ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (27)

  • アマゾン訴訟始末 - jun-jun1965の日記

    アマゾンの提訴、敗訴した。 2012年11月、アマゾン・ジャパンに対する訴状を東京地裁に提出した。これは私の小説『遊君姫君』に、「大河ドラマと渡辺淳一『天上紅蓮』の便乗作で、これがなければ書かれることもなかっただろう」という「大河好き」と称する者のレビューが載ったためである。「大河好き」はかねてから私にアマゾンレビューで盛んにからんでいたので、このレビュアーについての情報開示を求めたのである。『遊君姫君』は、あとがきで、七年ほど前から書いていたもので、大河ドラマに便乗して出す気にはなったが、合わせて書いたものではないと書いてある。 私はアマゾンに、削除するよう要請したのだが、がんとして削除しないのである。以前は割と普通にこれくらいなら削除したのだが、なぜかしない。だいたい対応するのは「木島」というやつである。「感想の域を出るものではない」とか言うのだ。 しかるにアマゾン側は、アマゾン・ジャ

    アマゾン訴訟始末 - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2013/09/11
    猫猫先生、こんな訴訟をやってらっしゃったのか。
  • ■ - jun-jun1965の日記

    これは前にどっかに書いた気がするんだが、阪大にいた96年ころ、やや年下の女性同僚の室にいたら、来客があった。ドアの前についたてがあるから、私の姿は見えないのだが、来たのは男子学生らしくて、彼女が出ていくと旧知の学生らしく、「あらいらっしゃい」の後、「今日は告白に来ました。先生が好きです。つきあってください」と言うので、私はうわっと驚き、中へ入ってきたらどうしようと、隠れ場所を探したりしたのだが、彼女もさすがに困り、「そんな…あなたはまだ若いんだし」などと言って、ようやく帰した。戻ってきて、はああー、十歳も違うのに、と言う。前から時々質問などに来ていた学生だという。 しかし私は感動したのである。仮に私が二十歳の学生で、十歳上の教師を好きになったとして(ただし私のころはそんな女性教師はいなかった)、とてもこんな真似はできないと思った。偉いと思い、『七人の侍』の木村功のように、「あなたは素晴らし

    ■ - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2012/06/24
    「しかし私は感動したのである。仮に私が二十歳の学生で、十歳上の教師を好きになったとして」 小谷野先生の阪大時代の同僚さんの話。
  • 内田ジュ先生の最終講義 - jun-jun1965の日記

    『文學界』4月号に内田ジュ先生が60歳で定年前に神戸女学院大を辞めるというので最終講義が載っている。何たる華々しさであろうか。 何か、さしさわりのあることも書くなどと言っておいでだったが、別にそんなものはない。温情で学生を卒業させてやったとかいう話があるくらいで、この程度で「さしさわりがある」のであれば、私に大学教員が務まらないのも無理はないと思った。 が、ジュ先生は21年前、というから39歳の時ですね、神戸女学院に就職するにあたって、傷害事件の類を起こすことを懸念し、なるべく家から出ないようにした、と書いておられる。自動車通勤し、家と大学と道場を移動するだけだった、という。人通りのあるところを歩くと喧嘩沙汰になるからということのようだが、梅田や三宮には月に一回くらいしか行かないというが、それだけ行ってりゃ十分でしょ。それにインドネシアへも旅行しているし、飛行機での移動なんて特にカリカリし

    内田ジュ先生の最終講義 - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2011/03/08
  • ■ - jun-jun1965の日記

    『現代文学論争』の最後のほうで、私は笙野頼子をめぐる論争をまとめたのだが、刊行されて半月ほどして、笙野が筑摩書房の担当編集者宛に電話で文句を言ってきた、と聞いた。そのうち、事実誤認が百カ所あるとか、佐藤亜紀や小谷真理も文句を言ってきていると聞いた。佐藤もそんなことをツイッターで書いて私を病人扱いしていた(12月1日)。しかるになかなかその後の連絡がなく、年末の忙しい時になって、百カ所のリストというのを担当編集者宛に送りつけ、しかし担当編集者が、とてもこれは見せられないと言って削った結果21カ所となった。私が見たのはこれ。そのうち、間違えたのは既にここに書いたのと、読売新聞が文藝季評になっていたというあたり。あとは、「在学中から作家を目指し」というのが間違いで、公務員試験に落ちて司法試験の準備をしていた、とかいうもの。そんなこと、講談社文芸文庫の年譜にも『文藝』の特集の年譜にも書いてないんだ

