<クロード・シャブロルが描き出す「世紀の裁判」> スタンフォード・ホワイトは20世紀のはじめにアメリカで活躍した建築家である。ハンサムで人気者だったホワイトは多くの美女と浮き名を流したが、その中に女優のイヴリン・ネズビットがいた。ネズビットとホワイトが出会ったのは1901年のこと、そのときネズビットは16歳、ホワイトは47歳だった。ホワイトはニューヨーク、二十四丁目に持っていたアパートにネズビットを招いた。その部屋には天井から赤いビロードのブランコが下がっており、ネズビットは限りなく裸に近い姿でそのブランコを漕いだのだという。だが、ホワイトは漁色家だった。ほどなくネズビットを捨て、他の女に乗り換える。それでもネズビットはホワイトのことが忘れられなかった。俳優ジョン・バリモアとつきあい、やがて億万長者の息子ハリー・ソウに求婚され、プロポーズを受け入れたのちも、ホワイトとつかず離れずの関係を続
<奇想天外な独裁者の悪夢> アミン大統領と聞いてまず最初に思い出すのは、アントニオ猪木との対決のことである。1979年1月、アントニオ猪木は異種格闘技戦としてウガンダのイディ・アミン大統領と対決すると発表した。一国の大統領がリングでプロレスラーと対戦する! 何がなんだかわからないが、とてつもないことが起こっていると思ったものである。 そもそもは1976年「世紀の対決」と言われたモハメド・アリとの異種格闘技戦を無事終えた猪木が、次の相手としてアミン大統領に目をつけたのがきっかけだった。ウガンダの独裁者、アミン大統領はボクシングで東アフリカライトヘビー級のチャンピオンだったアスリートである。だが、それ以上に知られていたのがウガンダで繰り広げられていた独裁と残虐行為の噂だった。政敵や愛人を殺し、その肉を食ったとまで言われた。野蛮なるアフリカの酋長、「食人大統領」アミン。格闘と見世物の狭間を生きて
<『フェイズIV 戦慄!昆虫パニック』は、『2001年宇宙の旅』以降の進化SFの傑作なのだ> 書くのと話すのとでは、まったく違う。特集企画「町山智浩のトラウマ映画館」の第4夜に出演し、解説の対談相手を務めることができたのはとても嬉しかったのだが、話上手の町山さんとおもしろおかしく盛り上がっているうちに、あっという間に収録時間が終わってしまい、気がついたらこの映画の最大の謎のことを何も話していなかった。 映画『フェイズIV 戦慄!昆虫パニック』の最大の謎は、なぜこのような破格のSF映画が作られたのかということに尽きる。その答えはいささか入り組んでいて、じつのところ話すよりも書くほうが向いている。番組と合わせて、このささやかな解説文もお楽しみいただきたい。 『フェイズIV』は、1974年の英米合作映画である。フェイズ(Phase)は「局面」「段階」の意味で、アリと人類の戦いが、題名の通り、フェ
<ニコラス・レイとフィリップ・ヨーダン、二つの映画史的ブラックホールの共存> アメリカ映画史には幾つもの暗黒領域が存在する。複数の局所に点在することを鑑みればむしろ「ブラックホール」と言うべきか。誰にも解かれていない魅惑的な謎でありながら、しかし謎はその存在を自ら主張することはない。そうした映画史的ブラックホールの一つとして映画監督ニコラス・レイの存在はある。もちろん近年ベルナール・エイゼンシッツやパトリック・マックギリガン等の優れた映画研究書のおかげで多くの事柄の内実が知られるようにはなったのだが、面白いことに彼らの探求はいつでも謎の周囲を旋回しつつも、中心部へと突入することは決してない。映画史上の危険領域、特異点としてそれはあるかのようだ。まさにブラックホール。 そうしたニコラス・レイの謎の一つに演出家(映画監督)からのヨーロッパでの突然の引退劇というのがあって、何とその現場を記録して
<暗灰色に彩られたグレイ版『白夜』> ジェームズ・グレイの待望の監督第4作『トゥー・ラバーズ』(2008)が、WOWOWシネマでようやく本邦に初紹介される。 彼が弱冠25歳で撮り上げたデビュー作『リトル・オデッサ』(1994)を封切り時に見て、そのおよそ新人監督らしからぬ人物造型の彫りの深さや、陰影に富んだ画面設計の見事さに思わず唸らされて以来、アメリカ映画界の次代を担う稀有な逸材としてグレイの才能に着目し、ひそかに彼を応援してきた筆者としては、『裏切り者』(2000)、『アンダーカヴァー』(2007)と、作品の骨格や演出手腕をスケールアップさせつつ、まぎれもない彼独自の映画世界を築き上げてきたグレイの成長ぶりが何とも頼もしく、かつて直感的に抱いた彼への期待が今や深い確信に変わりつつある。 けれども、ここ最近の映画配給・興行の環境状況の悪化を反映して、かつてなら当然、劇場で公開されてしかる
