「前衛の女王」と呼ばれた草間彌生さんは、長野県松本市に生まれます。 実家は大きな種苗業をしていた旧家で、 地元の画家のパトロンをするなど裕福な家庭だったようです。 写真を見ても、後ろに絵画がありますし草間さんはお嬢様だったみたいですね。 しかし 父親が遊びにうつつを抜かす放蕩者で、それにより母親は機嫌が悪く子供に当たり、家庭内の空気は悪かったのです。 息苦しい家庭で追い詰められるように生活していた草間さんは、よくスケッチをしていました。 その日も、絵をかくためスミレの畑へ出かけると、「たくさんのスミレが自分に話かけてきた。」という体験をします。 そんな驚きや恐怖体験を沈めるように、スケッチブックに描いていったのが、草間さんの絵の原点です。 16歳になると、絵の展覧会で入賞するなど頭角を表してきます。 高校卒業後、京都市美術工芸学校に入学し日本画を学ぶも古い考えの画壇に失望し、家にこもり独学