    ■ - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2011/01/20
    ほんと文学の世界も色々大変と思ってたら、最後にいきなり田中先生の名前が出てきてビックリ。
  • 福田と坪内に - jun-jun1965の日記

    『SPA!』の対談で、福田和也と坪内祐三が私の悪口を言い合っている。福田は、私が東大の紀要に「俺は東大を出て留学もしているのに、なぜ福田などが文藝評論家なのか」と書いた、載せる東大東大だと思った、などと言っているが、そんな事実はない。思い当たるのは、『比較文学研究』(これは東大比較文学会が出している学術雑誌であり、紀要ではない)に「外国で日文学を勉強するということ」を書いた(1993年、63号)。その冒頭で私は、福田の『「内なる近代」の超克』について疑念を表明しているのだが、これは『男であることの困難』に入っている。見れば分かる通り、福田が言うようなことは書いていない。書くわけがない。しかもその後、私は95年の比較文学会で福田と話している。それからあと、『谷崎潤一郎伝』を書いて福田が絶賛したらころっと態度が変わった、と言っているが、それは事実である。しかし、実際にはその間に、福田との対

    福田と坪内に - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2011/01/19
    どこでもそうだが文学の世界も人間関係が色々大変。
  • ある空想‐『明暗』の吉川夫人 - jun-jun1965の日記

    (活字化のため削除)

    ある空想‐『明暗』の吉川夫人 - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2011/01/18
  • 魔日 - jun-jun1965の日記

    (小谷野敦) いや昨日は実に魔日であった。 朝起きて朝も終わり、映画を観ようとしていたら、携帯からの電話が鳴った。出ると女で、か細い声で、 「あの…村上春樹の話をしたいんですけど」 「どちら様ですか」 「匿名じゃいけませんか」 「そりゃダメですよ」 「××です…。私のプライバシーにかかわることもあるので」 「村上春樹と何か関係があったんですか?」 「いえ、私じゃなくて知り合いなんですけど…」 という感じで始まったのだがまことにとりとめがなく、以下意味のあるところだけまとめると、 「あの、『1Q84』のことなんですけど、あんなにあちこちに暗号みたいに張り巡らされているのに、何でみんな気づかないんだろうって…山形浩生さんとか、内田樹さんとかにもメールしたんですけど、相手にしてもらえなくて、キチガイ扱いされて…。 「春樹の春って英訳するとスプリングですよね。その春について作中でいろいろ出てくる

    魔日 - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2010/10/02
    猫猫先生のところへの電波女性の電話 「山形浩生さんとか、内田樹さんとかにもメールしたんですけど、相手にしてもらえなくて、キチガイ扱いされて」 山形さんも大変だな。
  • 横山孝一氏に送った手紙 - jun-jun1965の日記

    住所が分からないので勤務先へ送っておいたからまだ見ていないかもしれないので公開書簡にしてしまう。 拝啓 ようやく暑さも和らぎ始めたようですが、いかがお過ごしでしょうか。 さて、平川祐弘先生より、先生の書かれた『へるん』の文章の複写を送ってこられました。いくつか、事実誤認がありますので、拙著二冊とともにお手紙さしあげます。 たとえば、私がまるで昭和天皇の戦争責任を追及しているようにお考えのようですが、そうではありません。私は身分制に反対なだけです。また平川先生を「天皇崇拝家」と「非難」はしていません。平川先生は、近著『日語は滅びるのか』を見れば分かる通り、森有正のようにフランス文化に心酔してフランスに居ついてしまった人はバカにするのに、ハーンは礼讃するのですから、明らかにウルトラ民族主義者です。平川先生は、アーサー・ウェイリーの『源氏物語』英訳が出たことで、チェンバレンの名声が地に落ちた、

    横山孝一氏に送った手紙 - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2010/09/25
    猫猫先生の身分制反対は賛成だが、同時に先生は学歴差別が厳しいのがなんとも。
  • そして新書が一冊没になった - jun-jun1965の日記

    その新書の原稿は春ごろには完成していたが、十月刊行予定とのことでだいぶ待たされた。東大卒、20代、男の編集者Kは、『大河ドラマ入門』でひどい仕事をした奴で、その時『小説宝石』で宮崎哲弥氏と対談した際も、再校ゲラで宮崎氏の直しが反映されていないなど、この社の質の低下ぶりを窺わせるものがあったが、もう一回つきあったのである。 時間があるからブラッシュアップしましょうなどと言って、Kは、テクスト形式のままいくつか直しを提案したが、存外マイナーな修正しかなかった。 そして八月末になって、いよいよやるというのでゲラにして、校閲に見せるというので、私は用意しておいた「校正に関する覚書」を送った。以下のごときものである。 一、みだりに語の統一をしない。「とき」と「時」、「ころ」と「頃」などは、文脈に応じ、その周辺の漢字の量などを勘案して使い分ける。 二、差別語のむやみな規制はしない。「シナ」「看護婦」「