<ムシェットあるいは美徳の不幸> 2010年に邦訳出版された(フランスでの原著の刊行は2007年)アンヌ・ヴィアゼムスキーの小説「少女」の登場は、日本の映画ファンたちの間でも大きな反響を巻き起こした。これは、当時まだ17歳の無名の女子高生でいきなり、ロベール・ブレッソン監督の新作映画『バルタザールどこへ行く』(1966)の主役に抜擢された彼女が、未知なる世界への先導者・庇護者的な本来の役割を踏み越えて、自分とさらに深い親密な関係を取り結ぼうとする老監督の態度に戸惑いを覚えつつ、撮影現場でさまざまな人生経験を積んでいく様子を、当事者ならではの視点で書き綴ったもの。あくまで小説と銘打たれているとはいえ、その峻厳にして禁欲的な独自の映画スタイルを生涯追求し、映画ファンなら誰もが畏怖すべき孤高の存在として仰ぎ見る、聖なる映画作家として知られるあのブレッソンが、実は何を隠そう、結構な助平ジジイとして
ザナックの演出家に徹したフォード、 そのクレイジーなコメディ感覚を70年遅れで発見! 私など実際のところアメリカ映画史を全然知らないのだなあと、つくづく考えさせられた。『四人の復讐』はジョン・フォードが1938年に撮った映画だが、全く未知の作品だったのだ。83年のフィルムセンター、あの大々的な「ジョン・フォード監督特集」でも上映されていない。その解説カタログを数年ぶりに引っ張り出して読んでみた。するとさすがに双葉十三郎はリアルタイムで見ていた。ただし評価は低い。「私は彼が20世紀フォックスに戻って作った『四人の復讐』と『サブマリン爆撃隊』をあまり高く評価できない。はっきり凡作というべきであろう」(「戦前のジョン・フォードを想う」より)とある。双葉のフォード評価を文脈に沿って総括しておくと、要するにこれらは二大傑作『ハリケーン』(37)と『駅馬車』(39)の狭間に位置する「雇われ仕事」に過ぎ
<すべての道はローマに通ず ―「市民」から「伯爵夫人」そして「女王」へ> 第27回アカデミー賞 助演男優賞:エドモンド・オブライエン ●落日のハリウッド 第2次世界大戦後、社会状況やライフスタイルの変化、スタジオ・システムの解体、赤狩り、TVの台頭など、さまざまな影響によって、アメリカの映画産業が急速に崩壊・変質を遂げていく中、ハリウッドも従来のように楽天的な"夢の工場"たる地位に自足してはいられず、一見華やかで虚飾に満ちたその神話的世界の舞台裏をより醒めた眼差しで見つめて自らの根本を問い直す、自己批評的な映画が相次いで作られるようになった。 「ここはスペインのマドリッドだ、サンセット大通りじゃないぞ」という台詞が劇中で飛び出す通り、この『裸足の伯爵夫人』(1954)も、次第にゴーストタウン化する当時の映画の都の実情を辛辣に描いたビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』(1950)など
スターリンと赤ちゃん ―― 『鉄のカーテン』を見る前に ■イントロ 1946年3月、労働党に敗れ、当時英国首相の座を退いていた政治家チャーチルはトルーマン大統領の招きに応じて渡米し、大統領の故郷ミズーリ州フルトンである演説を行った。後年有名になるそのスピーチには「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた」という一節が含まれていたのであった。これは要するに、東ヨーロッパがソ連を中心にまとまりつつある状況とその閉鎖的な対外政策への懸念を表明したものであり、引いては資本主義と共産主義という対立する二つのイデオロギーで世界が二分される、いわゆる「冷戦」構造を予言する託宣でもあったことになる。元来「鉄のカーテン」"The Iron Curtain"とは舞台用語(客席と舞台面を遮る「防火用シャッター」の意味)であり、また敗戦直前ナチスのゲッ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く