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ブックマーク / blog.livedoor.jp/railart (14)

  • 1971年7月 急行「ひとよし」の時刻 : Rail・Artブログ

    10月15 1971年7月 急行「ひとよし」の時刻 カテゴリ:関西~九州1971年 日は71年夏の急行「しろやま・ひとよし」の時刻です。 既に70年夏と71~72年の年末年始の時刻を入れてあり、どちらかで代用が利くかと思ったのですが、そういう訳にはいかない様で、特に肥薩線に乗り入れる下り「ひとよし」の時刻は、どちらとも似ていませんでした。 (※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません) 【 交通公社時刻表1971年7月号より 】 八代の出発が3:52、人吉到着が5:03と早い71年夏の急行「ひとよし」。 大阪の出発は70年夏と比べて1時間28分早い13:07となっています。 下りの併結列車は70年夏も71~72年の年末年始も変わらず「しろやま52号」ですが、当然ながらこの「しろやま52号」の時刻も全面的に違います。 70年夏の「ひとよし」は門司港→都城の普通夜行1121レの後を走っていまし

    1971年7月 急行「ひとよし」の時刻 : Rail・Artブログ
  • 88年 急行「リゾートライナー奥飛騨」の時刻 : Rail・Artブログ

    9月22 88年 急行「リゾートライナー奥飛騨」の時刻 カテゴリ:高山線系統1988年 記念日という程のものでもないのですが、日9月22日はブログの開設記念日という事で、更新しておこうと思います。 88年の高山線に少し興味を引くような臨時急行の設定があります。その名は「リゾートライナー奥飛騨」。 今日はその時刻の紹介。 (※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません) 【 交通公社時刻表1988年8月号より 】 9月に運転された急行「リゾートライナー奥飛騨」。 キロ82-801・キロ80-701・キロ80-801の3両からなるJR東海のジョイフルトレイン「リゾートライナー」を使用して設定された多客臨です。 この年の7月29日に完成したばかりですので、お披露目も兼ねての設定といったところでしょうか。 「リゾートライナー」使用の多客臨はシュプールなど他にも見られるのですが、使用回数は少なく、

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  • ★ 1959年12月 設定当初の準急「伊吹」の時刻 : Rail・Artブログ

    9月23 ★ 1959年12月 設定当初の準急「伊吹」の時刻 カテゴリ:名古屋(東海)~関西・山陽・九州1959年 先日の設定当初の準急「伊吹」の時刻、”北極急行”さんより準急「比叡」を含めた1959年12月の時刻を頂戴しましたので早速、紹介しておきたいと思います。 準急「比叡」の5往復体制は58年11月と同様。それに全車指定の準急「伊吹」2往復が加わり、名阪準急は7往復になっています。 質問の際に書きましたが準急「伊吹」の誕生は1959年9月22日。 下り第1と上り第1・2は名古屋~大阪、下り第2は名古屋→神戸で設定されています。 下り第1は新設のようですが、下り第2は改正前の「比叡5号」の手直し版だと言えましょう。名古屋→神戸の運転区間も引き継がれています。 上りも第1は新設、第2は改正前の「比叡4号」の時刻を手直しして設定されています。 58年11月での上り「比叡4号」の大阪→名古屋

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  • お詫び : Rail・Artブログ

  • 浜松~修善寺の臨時列車「ゆうゆう東海 中伊豆号」の時刻 : Rail・Artブログ

    8月21 浜松~修善寺の臨時列車「ゆうゆう東海 中伊豆号」の時刻 カテゴリ:東海1990年 日は90年の臨時列車「ゆうゆう東海 中伊豆号」の時刻を紹介します。 (※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません) 68年10月改正までは定期、それ以降は臨時として静岡方面から伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り入れる急行があった事は以前にこのブログで触れました。 しかし69年春臨に見られる急行「しゅぜんじ」の様な列車は早々に消えてしまい、種別を問わず静岡方面から乗り入れる列車というのは、長らく消えていたように思います。 そんな静岡方面からの乗り入れが久々に実施されている例が90年6月に設定が見られる「ゆうゆう東海 中伊豆号」です。 全車普通車指定席で浜松~修善寺の設定。 「ゆうゆう東海」については覚えていらっしゃる方も多いと思います。JR東海が165系を改造して作ったジョイフルトレインですね。 3両という身軽

    浜松~修善寺の臨時列車「ゆうゆう東海 中伊豆号」の時刻 : Rail・Artブログ
  • 71年夏 房総東線の快速「わかしお」の時刻 : Rail・Artブログ

