大川小**の遺族が立ち上がってから4ヵ月 明らかになった真実、隠され続ける真相とは この日、大川小の柏葉照幸校長(当時)は、年休を取り、学校には不在だった。 教務主任のA教諭(教職員として唯一の生存者)は、廊下から「校庭へ避難しろ」と叫んでいた。 子どもたちは早足で、校庭へ出た。上履きを靴に履き替えたり、自分の判断でジャンパーを着用したりした子どももいた。外では、小雪が舞い始めていた。 A教諭は、校庭に出ると「山だ! 山だ! 山に逃げろ」と叫んだ。それを聞いて、山にダーッと登っていった子がいたが、教諭の誰かから「戻れ!」と怒られ、連れ戻された。 5、6年生の男子たちが、「山さ上がろう」と先生に訴えていた。当時6年生の佐藤雄樹君と今野大輔君は「いつも、俺たち、(裏山へ)上がってっから」「地割れが起きる」「俺たち、ここにいたら死ぬべや」「先生なのに、なんでわからないんだ」と、くってかかっていた