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化石の日々オフィス ジオパレオント代表のサイエンスライター 土屋健の公式ブログです。 化石に関する話題,ときどき地球科学,その他雑多な話題を書いていきます。 私は大学院時代,白亜紀の花粉化石を研究していました。 今回は,植物化石をかつてあつかっていた人間として,ぜひ,お伝えしておきたいです。 やはり,メディアに携わる身としては,単語の意味を理解して記事を書いていきたいと思いますし,書いていただきたいと思っています。そんなお話です。例によって,記事を書く上での最低限必要な「認識」と思います。興味をもたれたら,ご自分でもいろいろと調べてみてください。 恐竜の表記で 「草食恐竜」 という言葉をみかけます。つい最近も,某新聞で拝見しました。 今回は,この言葉の意味を考えたとき,「本当かどうか」というのを,次の点から深く掘りさげてみたいと思います。 1.そもそも【草】って何? 今,手元に東京化学同人
西海で骨の化石なくなる 太古の海鳥「ペンギンモドキ」 ペンギンモドキの脛骨とみられる化石(2010年10月2日撮影、青木隆弘さん提供) 西海市大瀬戸町の尻久砂里浜の海岸で確認されていた太古の海鳥「ペンギンモドキ」の骨とみられる化石がなくなっていることが17日までに分かった。化石は公有水面にあり、誰かが採集したとみられる。市は「採集自体は法的に何の問題もないと思われるが、貴重な化石をまちづくりに活用しようとしていた矢先で、非常に残念」としている。 「ペンギンモドキ」は姿がペンギンに似ていることから名付けられ、太平洋岸に生息していたとされる。ペリカンの仲間で体長は中型種で1・5メートル。 日本地質学会会員で化石に詳しい青木隆弘さん(56)=佐世保市在住=によると、なくなった化石は約3600万年前の地層の転石の表面にあり、大瀬戸町出身で諫早市在住の愛好家、板山絋三郎さん(69)が2010年
長崎県松浦市教育委員会と福井県立恐竜博物館(勝山市)は13日、松浦市鷹島町の海岸で国内最古級の約1800万年前のサイの化石を発掘したと発表した。サイは現在、東南アジアやアフリカなどにクロサイ、スマトラサイなどサイ科の5種が生息する。その祖先は2300万年前以降に出現したと考えられており、化石はサイの進化の過程を知る上で貴重な発見という。 同博物館によると、化石は岩場の波打ち際に見え隠れしていた。09年11月〜10年6月に発掘され、同博物館が岩石除去作業をした。約100点あり、このうち背骨の大部分を含む約60点(全身の約4分の1)の部位を特定した。 復元したサイは体長2.4メートル、胴回り2.2メートル。化石が見つかった地層や骨格の特徴から、沼地や川など水辺で暮らし、今のサイとは足首の形が違うという。すでに絶滅したとみられる。当時の日本列島は大陸と陸続きだった。 同じ時代のサイ科化石は
神田の地に誕生して、のど一筋で二百年。テレビCM「ゴホンと言えば…」で知られる。箱に刻まれている「龍(りゅう)角散」の文字は、明治初期から変わらぬ字体だ。創業家八代目の藤井隆太社長(52)は代々伝えられてきた家訓をビシッと語る。「余計なことはせずに、本業をしっかり。余計なカネは持っちゃいかん」 製品名はかつて、龍骨や鹿角霜など漢方の生薬が配合されていたことに由来する。龍骨は、ゾウやサイなど大型哺乳類の化石を砕いたもので、中国最古の薬学書といわれる「神農本草経」にも登場。せきや下痢などさまざまな病に効くとされた。 これらを元に、江戸時代の一八〇〇年代初めごろ、秋田・佐竹藩の藩医だった藤井玄淵(げんえん)がせき止め薬を編み出したとされる。長崎で蘭学を学んだ三代目・正亭治(しょうていじ)が改良を加え、明治四(一八七一)年に大衆向けの龍角散を発売した。佐竹藩の江戸下屋敷があった近くに店を構え、そこ
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