へ行くと、歩いている道路も坂道となってその谷に下りていく。向原団地前交差点を左折してすぐのところにその道はあった。 道路真ん中に植え込み、歩道 おまけに、もはや現代の遺物ともいえる公衆電話まで。ここは谷筋が集まる谷底、向こう方向は石神井川、こりゃ古くからの暗渠に違いない。 ということでこちらを通って石神井川

    田柄川緑道を歩く - 散歩の途中
  • 浦賀道を歩く その3 浦賀から逗子(西浦賀道) - 散歩の途中

    東の浦賀道を浦賀から六浦まで歩いて、その後は以前に歩いた鎌倉街道下道に重なるので、保土ヶ谷の東海道追分まで歩いたことにした。 浦賀へ戻って、今度は西の浦賀道を歩くことにする。 その1でも記したが、「西の浦賀道は、東海道の「戸塚宿」から鎌倉道に入り、鎌倉を経て葉山、木古庭、平作、衣笠、大津に至り東の浦賀道と合流するものである。江戸から浦賀まで20里(約79km)である。この道は古代の東海道と推定される。」 ちなみに古代の東海道は大津から浦賀へは出ず、馬堀から観音崎手前の走水へ達する。走水からは海路で房総半島(上総国)に至るというルート設定になっていた。(おせっかいで付け加えると、古代の東海道は関西方面から鎌倉へ出て、そこから西浦賀道のルートを通っており、江戸はそもそも通っていない) 西の浦賀道 足あと 再度の浦賀、駅近くの歩道橋手前で 浦賀道は駅前を通過していることもあり、今回はここをスター

    浦賀道を歩く その3 浦賀から逗子(西浦賀道) - 散歩の途中
  • 浦賀道を歩く その2 汐入から六浦(金沢まわり東浦賀道) - 散歩の途中

    浦賀と旧東海道保土ヶ谷宿を結んでいた東の浦賀道、浦賀から汐入まで歩いてきたが、その続き。 汐入駅前 前回その1の最後に使った写真。 右側背の高いビルの後ろ側は横須賀の名所ドブ板通り、そこを先に行くとすぐに横須賀の繁華街といったところに汐入がある。 ここからはドブ板通りと反対側の丘にすぐ登るのだが、たぶん最近整備された駅前から、急に細い階段を上がっていく道を見失い、一時違う道へ入り込んだ。(すぐ気づいたが) そのあたりは足跡を精査されるとすぐばれる。 東浦賀道の足あと(その1、2分)今回は地図上の黄色ピンから赤ピンへ 前回その1のノートへのリンク miwa3k.hatenablog.jp 古い階段道 階段と急な坂道を上がっていく途中から、汐入駅前方向 正面向こうに見える丘が、うぐいす坂を上がって通ったところ。そこから坂を下り、駅前を通ってまた坂を上がっている。 この丘も上がると、すぐにまた下

    浦賀道を歩く その2 汐入から六浦(金沢まわり東浦賀道) - 散歩の途中
  • 浦賀道を歩く その1 浦賀から汐入まで(金沢まわり東浦賀道) - 散歩の途中

    東海道と三浦半島浦賀を結ぶ街道、浦賀道(うらがみち)を歩いた。 ◆東西浦賀道 横須賀市ホームページから抜粋 享保5年(1720年)、江戸湾防備のために伊豆下田から浦賀へ奉行所が移されると、江戸と浦賀間の人や馬の往来が盛んになったことから、三浦半島の浦賀にいたる東西2の道が作られた。これが浦賀道である。 東の浦賀道は、東海道「保土ヶ谷宿」から六浦(ここまで武蔵国)を過ぎて相模国に入り、浦郷、十三峠を越えて、逸見、汐入、公郷、大津等を通って、矢の津坂から浦賀に入った。江戸からは17里半(約69km)である。金沢から横須賀に至る道は難所の連続であった。 西の浦賀道は、東海道の「戸塚宿」から鎌倉道に入り、鎌倉を経て葉山、木古庭、平作、衣笠、大津に至り東の浦賀道と合流するものである。江戸から浦賀まで20里(約79km)である。この道は古代の東海道と推定される。 東浦賀道の山越え難所を避けるため、品

    浦賀道を歩く その1 浦賀から汐入まで(金沢まわり東浦賀道) - 散歩の途中
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