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umweltとphilosophyに関するoanusのブックマーク (6)

  • interlayer - Segmentation Fault

    今日は先日に引き続き、生物物理関係をだらだら書きします。 この話題の他にも「関東と関西の違い」「教授家庭教師」などなど書くべきネタは多いが書ききれず。この二つはまた今度。 生物物理と生物と物理 先日、[id:mbr:20080915]にて、「生物物理は生物と物理か、生物物理か」とかいう話題をうだうだ書いた際、調子に乗って 自分の中では唯一神(物理系)と八百万の神(生物系)のどちらも納得できるし、拒絶もできる。 とか書いちゃったわけですが、それに対してhitoさんからレスがきました。 ただ両方の軸が絡み合いつつ科学を推し進めてきたという歴史的事実には同意しますが、個人の中でその二つが共存することが出来るのかが議論のポイントのように思います。 自分を振りかえってみてもmbrさんのように両方に納得できるのですが、相反する考えなので同時に両立はできません。生物物理という言葉は不思議と両立が出来てい

    interlayer - Segmentation Fault
    oanus
    oanus 2009/08/22
    唯一神か八百万の神か / 神は八百万いるだろうけど,ヒトが八百万の言葉でそれを記述しないといけないかというと,そんなことは無いような気がする.気がするだけ.
  • 「多様性」だけではなく「多重性」の世界に生きる - As a Futurist...

    太平洋戦争が終わって国民国家という概念は表面上は消え去り,没個性の 20 世紀が 終わって日も「多様性」の社会になったと言われる.士農工商の時代には 人口のほとんどが農業従事者で,同じ様な生活をしていた.戦争の時代には 心の底はいざ知らず,表面上はみんな天皇の為に戦うことで一致団結していた. 高度経済成長でもほとんどが中流家庭を演じ,同じモノを買い同じモノをべ 同じテレビを見ていた.長いこと「一様性」の社会に親しんで来た日人だけど, ここ近年様子が違うなというのはみんな感じているだろう. 「一様」という社会 生来的には国内一様が理想であるはずの公教育ですら「子ども達の個性を大事に」とか なんとか言っている.彼らが言う個性は「ある方向」という大きな枠組みの中での 多様性に過ぎないので質的には多様性ではない.しかしまぁそれでもだいぶ 多様性に近づいたとは言えるだろう. 人間は質的には

    「多様性」だけではなく「多重性」の世界に生きる - As a Futurist...
    oanus
    oanus 2009/05/18
    構造主義と環世界論的な多重性を結ぶ考え方.
  • 現実の重み

    「現実と虚構の区別」の話は今までも別の文脈で何回かしたわけだが、今回はこれをメインテーマにしてきちんと書いておこうと思う。 よく「アニメやゲームのような虚構ばかりを見て育つと、現実と虚構の区別がつかなくなってしまう」と言われる。アニメやゲームのことをわかっていれば、当然、こんなに一般的なことは言えるはずはない。アニメやゲームはいろいろな種類があるのだから。 しかし、だからといって、これをまったくのウソだと言うこともできない。現実と虚構の区別がつかなくなってしまうタイプのアニメやマンガやゲームは確かに存在する。そして、そういうものの影響で、実際に区別がつかなくなってしまっている人も少なからず存在する。そして、同じアニメを見ても、受け取る側の問題で、現実と虚構を見分けられないこともある。これは主に見る側の問題だが、これらが虚構である以上、この問題に対して影響なしと言うことはできない。 今回は、

    oanus
    oanus 2009/05/08
    現実と虚構について
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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    oanus
    oanus 2009/05/01
    最初から一神教的な世界観なのか,ポリフォニックな世界の中に特異的に全てを掌握しているかのように振る舞う何かがいると捉えるのか / そんな特異なモノにはなりたくもないし,居て欲しくない (という個人的希望)
  • ユクスキュル・ルネッサンス (1) - 現在思想のために

    いま授業でヤーコプ・フォン・ユクスキュル(Jakob von Uexküll)を読んでいる。テキストとして遣っているのは、『生物から見た世界』(日高敏隆・羽田節子訳、岩波文、2005)。これは、かつて思索社から刊行された『生物から見た世界』(日高敏隆・野田保之訳、思索社、1973)の前半部を改訳したものである。事実、新しい訳のほうが数段読みやすいし正確な訳となっている。 ただ残念なのは、一つに、旧版の後半部をなす「意味の理論」が収載されていないこと、二つに、古いテキストでカラーの挿絵だったものがモノクロになったこと、三つには、古い版ではポルトマン(Portman)とトゥーレン・フォン・ユクスキュル(Thure von Uexküll )の解説が併載されていたのだが、今回の文庫版ではこれらが割愛されたことである。 『意味の理論』(Bedeutungslehre)はぜひとも新たに訳出して欲しか

    ユクスキュル・ルネッサンス (1) - 現在思想のために
    oanus
    oanus 2009/04/28
    全 7 回 / 構成主義であり内部存在論的,という分析だけ同意,
  • 本田財団レポート No.111 「環境と環世界」

    2023年度田財団年次活動報告書を発刊いたしました。 冊子は2023年度の活動を中心にご紹介しています。 ぜひご一読いただき、忌憚のないご意見、ご評価をお寄せいただければ幸いです。

    oanus
    oanus 2009/04/28
    by 日高敏隆
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