パレスチナ難民キャンプの生活環境改善に東日本大震災の被災地の経験を取り入れようと、パレスチナ解放機構(PLO)難民問題局の職員ら7人が10日、宮城県女川町を訪れ、公民連携のまちづくりを学んだ。 同町公民連携室の山田康人室長とNPO法人アスヘノキボウの担当者が対応し、行政と民間がそれぞれの得意分野を生かして取り組んだ復興まちづくりの歩みを説明。PLO側からは「復興計画の策定時、住民の意見はどの程度集約したのか」「人口減少への対策は」などの質問があった。 難民問題局キャンプ課題部長のヤセル・アブキシュクさんは「女川の復興計画は参考になった。難民キャンプの状況改善のため、まずは住民のニーズの把握に努めたい」と話した。 震災後に起業したスペインタイルの工房「みなとまちセラミカ工房」も訪ね、阿部鳴美代表が被災直後の様子や起業に至った経緯などを語った。 今回の訪問は、国際協力機構(JICA)が展開する
東日本大震災からの復興まちづくりを進める宮城県女川町で、ゴールデンウイーク(GW)期間中の来町者が推計で7万7000人に上ったことが町などの調査で分かった。JR女川駅前の商店街は大にぎわい。人口約6700人の小さな町は、県内外からの観光客などで活気づいた。 期間中最多となった4日は、1万4600人の人出を記録。特に来町者が多かった3~5日には石巻市内から町内へ向かう国道398号で渋滞が発生し、周辺駐車場も混雑した。 女川駅前のテナント型商店街「シーパルピア女川」は多くの人が行き交い、飲食店には行列ができた。 町中心部では昨年12月、シーパルピア女川に商業施設「地元市場ハマテラス」が開業。今年3月に「復幸祭」が開かれ、町の復興を印象づけた。 町観光協会の遠藤琢磨事務局長は「そうした動きがメディアで紹介されたのに加え、女川が面白そうという雰囲気づくりが奏功したのだろう」と推測する。 GW期間中
JR常磐線が宮城県内で全線再開した10日、二つの新駅が開業した宮城県山元町では、住民らが東日本大震災で途切れた鉄路の復旧を喜んだ。一方で、変貌する街の姿に不安の声も漏れた。 「5年9カ月ぶりの開通です。どんな思いですか」 一番列車を送り出すJR常磐線山下駅ホーム。宮城県山元町の臨時災害FM局「りんごラジオ」の高橋厚局長(74)が親子連れに、インタビューをしていた。すぐそばでは、妻の真理子さん(67)がにぎわう駅の様子をラジオで生中継していた。 「この瞬間を伝えるために今年も続けてきた」と高橋さん。りんごラジオは震災直後に開局し、放送を続けてきた。 高橋さんは元東北放送アナウンサー。震災直後は電気や水道などの状況を落ち着いた声で発信。ライフラインが復旧すると避難所や仮設住宅の住民をスタッフとともに取り上げてきた。 2年前、危機が訪れた。2014年12月、脳内出血で倒れた。大黒柱の不
東日本大震災で被災した石巻市の造船会社「ヤマニシ」が、造船に欠かせない鉄板を曲げる技術「ぎょう鉄」の継承に力を入れている。指導するのは職人歴約50年の内海英機さん(69)。職人が不足する中、次代を担う20、30代の若手の育成を「最後の仕事」と位置付け、熟練の経験と勘を日々伝えている。 <習得に10~20年> 右手のガスバーナーで700~900度まで鉄板を熱し、左手に持った鉄管から水を流す。熱膨張した部分を冷却すると収縮作用が働き、鉄板は徐々に曲がっていく。 内海さんは器用に手元をスライドさせ、頭に入れた設計図通りにカーブを付ける。火力や焼き込む時間で曲がり具合は微妙に変わる。感覚だけが頼りの繊細な技術は、習得までに10~20年程度かかるとされる。 同社で船の外板を製造する工程でぎょう鉄に携わる職人は5人。内海さん以外はぎょう鉄歴が10年に満たない20、30代の若手だ。 「ぎょう鉄の
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