    そして新書が一冊没になった - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2010/09/04
    こうもはっきり書かれる猫猫先生はご立派と思うが、先生は自己保身とかは考えておられないのか?表沙汰にして先生の利益になるとは思えないが。まあこんな事も今更って感じだが、先生は怒りを糧とする人なのかなぁ。
  • 選考委員と大河小説 - jun-jun1965の日記

    大岡昇平が『レイテ戦記』を出した際(一九七一年)、野間文藝賞の候補になりながら、選考委員の間から、文学作品というより戦争の記録なのでとかいって、候補から外してくれという声があり、大岡が怒ったという事件があった。『レイテ戦記』は毎日藝術賞を受賞したが、その時外してくれと言った選考委員というのは舟橋聖一で、結局みんな、あの長いのを読むのが嫌なんだよ、と言ったという(『成城だより』)。当時、確か舟橋は失明していたはずで、読書は頼んだ人がテープに吹き込んでくれたのを聴くようにしていたはずだ(舟橋美香子『父のいる遠景』)。それなら、選考委員を辞任するのが筋だろう、とも言える。 しかしこの「長い候補作」というのは、見ているとしばしば感じることで、野間宏の『青年の環』とか、臼井吉見の『安曇野』など、『レイテ戦記』の二倍はあろうかという大河小説で、いずれも谷崎潤一郎賞を受賞しているが、果して選考委員がみな

    選考委員と大河小説 - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2010/08/12
    珍しく猫猫先生が同情されてるが、やはり先生ご自身が途中に書いたように判断する事がきついのなら、選考委員を止めるべきだろう。
  • 「能は死ぬほど退屈だ」 - jun-jun1965の日記

    (活字化のため削除) - http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100730-00000134-san-soci 杉秀太郎ってのはつくづく謎の人で、何ほどの業績があるのかよく分からないのに藝術院会員だし、このインタビューも、漱石と植物を誰もやってないってそれは塚谷裕一が怒るぞ。あと「筆で立つと決めて」ってあんたずっと大学と研究所の教授だったでしょうに。それを「筆で立つ」というのかいな。

    「能は死ぬほど退屈だ」 - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2010/07/31
  • 『三四郎』の「女は」 - jun-jun1965の日記

    夏目漱石が『三四郎』で「女は」という表現をやたらと使っていることは、詳しい人なら知っている。初めの「汽車の女」はともかく、美禰子も、名前が分かってからも、しばしば「女は」と書かれていて、石原千秋だったか小森陽一だったか、これを気にして、どういう使い分けなのであろう、などと書いていた。 しかし、漱石門下の林原耕三の文章を読んだら、これは「彼女」の代わりだったのである。「彼女」なんてのは、明治になって、西洋語のshe などの訳語として作られたもので、それ以前は男だろうが女だろうが「彼」だったのである。漱石はそんな語を使うのを嫌がって、「女は」とやっていたのだという。しかししまいに世間と妥協して「彼女」を使うようになったというが、『門』では既に「彼女」が使われている。 林原のどの文章かはあえて書かない。もう誰か指摘しているかもしれないし。

    『三四郎』の「女は」 - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2010/05/19
    「「彼女」なんてのは、明治になって、西洋語のshe などの訳語として作られたもので、それ以前は男だろうが女だろうが「彼」だったのである」 へー。
  • 東大万年講師魚返善雄の生涯 - jun-jun1965の日記

    こういう題の私家版の冊子が国会図書館にあった。魚返の郷里の日田で出されたものらしい。 (活字化のため削除) - http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/ ボールペンがすらすら書けるのはいいことなのだが、宅急便の伝票を書く時に三枚目がすかすかになったりして困るのだが、あれはどうしたものか。私は引越しの時にヤマトにひどい目に遭わされてから日通を使っていて、これはネットから伝票をプリントできるので助かったのだが、春ごろ、にっくきJRと提携したと聞いてまたヤマトに戻した。 もう、JR東日で切符を買うだけでわしは悔し涙に暮れながら買うのである。JR東日のない東京へ行きたい。 - 高井戸図書館で、マイバッグを盗まれた。中味はカラだったし濡れていたが、僅かな隙になくなったのは、盗まれたとしか思えない。 帰路コンビニへ寄ったら、コンビニ歴史人物意外な結末』とかいうのを見つけ

