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2011年9月3日のブックマーク (8件)

  • #シューティングであった怖い話

    幽霊なんかよりもよっぽど怖い、シューティングゲームであった怖い話。

    #シューティングであった怖い話
  • synsense, トイレットペーパーを風になびかせながら遊んでる。楽しい。

    トイレットペーパーを風になびかせながら遊んでる。楽しい。

    oanus
    oanus 2011/09/03
    いつかやる
  • アブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ

    およそ3分に1匹の割合で出現するアブとの闘いは、完成度の低いアクションゲームを彷彿とさせる。私の知らないところで連中が列をなして今か今かと待ち望んでいるのではないかと邪推してしまうほど、出現するタイミングが妙に機械的なのである。6分放っておけば2匹、9分放っておけば3匹に増えている。時折モノホンのやくざ(スズメバチ)が出現するからいよいよタチが悪い。

    アブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ
    oanus
    oanus 2011/09/03
    アブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶滅しろアブ絶
  • 学術雑誌の高騰 - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    これはおそらく大学関係者はだれでもよく知っている問題だと思うけれど、今日、大学の図書委員会の会議に出席して、改めて痛感した。いかに学術雑誌が値上げされて、それが大学の予算を圧迫しているかということだ。 しかも奇妙なことに現在のデフレ経済にも関わらず、雑誌の購読契約は毎年5%値上げは珍しくなく、場合によっては10%値上げだったりする。それに円高はいったいどこにいったのだろう。 このように学術雑誌が高騰する理由にはいろいろなものがあるのかもしれない。たとえば、電子化のコストだ。たしかに電子化によって冊子を所有するスペースを持たない大学がより多くの文献にアクセスできるようになったことは重要であり、さらにインターネット上で文献が入手できるようになったことの利便性の向上は計り知れない。学術雑誌の高騰はこれらの便益に対する代価もあるのかもしれない。 それから、電子化された学術雑誌が高価か安価か、という

  • (図解)雑誌の危機(シリアルズ・クライシス)と学術情報流通の失われた10年

    「日国内図書館の外国雑誌購入費および受入れタイトル数」というグラフがある。 (出典:出典:安達,他(2003)、土屋(2004)./ネットで探すとカラー版のグラフがあちこちにある) 日図書館の外国雑誌受け入れタイトル数は、雑誌購入費は増加する一方で、1988年に最大の38,477タイトルに達した後、減少を続けている。 (日学術会議情報学研究連絡委員会学術文献情報専門委員会.“電子的学術定期出版物の収集体制の確立に関する緊急の提言”.日学術会議. 2000. http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/17pdf/17_44p.pdf) 雑誌に対する支出が増え続けているのに、購入される雑誌の数が減っているのは、言うまでもなく雑誌価格の高騰が原因である。 海外学術誌の平均価格の推移(自然科学分野) (出典:Library Journal Periodical

    (図解)雑誌の危機(シリアルズ・クライシス)と学術情報流通の失われた10年
  • 有志舎の日々: 出版社・書店・著者

  • 有志舎の日々: 出版流通と最近の出版界

    出版について、編集には興味がある人は多いですが、の販売・流通の基については知らない方が多いので、今回は簡単にそれについて述べてみます。ただし、あくまでも弊社の場合なので、他の出版社が同じとは限りません。というか、違うケースの方が多いと思うので、それはあらかじめご了承ください。 基的に、出版物は 出版社→取次(販売会社ともいう)→書店 というルートで出荷され、その売上げ代金は逆の 書店→取次(販売会社ともいう)→出版社 というルートで回収されてきます。 しかしながら、弊社のような後発かつ零細の出版社の場合、新刊委託書の売上げが入金されるのは刊行から6ヶ月後である事が多いのです。つまり、刊行直後にいくら売れてもすぐにはお金は入ってこず、すべて6ヶ月後という訳です。ただし、書店や読者からの注文によって出荷するについては翌月に入金されたりしますが、その額は全体に比べて少ないのです。 しかも

  • とどけたいことば - とらねこ日誌

    大変な状況だからこそ、お互いの事を信頼し、前向きな遣り取りが出来る事をどらねこは願っています。そんな気持ちで思うところを正直に書いてみました。 ■ボクたちはそんな風に社会化された 小さい頃、『知らないおぢさん(人)についていってはイケナイよ』、そんなふうな話をされた記憶があります。知らない人が全部アブナイわけじゃない、中にはイイ人もいるのかもしれないけれど、知ってる人よりアブナイことはたしかです。子どもにはその人がアブナイ人なのかイイ人なのかの判断はとても難しい。だから当はアブナイおぢさんじゃないのかもしれないけれど、知ってる人より知らない人のほうがアブナイのは事実だから、知らないおぢさんにはついていかないように、と教えることでリスクの回避を図るわけですね。でも、それってつまり、そう教えないと子どもは知らないおぢさんにでもついていくってことだよね。じゃあ、どうして知らないおぢさんでもつい

    とどけたいことば - とらねこ日誌