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ブックマーク / dennou-kurage.hatenablog.com (3)

  • 片山さつき(と自民党)は日本全体をブラック企業に変えるつもりなのか - 脱社畜ブログ

    片山さつき氏の以下のツイートが、話題になっている。 「前文にしました!」じゃねえよ、と言わずにはいられない。 このツイート内容の時代錯誤さに、僕は開いた口が塞がらなくなった。「人権は、人が生まれながらにして持つ当然の権利であり、いかなる場合も剥奪されない」という天賦人権説の真っ向否定である。天賦人権説は、近代的な人権思想のコアと言ってもよい。天賦人権説を否定するということは、人類が闘争の末に獲得してきた人権思想そのものを否定するのと同じことだ。片山氏は、日を近代以前に戻そうという考えであるらしい。さらに驚くのは、これが片山氏独自の考えというわけではなく、自民党の公式見解でもあるということだ(自民党改憲案Q&A:Q2・Q13)。 天賦人権説を否定し、「権利が当然に付与されるものではなく、義務を果たして初めて付与される」と考えると、先進国家とは思えないような理不尽な状態が多く生じることになる

    片山さつき(と自民党)は日本全体をブラック企業に変えるつもりなのか - 脱社畜ブログ
    oooquree
    oooquree 2012/12/10
  • 「権利行使には義務が伴う」というフレーズに対するよくある誤解 - 脱社畜ブログ

    昨日、片山さつき氏の人権天賦説放棄発言についての記事を書いたが、この記事に対する反応で、「権利行使に義務が伴うことは自然」という反論をする人がtwitterなどを見るとちらほらいたようである。 この、「権利行使には義務が伴う」というフレーズほど、誤解されているものは無いと僕は思う。今日は、その指摘をしておこう。 よくある間違いなのだが、この「権利行使には義務が伴う」というのは、「義務を果たすことによって、初めて権利が付与される」という意味ではない。権利行使を義務の対価と考えるのは、(近代の自由主義的な考え方の下では)正しくない。例えば、かつては日にも一定額以上納税をしないと選挙権が無かったという暗い時代があったわけだが、「権利を義務の対価」と考えると、このような考え方を肯定することになりかねない。 「権利行使には義務が伴う」というのは、もっと単純な話である。例えば、僕には選挙権がある。投

    「権利行使には義務が伴う」というフレーズに対するよくある誤解 - 脱社畜ブログ
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    oooquree 2012/12/10
  • 権利主張に「後ろめたさ」なんて感じなくていい - 脱社畜ブログ

    人は、権利を主張することに対して、妙な後ろめたさを持っているんじゃないか、と最近考えることがある。「権利ばかり主張しやがって」という表現もよく聞くし、どうも権利主張は「卑しいこと」という価値観がどこかにある気がしてならない。 例えば、サービス残業について考えてみよう。このブログでは何度も書いているが、そもそもサービス残業は違法行為であり、残業した分の残業代を要求するのは当然の権利で、何ら後ろめたさを感じるようなものではない。 しかし、「残業になったのはそもそも自分の仕事が遅いから」とか、「周りの人も残業代を貰わずに頑張っているのに、自分だけ残業代を請求するのは申し訳ない」とか、「今は会社も苦しい時期だから、ここは我慢しよう」といった考えで、請求をしないという人もいると聞く。権利を声高に主張する社員は、それがどんなに正当なものであっても、なぜか組織の中だと浮いてしまう。 先日、知人と雑談

    権利主張に「後ろめたさ」なんて感じなくていい - 脱社畜ブログ
    oooquree
    oooquree 2012/11/29
    この視点は大事だとしても、エントリに含まれてる商品は・・・私の一つ前のid:entry:17810916 他地域だがこの会に相談したおかげで保全できるのにできないと言われ私のアパートはid:entry:114596246 id:entry:80101365
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