    東大万年講師魚返善雄の生涯 - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2009/05/29
    「JR東日本のない東京へ行きたい。」なぜか我が心にヒットした。
  • 有島武郎情死事件(波多野春房は烏峰なり) - jun-jun1965の日記

    これは『文學界』2003年4月号に載せた「昭和恋愛思想史」の第一回の一部なのだが、『恋愛の昭和史』にする際、割愛したものだ。その後、波多野春房の正体が波多野烏峰だと分かったので、参考のため載せておく。あとでウェブサイトに移動予定。 作家・有島武郎の心中事件が起きたのは、その二年後、大正十二年である。を亡くした有島は、『婦人公論』記者の波多野秋子と恋仲になり、その六月九日、軽井沢の別荘で縊死心中を遂げ、一月たった七月七日早朝、発見されたのである。実はこの事件については、概略を記したのみで先へ進もうと思っていたのだが、調べてみると細部に曖昧な点、人によって解釈の違う点があるので、特に新資料があるわけではないが、少し詳しく述べてみたい。新聞の第一報は七月八日、相手の女性が波多野秋子であることが報じられたのは翌日である。秋子は三十歳(当時の記録なので数え年)、丸之内日連合火災保険協会書記長、当

    有島武郎情死事件(波多野春房は烏峰なり) - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2009/05/11
    「春房とは面識がなかったが、新聞を読んで、独り取り残された春房に同情し、人を介して結婚を申し込んだという」 これの女性版なら、外国ので聞いたこともあるが、すごいな。さすが大正、とでも言うべきか。
  • SFについて - jun-jun1965の日記

    J・G・バラードが死んだ。このSF作家は浅田彰も褒めていて『ユリイカ』でも特集されたが、私は代表作らしい『沈んだ世界』を途中まで読んで放り出した。その他プリースト『逆転世界』なんてのも、すごい傑作だと書いている人がいたので、我慢して通読したが、やっぱり下らなかった。 枡野さんに勧められた星新一『声の網』は早速注文しました。ところでふと思い出したのは、星の「りんご」というのを桂米丸がやったことがあって、肝心の落ちが全然面白くなくて唖然としたことがある。だが文庫にもなっている山田洋次の『真二つ』は面白かったんだよなあ。 吾ひでおもSF好きで、私は大学時代、吾ファンだったが、そこからSFそのものへは行かなかった。とはいえ、1960年代にSFを面白く思うのは、80年代以降とはやはり違うだろう。だってその間に多くのマンガや映像が出現しているからである。たぶん浅田彰はマンガとか特撮なんて見たことが

    SFについて - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2009/04/21
    「1960年代にSFを面白く思うのは、80年代以降とはやはり違うだろう」うーん、これはそうなのかも知れない。
  • 人肉食 - jun-jun1965の日記

    私は「新近代主義者」である。それでどうも「人肉」というものに興味がない。大岡昇平の「野火」とか武田泰淳の「ひかりごけ」とかに、さして感心しないのはそのせいである。死んだ人間は物体でしかないという感じがあって、もしそこで飢えていたらべる、というのが、違和感があるのは分かるけれど、それ以上に重大問題だという気がしない。「ゆきゆきて、神軍」にも人肉は出てくるけれど、あれは「うために殺す」のだから別問題だ。佐川一政についても、「殺した」時点で犯罪は完結しており、それをべたということになぜ人がああも騒いだのか分からなかった。 むろん近代刑法は、死んだ者をべること自体を罰さない。死体損壊罪というのがあるが、あれは前近代的なものだと思っている。先日、葬式をやるカネがないからというので、遺体を埋めようと穴を掘って逮捕された者がいたが、いま日で葬式をやろうとしたら、貧民にはけっこうなカネがかか

    人肉食 - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2009/03/20
    「私もSF小説は苦手である。」まあ、これはいい。そりゃ好みは人それぞれだし。しかし、「私もSF小説は苦手である」そんなことはないぞ、絶対にない!
  • 国会図書館事件 - jun-jun1965の日記