    7月18 71年夏 房総東線の快速「わかしお」の時刻 カテゴリ:房総半島1971年 去年の事になってしまいますが、このブログで70年夏の房総東線の快速「さざなみ」の時刻を扱った事がありました。 後の電車特急の愛称と同じ快速で走っていた訳ですが、71年夏になりますと房総東線(後の外房線)にも快速「わかしお」という列車が設定されるようになります。 日はその快速「わかしお」と、この年も設定されている「さざなみ」の時刻を見てみる事にしましょう。 71年夏の快速「わかしお」「さざなみ」の時刻 (※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません) 【 交通公社時刻表1971年7月号より 】 71年夏に見られる快速「わかしお」は、2往復設定されており、どちらも千葉発着。 2往復共に客車での設定になっています。 運転区間は下り1号は千葉→鵜原、上り1号は上総興津→千葉、上下2号は千葉~勝浦となっています。 鵜原

    71年夏 房総東線の快速「わかしお」の時刻 : Rail・Artブログ
  • ★ 徳山発着の快速「三段峡」の時刻 : Rail・Artブログ

    7月17 ★ 徳山発着の快速「三段峡」の時刻 カテゴリ:中国地方1970年 日は先日紹介しました快速「三段峡」の情報追加で”北極急行”さん提供の70年春の快速「三段峡」の時刻です。 見所は何と言いましても、僅か1日ながら徳山発着という設定が見られるという点。 後に愛称は違いますが呉線に入るという列車があるのは把握していましたが、徳山発着という列車があったとは意外でした。 どうも「三段峡」の初設定の日が徳山発着になっていた模様。 お披露目も兼ねてといったところだったのでしょうか? 乏しい資料を見ての話ですが、後の時代では見かけないように思います。 設定初期はイレギュラーな設定が見られる事がありますが、「三段峡」もその一例だったという事ですね。 他に特に書くような事も無いのですが80年代の「三段峡」に関して一言書き加えておきましょう。 【 交通公社時刻表1982年7月号より 】 列車名が「三

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  • ★ 電車で設定された急行「銀河53号」の事 : Rail・Artブログ

    5月22 ★ 電車で設定された急行「銀河53号」の事 カテゴリ:東京~関西1975年 日は”ひかり11号”さん提供の75年1・2月の急行「銀河53号」の時刻です。 先日のブログで少し触れましたが、75年1月29日、2月5日と19日の合計3日、急行「銀河53号」という列車が運転されたことになっています。 運転区間は東京→名古屋・・・これだけでも「銀河」を名乗っているには十分に変な列車ですが、列車番号は9111M・・・なんと電車です。 長い歴史を誇る「銀河」ですが、定期は勿論のこと、臨時でも客車以外の設定を見る事は、ほぼ無いと言っても過言ではないでしょう。唯一の例外になるのが、この「銀河53号」という事になるのではないかと思います。 (後記:”824レ”さんから71年4月にも「銀河51号」として東京→大阪に設定がある旨のコメントを頂戴しました。従って電車の「銀河」は最低2パターンあるという事

    ★ 電車で設定された急行「銀河53号」の事 : Rail・Artブログ
  • ★ 設定当初の80系準急「あまぎ」「はつしま」の時刻 : Rail・Artブログ

    5月24 ★ 設定当初の80系準急「あまぎ」「はつしま」の時刻 カテゴリ:伊豆半島1951年 先日、1950年8月の伊豆方面への準急「いでゆ」「いこい」の時刻を紹介しましたが、”北極急行”さんが1951年1月の伊豆方面への準急の時刻も送って下さいましたので、紹介しておきたいと思います。 1950年10月に準急「あまぎ」、11月に「はつしま」(10月運転分は「第2あまぎ」)が80系電車で設定されたという話は書いたように思いますが、その設定初期の時刻だと言う事が出来ます。 1952年5月と下りの東京発の時刻は同じですが、52年5月が「はつしま」→「あまぎ」→「いこい」→「いでゆ」の順に出発するのに対し、51年1月では「あまぎ」→「はつしま」→「いでゆ」→「いこい」の順に出発していきます。 順番が全く違うという事がお分かり頂けると思います。 また、51年1月では伊東線内で準急運転を行うのは「あま

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  • ★ 1962年10月改正 特急「おおぞら」の時刻 : Rail・Artブログ

    4月23 ★ 1962年10月改正 特急「おおぞら」の時刻 カテゴリ:北海道(特急)1962年 いささか古い話になってしまいますが”ひかり11号”さん提供の1962年10月改正の特急「おおぞら」の時刻を紹介したいと思います。 61年10月改正で誕生した際は函館~旭川でしたが、お馴染みの釧路に延長されたのが62年10月改正の事になります。 時刻は64年5月と殆ど同じなのですが編成が、64年5月の時点では12両(釧路編成7両、旭川編成5両)にし、62年10月改正時点では11両(釧路編成6両、旭川編成5両)という違いがあります。 さて、私ですが、94年の特急「フラノエクスプレス」の時刻を追加しました (※ 時刻はサイト閉鎖の為、参照できません) 前年夏臨では5往復体制で実に1~10号まであった「フラノエクスプレス」ですが、94年夏は2往復体制と一気に少なくなってしまいました。 前年にあった上富良

