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思想に関するonchord44のブックマーク (5)

  • 「私的に公的」の東浩紀 - 白鳥のめがね

    Lifeに東浩紀がゲスト出演したときに 東浩紀と言う人は、「私」を棄却させるものとして政治や思想を語るという仕方で、「私」的なものを政治とか公的なものから守ろう、守ろうとしている人なんじゃないか、ってことだ。 政治とか公的なものを、「私」とは無縁な水準に隔離しておきたいのだ。 Lifeでゲストの東浩紀/「私」を守る++ - 白鳥のめがね という感想を書いた。 ちょっとその話の続きを。 Lifeの音声ファイルがWebで全部聞けるようになっています。それで、番組サイトのまとめを引用すると、次のようなやりとりがある。 ・原理的功利主義者・ピーターシンガーが導き出すラディカルな結論(東) ・ホロコーストの犠牲者の子孫のシンガーが、 歴史修正主義を容認する事の凄さ(東) →日の左翼は遥かにレベルが低い(東) 文化系トークラジオ Life: 2009/05/24「現代の現代思想」(東浩紀ほか) アー

    「私的に公的」の東浩紀 - 白鳥のめがね
  • ポストモダニズム系リベラルの世界も大変だ - 過ぎ去ろうとしない過去

    また南京事件で盛り上がってますね。 中国は南京事件政治利用しているという人がいますが、少なくとも日中国交正常化以降、中国が南京事件に関して「謝罪と賠償」を要求したことは一度だって無いし、毒ガス問題など個別イシューを除けば日中間で歴史認識が政治問題になっているのは唯一靖国くらいのものですが、もちろん中国は南京事件があったことをもって靖国神社への参拝に反対しているわけではないのです。 さて、この問題が蒸し返されるときにはきまって、南京事件あったかなかったか「どうでもいい」と思っているのに南京事件「論争」にはいっちょ噛みたいと思っているのが多すぎるのが問題をややこしくしていると思うのですが、それはポストモダニズム系リベラルの問題として表すことができるかもしれません。 つまり、劣化版東浩紀です*1。 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20081215/p1#c122932

    ポストモダニズム系リベラルの世界も大変だ - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 姜尚中と宮台真司が奏でたメリーアン(明暗) - おまえにハートブレイク☆オーバードライブ

    http://d.hatena.ne.jp/jtm/20090505もう5、6年くらい前になるが、姜尚中萌えの女子に、宮台真司×姜尚中のトークショーというのにどういういきさつだったか忘れたけど連行されたことがあった。池袋のリブロで催されたイベントで、なんか対談にまとまったはず。ああこれか。挑発する知posted with amazlet at 09.05.05姜 尚中 宮台 真司 双風舎 売り上げランキング: 209001 Amazon.co.jp で詳細を見るトークの内容はまったく憶えていないんだけど、終了後に展開された衝撃のスペクタクルあるいは惨事のほうは、いまもまぶたを閉じるとその陰惨な情景がまざまざと迫ってくる。それはトークイベントに付随したサイン会開始直後に起こった。やや間隔をあけて、宮台氏、姜氏の座する机が置かれ、サインを求める人たちが列をつくったのだが、姜氏の机には、女子(

    onchord44
    onchord44 2009/05/07
    これはいい話
  • 「現前性」について - logical cypher scape2

    「リアリズムとリアリティ」のつづき。 リアリティという言葉を、伊藤剛にならって、「現前性」と「もっともらしさ」に分類した。 大抵、リアリティという語が使われるときは、「もっともらしさ」についてのことが多いが、フィクションについて考察するのであれば、「現前性」について考えることはより重要であるように思われる*1。 伊藤剛は、単なる絵が「現前性」を獲得するにおいて、「キャラ」というものの機能に着目したが、それだけではなく「フレームの不確定性」とその抑圧についても考察している。 また、その抑圧と抑圧の解除を、マンガのモダンとマンガのポストモダンとも呼んでいる。 ここでは、より広い見地から、フィクション表現のモダンとポストモダンについて考えてみたい。 「鏡」のように現実を写し出すメディア 東は「まんが・アニメ的リアリズム」(および「ゲーム的リアリズム」)に基づいた作品の特徴として「半透明性」という

    「現前性」について - logical cypher scape2
  • 小林よしのり『脱正義論』『戦争論』 - sugitasyunsukeの日記

    小林よしのりのマンガを初めて読んだ(正確に言うと、10年位前にごく初期の『ゴーマニズム宣言』は少しだけ読んでいた)。 ◇『脱正義論』(一九九六年六月) ◇『戦争論1』(一九九八年七月) 薬害エイズ運動の経験をマンガ化した『脱正義論』には、率直に驚いた。強く心を動かされた。正直にそう述べておく。ここには何か質的なものが確実にある。少なくとも、マンガからこれほど強く複雑に心を揺さぶられる経験は、稀有なんじゃないか(私は日々の空気のようにマンガを必要とする人種だが)。腹の底から生じる、いやな気持ちもふくめて。しかもその「揺さぶられる感じ」は、娯楽性と同時に、政治性を含んでいる。複雑な感情としてある。 事実、小林は終始、「普通に生活している人々に届かなければダメだ、当は社会的事件に関心があるけれど、生活の忙しさで動けない人間こそを動かせなければダメだ」と言い続ける。このことは、小林が、たとえば

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