◇伝統工芸の職人も「兵器」製造に動員 旧日本海軍が開発し、終戦直前に完成した幻の戦闘機「震電(しんでん)」の部品が、福岡市の博多織の工場で作られていた。徴兵で不足した技術者や、空爆を受けた軍需工場の穴を埋めるためだが、伝統工芸の職人も兵器製造に動員させられていたことはあまり知られていない。震電は実戦に投入されることなく終戦を迎え、関係者は悔しかったというが、今は自負心と安堵(あんど)という複雑な思いを交錯させている。 【保阪正康さんが指弾】「特攻は日本の恥部、美化は怖い」 震電の開発計画は1942年に始まった。高空から本土を空爆し始めた米爆撃機の迎撃が目的だった。短時間で急上昇できるようにするため、主翼と水平尾翼の位置を逆にし、プロペラを機体後部に設置したのが特徴だ。 製作は現在の福岡市博多区にあった軍事航空機メーカー「九州飛行機」が担ったが、同社工場が空爆の被害に遭い、各地の学校や