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  • ★ 初期の電車夜行準急の時刻 : Rail・Artブログ

    4月9 ★ 初期の電車夜行準急の時刻 カテゴリ:東京~東海・紀伊半島・北陸1958年 日は”北極急行”さん提供の電車による夜行準急の祖と言える1957~58年の年末年始に運転された3309(3310)Tの時刻です。 準急「東海」が80系に電車化されたのは57年10月改正の事ですが、早くも年末年始には臨時の電車夜行準急がデビューしていたという事になります。 運転区間は下りが東京→名古屋、上りが大垣→名古屋で、準急「東海」と同じ80系10両(2等車2両、3等車8両)が使われた模様です。 上りが大垣発なのが違う点ではありますが、58年10月改正で定期として設定される「東海4号」の前身と言って差し支え無さそうです。 東京→名古屋の所要時間は下りで7時間・・・中距離の夜行列車だけに、余り急いでもかえって不便な結果になりかねませんが、普通列車であった大垣夜行よりも時間が掛っています。 日は95年夏

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  • ★ 指定席は冷房完備の71年夏の急行「しらかわ」 : Rail・Artブログ

    4月1 ★ 指定席は冷房完備の71年夏の急行「しらかわ」 カテゴリ:上野(東京近郊) 東北線系統1971年 日は個人的な好みで、71年夏の急行「しらかわ・なすの」の時刻です。 何が好きと言って、急行「しらかわ」の寝台列車の間合い使用という、風変わりなところが、私の興味を惹き付けてやみません。 20系や24系使用の昼間の座席急行は存在しますが、個人的な好みとしては、やはり10系寝台が魅力的に映ってしまいます。 冷房車が珍しい時代に、冷房を売り物に設定された列車だとは、以前のブログで扱いました。 元々は急行「くろいそ」として走っていましたが、70年夏からは「しらかわ」を名乗るようになったというのも説明済みです。 71年夏にも設定がありますが、70年夏に設定のあった上りの客車急行「なすの61号」は、71年夏は「しらかわ」に編入された形になっており、上下共に「しらかわ51・52号」として設定さ

  • ★ 設定当初の特急「ひびき」の時刻 : Rail・Artブログ

    3月22 ★ 設定当初の特急「ひびき」の時刻 カテゴリ:東京~関西1959年 このところ、調べるのに困難の伴う列車の時刻が幾つも明らかになっていますが、日ご紹介する”北極急行”さん提供の59年12月の特急「ひびき」も間違いなく、そういう列車の1つでしょう。 切符の入手が難しい「こだま」の緩和策として特急「ひびき」が設定されたのは59年11月21日の事。 同年9月22日に157系で華々しく運転を開始した準急”日光・中禅寺・なすの”ですが、”中禅寺・なすの”は季節運転で11月10日から翌年3月10日までは設定されていません。 この間の157系の有効活用し、同時に「こだま」の混雑緩和も図るという一石二鳥の策として、東京~大阪に運転されたのが「ひびき」です。 11月21日と、かなり早い時点で運転が開始されていますが、それだけ東京~大阪の特急の需要は旺盛だったという事でしょう。58年11月より特急

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  • ★ 臨時準急「オーロラ」の変遷 : Rail・Artブログ

    3月18 ★ 臨時準急「オーロラ」の変遷 カテゴリ:北海道(急行・準急)1963年 日は”ひかり11号”さん提供の準急「オーロラ」の時刻変遷です。 1965年夏に札幌~釧路を結ぶ臨時準急「オーロラ」が設定されていた事は、随分昔の話になりますが、このブログで扱った事があります。 【 交通公社時刻表1965年8月号より 】 「オーロラ」とは何と夜行向きの愛称でしょう・・・北極圏に位置する訳ではないので普通に見られるというものではありませんが、条件が整えば北海道でもオーロラが観測される事はありますから、非現実的な愛称という訳ではありません。(現在、観測される様な事態になったら非常に深刻な影響が出ますが、歴史的に見れば赤道に近いくらいの地域で目撃された事もあるとの事。通常は極地帯で見られる現象ですが、出る時は、どこにでも出る可能性があるという事ですね・・・太陽からの荷電粒子の強弱次第。荒っぽい言

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