    いや今度は図書館員と争ったのではない。カードを検索装置のところに置き忘れたのである。もっとも、置き忘れたと最初から分かったわけではなく、戻って探しに行ったら、私が使っていた椅子にはもう人がいたので、ああここではない、と思って受付で、届出はないですかと訊いたら、なく、あちら(新館入り口)で訊いてみてください、と言われた。 そちらへ向う途中、藤田敏八のような顔をしたおっさんが、私の左手1.5mほどのところを並んで歩きながら「カード亡くしたら閉館まで出られませんよ。他人が使ったかもしれないとか言って。閉館は九時…」とぼそぼそと言った。まさかと思いつつ受付へ行ったら、やはりないので、困って戻り、ふと、先ほど私が坐っていたところに指してあるカードを見て、ありゃ、と思い、近寄ってよく見ると、まさに私のカードである。男が坐ってせっせと検索している。 私はカードをとりあげ、「ちょっと、これ私のカードでしょ

    国会図書館事件 - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2009/02/18
    図書館事件の男みたいな奴とか、むかつくんだけど、じゃあ実際に出会った時に何ができるかというと、対して何もできなんだよなぁ。
  • 浅田真央が好き - jun-jun1965の日記

    実は今まで隠してきたのだが、浅田真央が好きである。自分でも、こんな二十歳未満の、そんな美形じゃない女のどこがいいのか、と抑圧して、新聞などに写真が出ていると、切り取っておきたいのを抑えてきたのだが、今日はテレビで観た。まるで自分の娘が踊っている(?)ようにどきどきした。 解説が八木沼純子だったが、私は彼女も好きだった。これは美人だった。当時の八木沼の愛称は「ジュンジュン」だった。その後、初めてつきあった女性を「ジュンジュン」と呼んだこともあるが、起原は八木沼である。だからjun-junなのである。1965は谷崎先生の没年である。いやもちろん、谷崎年譜から始まったからジュンジュンではあるのだがね。 - 文藝誌の匿名時評、相変わらずダメだなあ。「侃侃諤諤」は島田雅彦でもからかっているのか知らんが、面白くないし、「相馬悠々」も微温的だし。『週刊現代』の「ナナ氏」まで微温的になってきた。どうなって

    浅田真央が好き - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2009/02/11
    猫猫先生は気になったら何か一言、言わないと気がすまないのだろうなぁ。おれもその悪い癖があるから自戒しないと。
  • 与謝野晶子の言論 - jun-jun1965の日記

    歌人で元毎日新聞記者の松村由利子さんが『与謝野晶子』(中公叢書)を刊行した(ところでウィキペディアで、著作について書く時に、「講談社、講談社現代新書」みたいに書いている人がいるが、講談社は不用だと思う。生活人新書なら、NHK出版と併記してもいいが、分かりきったことは略してよろしい)。 14年前、二冊目の『夏目漱石を江戸から読む』を出して、また黙殺されるのではないかという恐怖からノイローゼになっていた私に、面白かったと言って大阪まで会いに来てくれた人で、歌人として活躍し始めてからは、蔭ながら応援していた。 しかし、今度のは良くない。従来、暴論とされてきた、母性保護論争における晶子の、母性保護など必要ないという議論の見直しが中心なのだが、うまく行っていない。あれは晶子が悪いのである。自分は才能があってやたら元気だということを根拠にしてものを言っているのだから。松村は、晶子が、論争相手が額に

    与謝野晶子の言論 - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2009/02/11
    阪大話の所が関西人として興味深し。ふむ、やっぱそうか。
  • きっと周囲の者たちは犯人を知っている - jun-jun1965の日記

    http://news.nifty.com/cs/headline/detail/gendai-02039889/1.htm 「大学関係者が口が裂けても言えないこと」という見出しで、「警察出身のジャーナリスト、黒木昭雄氏は「大学関係者は困っているのではないか。仕事の関係者の犯行では?」と言う。」「高窪教授人が気付かないうちに恨まれた可能性も強い。」「大学や学会というのは閉鎖的な部分もありますからね」(黒木昭雄氏=前出)。学会の関係者が黙して語らないこと。そこに事件解決のヒントがあるのかもしれない。」 見出し、その他の部分からすると、ヒントどころか、要するに周囲の人は犯人の目星をつけているということだ。「気付かないうちに恨まれた可能性」というのは前にも出たフレーズだが、それはありえないだろう。強い恨みなのだから、人は知っていたはず。「閉鎖的な部分」どころではない。「ほとんど完全閉鎖的」で

    きっと周囲の者たちは犯人を知っている - jun-jun1965の日記
    okemos
    okemos 2009/02/05
    「私が周囲にいなくて良かったね中央大!」ふいた!中央大にどんな恨みがあるんですか、猫猫先生!