日本学術会議の会員候補の任命を菅義偉首相が拒否した問題は、昨年10月の発覚から半年以上経過した今も、任命は行われないままで学問の自由は揺らいだ状態が続いている。歴史上度々脅かされてきた学問の自由。戦前の学問弾圧で2年近く勾留された父を持つ横浜市の新村恭(しんむら・やすし)さん(74)は「自由が侵された結果、何が起きたか」、父や社会がたどった道を思い起こし危機感を募らせる。 自由な青年時代から戦争へ 父は仏文学者の猛(たけし)(1905~92年)。「広辞苑」を編集したことで知られる言語学者の新村出(いづる)の次男だ。旧制第三高等学校、京都帝国大(いずれも現京都大)を30年に卒業した。自ら回想した戦後の手記によると、「明治維新以後最も自由で最も良い時期」を過ごした青年の一人だったという。ところが時代は移り変わる。 同志社大予科の教授として働いていた33年、政府が学者個人の研究を否定し、大学の自