府県廃置法律案に基づく26府県の領域区分。赤線が新たな府県境、黄線が従来の府県境を表す。 府県廃置法律案をもとに北海道と沖縄県を加えた[注釈 1]28道府県の略図。太線は現在の都道府県境、白点は道府県庁所在地と考えられる[注釈 2]地点を表す。 府県廃置法律案(ふけんはいちほうりつあん)は、1903年(明治36年)の日本に存在した法律案。 日本の45府県(現在の47都道府県から北海道と沖縄県を除いたものに相当する)を合併して26府県へと削減することを計画していたが、成立には至らなかった[1]。 府県廃置法律案は1902年(明治35年)、大日本帝国の内務省によって「交通機関発達の今日、府県区域の拡張を図る」などの理由から作成された[1]。 その内容は、府県制下における既存の45府県[注釈 1]中、統廃合の対象とならなかった5県を除く、40府県を統廃合して21府県を設置するものであり、19の県