暑いくらいの陽気でした。朝のうちは0℃近くの気温だったのが昼過ぎには18℃。体調管理も大変です。 自律神経の乱れから、気温変動が激しいと体調を程よく保つのが難しくなり、急に汗をかいたり、ダルくなって歩くこともままならないこともあります。 好天の土曜日、当然に走りに行くつもりで準備運動を始めたのですが、ダルくなってきて諦めました。 鳥避けのことでも書きます。 小鳥(野鳥といったほうが良いのかな)のフン害を防ぐために、TVアンテナより高い位置にホログラムテープを取り付けたのですが、効果はいかに。 ホウキで掃くためにフンが乾くまでしばらく何日かほっておいたのですが、野鳥がいなくなったのでしょうこれ以上には増えませんでした。 こんな結果でした。 ホログラムテープでカラスは追い払えても野鳥はダメなようです。 次の作戦として考えているのは、 フクロウなど猛禽類のビニール製人形を吊るす。(なんだったら猫
ソロキャンプの場合は料理が面倒で敬遠される方も多いですが、アルミ飯盒のメスティンを利用すれば、色んな料理を作る事ができるんです。 そして、今回は手軽に誰でも簡単にできる「焼き肉のタレ御飯」をご紹介しますね! メスティンで簡単にキャンプ飯を作ろう! トランギア メスティン TR-210 ダイソー メスティン メスティンで「焼き肉のタレ御飯」を作ろう! メスティン 焼き肉タレ御飯【食材】 メスティン 焼き肉のタレ御飯【作り方】 米を浸けおく! 野菜を投入しよう! 牛肉をのせよう! メスティンを炊き込む! タオルでくるんで蒸らそう! 焼き肉のタレ御飯の完成! メスティン飯のまとめ! 牛の焼き肉タレ御飯 メスティンで簡単にキャンプ飯を作ろう! 筆者はキャンプ歴10年と長いのですが、以前はソロキャンプで一人分だけのご飯を炊く事が面倒と感じていました。 ファミリーキャンプなら3~4合の米を炊くので問題
「パパ、マジデジマって、いわないでね!」 娘が出し抜けに言ってきた。「ちょっとへんだよーって、きのうママにおこられたから」 私の真似をして注意されたのだろう。私は普段からついつい変なことを口走ってしまう癖がある。いわば親父ギャグだ。実家の父もそのようなキャラだったので、彼の血を引いたのだろう。 「マジデジマ⁉︎」は「マジで!?」のときに勢いでつい言ってしまう。同じようなものには「ホンマ?」と言う際には「ホンマでっかTV?」と続けて言ってしまう。そもそも関西弁ですらないので「ホンマ?」から既に不自然なのだけれど。 他にも「寒っ!」を「サムシングエルス!」と言ったり、何にでも語尾に「マンボウ」を付けたりとめちゃくちゃだ。しつこいくらい何度も言うので、娘にもそれが口移ってしまう。 娘が口にするたび妻から睨まれている。ママ友の前で娘が口ずさみ恥ずかしかっただの、幼稚園で娘が変な目で見られたらどうす
安野光雅さん死去今日(2020年1月16日)、図書館で安野光雅さんがお亡くなりになっていたことを知った。 追悼のコーナーができていたからだ。 2020年12月24日、94歳でお亡くなりになった。 画家の安野光雅さん死去 「ふしぎなえ」「旅の絵本」:朝日新聞デジタル https://t.co/mBPaQUeIng — まんぷく♪ (@manpuku_kansou) January 16, 2021 心に残る安野光雅さんの絵本私は安野光雅さんの絵本が大好きだ。 安野光雅さんの絵本を子どもたちと一緒に楽しんだ。 それはかけがえのない思い出だ。 とくに思い入れがある作品が「まるいちきゅうのまるいちにち」だ。 心に残る1冊だ。 はじめて読んだ時は、意味が分からなかった。 「面白くない本だな」と思った。 でも、この絵本はそうそうたる面々の協力のもとで作られている。 世界8か国、8人の絵本作家が安野光雅
あの日から26年の歳月が流れた。それは即ち、日本の人口の凡そ2割が「阪神・淡路大震災」をリアルタイムで知らない事を意味する。だが別に不思議な事ではない。私達の大部分もまた、1923年(大正12年)に起きた「関東大震災」を知らないのだから。 しかし私の中では、我が国を揺るがしたあの大災害に対し、どこかアウトサイダー的な感覚が今もなお残っている。それは多分、あの日あの時、遠く離れた場所にいたからかも知れない。否、恐らくそうに違いない。 以下はその当時の状況を昨年記述したものである。思う所があって再掲する事とした。 先ず最初に。この「シンクロニシティ」というタイトルを見て、大集団女性アイドルの歌についての記述だと思った方、申し訳ない。そうではないので悪しからず。 さて、1995年1月、未だお屠蘇気分が抜け切らない内に、私は初めてインドネシア共和国へ向かった。目的は観光ではなく、旧通産省所管の外郭
題名:アマゾン川の支流で示された「モン・ファボリ メープルシロップ 250g」 報告者:ダレナン 本記事は、この記事の続きです。 ナスティアか、ナスターシャか、よく思い出せないが、たぶんナスティアだと思う。彼女は、「赤いのは生きている証拠よ。だってそうでしょう。血も赤いですもの。」と言ったか、どうか、も思い出せない。そうして、ヘモグロビンは、今日も運ばれる。そうして、鉄分でもって、ヘモグロビンはぴったりと寄り添う。「そうだったね。ナターシャ、いや、ナスティア。よく忘れてしまうよ。いつもごめんね。だんだんと、頭の中が、ヘモグロビンで満たされていくのが分かるよ。そもそも、脳の中には、血液はないんだっけ。それすらも思い出せない。ナターシャ、いや、ナスティア。」。 いつも、いつも、間違えても、笑顔で、微笑んでくれた。そう、彼女は、ときどき、その目線でどきどきさせる(図)。が、そのどきどきは、ヘモグ
長男Mと次男Kへ。 この街をあの大地震が襲った日、長男Mも次男Kもまだ生まれてはいなかった。それどころか、私はまだ君たちの母親となる女性と出会ってさえいなかった。彼女と知り合うのは地震の翌年の春のことだ。 震災の記憶は今も鮮明に脳裏に焼き付いている…… と、調子よく話し始めたいところだが、私は本当に物覚えがよくなくて。あの日のことも、あの日に続いて私の周辺で起こった様々な出来事も、断片的にしか覚えていない。 先日(※16年前のことです)、古いパソコン(※NECの98シリーズです、、、)をいじっていると、ハードディスクの中に、震災の直前に始めたばかりだったパソコン通信のログ(通信記録)と、震災後しばらくつけていた日記のデータを見つけることができた。読み返してみると、十年も経たない今でさえ、もはや意味の汲み取れない記述がいくつもあった。放っておくと、この先どんどん忘れていく一方に違いない。だか
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